女心は魚心
「ん。閃、それしか食べないのか?」
早朝。鍛錬でも調子が悪く、なんだかいつもより朝餉の量が少ない閃に、烈が声をかけた。
小判も心なしか心配そうに見上げている。
「・・・食欲が、なくてな。・・やっぱり食えん。烈、仕事まで休むから後は頼む。」
怠そうな閃がそういい、立ち上がった。
茶碗には一口しか手の付けられていない白米に味噌汁。
小皿には申し訳なさそうに沢庵が乗っていた。
「おいおい・・大丈夫かよ。今日は仕事休んだ方がいいんじゃ・・」
ドサッツ。
鈍い音が畳に響いた。
閃が畳に伏していた。
「・・・閃!」
あわてて閃に駆け寄る。
閃は訳がわからなそうな顔をしながらも、一生懸命立ち上がろうとしていた。
「立ち上がれないのか?」
烈がそう問うと、閃が苦しそうに口を開いた。
「力がはいらない・・・全身が怠い。」
その言葉に、烈は急いで閃を負ぶった。
「先生の所へ行く!小判、留守を頼んだぞ!いい子にしてろ!」
紙子羽織を閃の上からかけ、襟巻を閃に巻く。そして草履に足を突っかけ、急いで外に飛び出した。
雪がしんしんと降っていた。
* * * *
とんとん、と打器で膝蓋腱と叩く。反射は、見られなかった。
難しい顔をしていた嘉六は顔を上げ、口を開いた。
「・・脚気、ですね。」
その一言に烈の顔が歪む。
脚気。昔流行った、死に至る恐ろしい病だ。
原因はビタミンB1不足。
適切な治療をすれば大方治る。
嘉六は難しそうな、どこか悲しそうな顔で閃を見つめていた。
閃は口を一文字に引き結び、天井を見ていた。
そして、口を開く。
「・・・・もはや、ここまでか。」
嘉六は眼を伏せた。
一方、烈は不思議に思っていた。もはや、ここまで、とは?
治療法はちゃんとある。だが閃はまるで死ぬかのような言いぐさ。
そこまで考えて、気が付いた。
この時代では、治療法はまだ見つかっていない。
たしか見つかったのは明治。特効薬が見つかり、浸透していったのは昭和だ。
どうする?
医療の歴史を、早めていいものか。
治療法を浸透させたら、どうなる?現代で、何が起こる?
何も想定できない。では逆に目の前の命を見殺しにする?
だが助ける事によって、確実に未来は変わる。存在しなかった者が存在し、もしもの過程だが、閃がこの先人を殺せばその一族が現代から消える。
どうしたら、いい?
烈は目の前が真っ暗になった気がした。
ああそうだ。タイムスリップした主人公達はいつもこういった問題に悩まされてたな。
だが生憎これは決められた話じゃない。未来がいいようになる事を約束された話じゃない。
紛れもない、現実だ。
自分の決断一本で、大きく全てが変わる。
そこまで決断する力は、俺にはない。
だれか、代わりに決断してくれないかなあ。
叶うはずもない願いを、ぼんやりと心の中で思った。
* * * *
根拠を考えなさい。
根拠は?理由は?
根拠なき事など、何もないのよ。
昔言われた言葉。
やめてくれ。何故未だ襲う?何故未だ夢の中まで縛る。
もういいだろう。
・・・・根拠?
なら、俺が此方に飛ばされた理由は?
夢、だったのか?いや、確かに俺は未来に居た。なら、理由が、あるんじゃないか?
「・・・・ん。」
目が覚めた。どうやらまだ真夜中のようで、夜の帳は降りている。
襖を開け、閃の様子を見る。
閃は、静かに泣いていた。
見られたくないらしい。
布団に顔を寄せ、黙り込んだ。
「・・・苦しいか。」
思わずそう質問する。失言だった、と瞬時に思う。苦しいに決まってるのだ。
彼は今、猛烈に息が詰まるほど苦しい。
「仇討ちをする事が、俺の生きる意味だったから。何もない、誰も居ない世界で、それだけだった。・・・今も、忘れはしない。
だがもう不可能だな。」
寂しそうで、哀しそうで、思わず目を背ける。自分は手立てを持っている。閃を治す、手立て。
ふ、と出会った時のことを思い出す。
あの時、死ぬ予定だった烈を生かしたのは紛れもなく閃だった。
ふ、と唇が弧を描く。
何を迷う事がある。
自分が此処へ飛ばされたなら、きっと。
意味が、絶対ある。
「・・・なあ、閃。治せる、って言ったらどうする?」
ぽつり、と何でもないことのように呟く。
無造作に放たれた言葉に、閃は顔を歪めた。
「・・無駄な希望を持たせてくれるな。これが運命だ。受け入れる。」
その声は静かに怒りと、悲しみをはらんでいた。
「・・いや、治せるよ。閃。俺が居た場所と此処は医療水準が違う。脚気の治療法は、分かってる。脚気は感染なんてしない。単なる栄養不足だ。
・・俺なら、治せる。
俺の言うことを聞けば、治せる。」
閃の息を飲む気配が伝わる。
少しだけ、暗かった気配が払拭された。
閃はゆるり、と散漫な動作で起き上がった。
「・・!無理するな!」
思わず駆け寄る。だが閃は制止を振り切り、土下座の体勢をとった。
「この病気、治りますなら命以外は全て差し上げる所存。どうか、その治療法とやらを実行して下さらぬか。仇を取れんでは死んでも死にきれぬ。何卒、宜しくお願い仕る。」
ふるふる、と震えながら閃がそう、頭を下げた。下半身がもう動かないだろうに、渾身の力を振り絞ったらしい。
烈は閃を土下座の体勢から、寝かせた。
きゅ、と唇を結んでいた。
「治療は明日から。先生にも知っておいて欲しいから、先生の前で行う。それから、この治療法は日進月歩するものじゃない。更にある段階に達すると無意味になってしまうかもしれない。・・・それでも、いいか?」
烈の言葉に閃はこくり、と頷いた。
身体が震えていた。
これで、いい。きっと。
* * * *
あれから閃に対し、ビタミンを摂取させる為白米の代わりに玄米を食べさせ、小豆を煮て黒蜜をかけたものも食べさせた。途中、心配して来た鈴が飽きないようにレパートリーを考え、様々な食事を出してくれた。
そのお陰か、日に日に良くなってきていた。
閃が漸く鍛錬が出来るほど回復し、嘉六が驚きに目を丸くした、某日。
天気が良い、昼下がりだった。
烈はいつも通り、切り傷などの軽めの患者が振り分けられていた。
やっと終わった。軽い患者が任せられてきたとはいえ、出来れば嘉六の側で治療法などを見ておきたい。しっかしつかれたなぁ。
そんな烈の心境を見通すかのように、患者ーーー朔乃が烈の方を向いた。
「ちょっとれっちゃん。そんな辛気臭い顔してたら幸せ逃げちゃうよ?ほらあまたここほつれてるし!ちゃんとなさいな全くもうほんっと最近の子達は・・・」
ぶつぶつと文句を垂れながら朔乃は前を歩き出した。え、それこの時代でも言うんだ。というか、疲れたのは大方このお節介な年増のせいだ。
「あ、そうだれっちゃん。イナゴの佃煮食べるかい?蜂の子もあるわよぉ。ついてきなさいな。」
にいっ、と物凄い笑みで朔乃は烈に近付いてきた。勘弁してくれ。虫は大嫌いだ。世の中で虫か草しか食べれなくて虫食べるくらいなら草を好んで食べる。
「え、遠慮しますぅ。」
若干引きつった笑みを浮かる。やめろおおうお。むりむりむりむり。
「遠慮しなさんな。アンタそんなんだから細いのよ。・・・ん?」
向かいの団子屋に目が止まったらしい。
団子なら頂戴したい。丁度お腹が空いた。期待の念を込めて朔乃を見る。朔乃はそうよね、うんと呟きながら団子を二つ頼んだ。
「ありがとうござ「おまちどうさまです。団子二本、ですね。」
礼を言おうとした矢先、奥からこの団子屋看板娘が出てきた。
「あらあありがとう。頂きます。」
そう、朔乃は元気に言い放つ。
2本目は恐らく烈のだ。気が利く所もあるな、ばーさん。いや、いつもは気が空回り、か。
何にせよニヤニヤを抑えながら朔乃の様子を見ていた。・・・・だが、朔乃は2本目もひょい、と口に入れてしまった。
ええええええええくれるんじゃないんかい!
思わず思考停止した。朔乃ははた、と視線を烈とかちあわせた。すると、物凄く不審そうな顔をされた。
「・・・あんた、なんでいるの?ほらかえんなさいよ。」
しっし、と振り払われる。
え、えええええええええええ付いて来いって言ったのはアンタだよ!思わず口を開きかけた。が、慌てて噤む。烈はこの日最大限の笑顔を貼り付け、申し訳ありませんでした、と呟いた。
やはり分からぬ。女心と秋の空。
と、その時、背後で足音がする事に気が付いた。
「ごめんください。外守先生の家は、ここでしょうか?」
少し低い声に、はっ、と後ろを向く。
そこには剃髪の男傘をかぶって立っていた。
まるで、旅をしてきてつい今しがた帰ってきたような。
「・・・はい。そうですが、あなたは?」
怪訝そうに烈が問うと、男は苦笑しながら傘をとった。
「これは失礼・・・松本 良順と申します。取り次いで頂けますかな?」
ひゅ、と烈の頬を風が撫で、長い髪が揺れた。




