殴られたら蹴り返せ
辰の刻。
閃に連れられ、烈は外守邸へと来ていた。
外観はこれまた木造一軒家。
戸口を叩くと、中から声がして漸く嘉六が出てきた。
「お待たせ致しました。・・・おや、長巻ですか。良いですね。ですが、患者が怖がるといけないので座敷に置いておきましょう。閃、本日は何時まで宜しいので?」
嘉六の言葉に閃が烈に銭を渡し、口を開いた。
「暮れ六つに、少し用事が。」
「分かりました。お仕事、気をつけてくださいね。」
閃は頭を下げ、烈に耳打ちをする。
「面倒な奴が来たら渡しておけ。一分銀だ。昼に何か食べても良い。嘉六先生の護衛役もお前に任せる。前金だ。」
ぎ・・・ぎん!?
これが!?
思わず手の中の物を凝視する。
現代にしたら一体幾らだろう。というか、江戸の貨幣価値わからないんですけどぉお
大切にしよう、と腹に巻いた晒しの中に押し込む。これが一番落とさない。
閃は宜しくお願いします、とつぶやき、去って行った。
閃が去った後でくるり、と嘉六は烈に向き直った。
「本日はここを開けますから、患者さんが沢山来ますから、とりあえず一通りの物が何処にあるか覚えてもらいましょう。此方へ来て下さい。」
嘉六の後へついていくと、そこには大きな薬棚があった。
そのうち一つを取り出し、烈に見せた。
「これは桜皮。主に下痢に効いて整腸の役割をします。それからこれは蘆薈。切り傷・火傷・うちみに聞きます。それから・・・」
* * * *
数時間後。烈は最大限に頭を使っていた。
患者。嘉六が腕が良いのか、沢山来る。
それから嘉六は人使いが荒い。
一度説明し、烈に名前と効能を思い出しながら紙に書かせ、ほぼ合っているから大丈夫だろう、とすぐに開館した。
加えて烈は嘉六の後ろに控えながら一生懸命脳をフル活動して病名と病状を覚えて居た。
身体を使いながら覚える。結構画期的だ。だが疲れる。お腹いっぱいーーーー。
「きゃあっ!」
小さな叫びが聞こえる。
烈は顔を上げ、嘉六は手を止めた。
何やら言い合いをしているらしい。
嘉六は烈に目配せをした。
ああクソ、そういや用心棒だっけ。
筋肉痛めたこんな日にーー!!
座敷から長巻を掴んで外に飛び出す。
するといかにも浪士風の男が患者のうち1人の若い娘にに絡んで居た。
「やめなさい!」
緊張で声が上ずる。
チキショウ、マジで怖い。めっちゃ睨んで来てるよ。やめときゃ良かったんだ。見て見ぬ振りをーーーー
見て見ぬ、振り?
「・・貴殿、立派な武家様とお見受けする。そのようなお方が、何故このようなお振る舞いをなさるのか。」
チキショウ声が震えるよ、日本語きっと変だよ、それでも俺には、
これしか出来ないーーー
浪士はあぁ?と烈に近寄る。
ヤメロヤ普通の人間ダカラ。なんの面白みもない人間だからーーーー
はた、と閃を思い出す。そういや、貰った銀はこのための銀だ。もっと早く気付けば良かった。
「お侍様。国の為に働く貴方様は、何かと入り用になるかと存じます。何卒此方でーー。」
・・・あれ?
ない。
ない。
ないよ、銀。
急に固まった烈に、不審に思ったらしい男があ?と烈に近寄る。
「・・あ、はははは?」
頭の中が真っ白になる。
あるハズの物が、ない。
いやいやいやいや。確かに晒しに入れたハズーーー。
「・・あ、はは。あのー、えっと。取り敢えず、ですね。話し合いというか、えっと。」
烈の言葉に浪士が掴みかかる。
殴られるーーーー!!!!
そう思ったら咄嗟に、烈は逃げるべく力強く地面を蹴り上げた。ハズだった。
「・・・いっ!てぇええあああ!!!!」
泣きたい程の痛みが脛に響く。というか涙出た。なんだこれ。厄日だ。今日。
思わず脛を抑える。弁慶の泣き所にもろに入った。
だがしゃがんだ先に、同じように男が足を抑えてしゃがんでいた。
男が烈に向く。
「なっにしやがるこのクソガキ!!!」
いやいやいやいや、こっちのが痛いわ多分!という言葉は飲み込む。
どうやら男の足首と烈の脛が互いに勢い良く当たったらしい。しかも涙が少し出ている所を見ると男の方が被害は大きい。
だがそれを見ていたらしい別の患者のうちの1人が、口を開いた。
「何言ってんだ。あんた、勝手に転んだだけじゃねぇか!人のせいにするなんざ男の風上にもおけねぇな!」
その言葉を皮切りに、「そうだそうだー!」と患者が騒いだ。
男はなっ・・・と、悔しそうに押し黙る。
やがて嘉六が何時もの笑顔を貼り付けて診療所から出て来た。
「おや。どうしました?お怪我をなさって居るようですね。勝手に転ばれたとは言え、助手が申し訳ありません。筋を痛められたようですね。日頃の運動はきちんとして下さい。それではーーーふんっ!」
嘉六は足の甲を思い切り叩く。浪士はぎゃああああ、と悲鳴を挙げた。
それから嘉六は烈に男を抑え付けるよう指示すると、てきぱきと包帯を巻いていった。
そしてとどめ、とばかりに最大限の力を込め、包帯を絞める。足の付け根の所で結び目を結んだ。
包帯を巻いている間にも、男は余程痛いのかぎゃあああああああああと叫んでいた。思わず烈は目を逸らす。
「痛いのは仕方ありません。ですが早く治りますよ。ああ。それからこれはマムシ酒です。腫物に効くんですよ。経過が気になるので、是非ともまたお越しくださいね?」
キラキラとした笑顔で、男の目の前にマムシ入りの酒をぶらぶらさせながら嘉六はそう言った。
ああ、絶対に怒らせてはならない。
本能がそう悟る。怒らせたら一番怖いタイプだ。えげつない。
男はひぃ、と声を上げ、走っていった。
片足をぴょんぴょんさせながら。
その姿に絡まれていた娘はあはは、と笑った。患者達にも笑いは伝染してゆく。烈はぽかーん、とうずくまっていた。
嘉六は残念そうにマムシ酒をぶらぶらさせる。そして、目が合った烈ににこり、と笑いかけた。
「マムシ酒、要りますか?」
「・・・いりません!」