ぼやき
本日も男は眠い目を擦りながら齷齪働いている。
無論明日も、明後日も、一年後も同じ様な日を過ごすと断言しておこう。
流れる日付一つ々々には、同じものは一つも無い。
しかし、男はその違う日々の中で、まったく同じ生活をしている。
人もまた、一人々々違う事情を抱えてるものだが、男には大した事情も無く、ただ時の流れに身を任せたため、このような味の無い人生を歩んでいるのだ。
決して罪ではないのだから、誹謗していると勘違いしないで欲しい。
このような人は幾人も居る。
彼らを冒涜する気は更々無い、むしろ尊敬に値する。
だが正直な話をすると悲観的な眼で見ている。
これは、逃れようの無い深層心理であって、変えられないのだから勘弁して欲しい。
大企業は、多くの人の人生を無駄にして花を咲かせる。
そして開花状態を維持するため、余計な葉を切るのだ。
物価が上がり、肥料の値段が高騰すれば、肥料を扱う企業に単価を落とせと無茶苦茶言う。
蜜を代価に花粉を運んでくれる蜜蜂には、運搬費用を落とせと無茶苦茶言う。
こうやって、様々な犠牲の末、開花状態を維持するのだ。
花を維持するには金が掛るが、本来花とは、枯れ、芽吹き、蕾を膨らませ、咲く物。
行雲流水の如く自然の成り行きなのだがね。
右肩上がれば下るも自然、諦めて欲しいものだ。
いくら大企業様と言えども、自然には勝てまい。
流れに身を任すもまた賢明な歩み方だとつくづく思う。
それこそ、川流れの達人、この河童めを参酌していただきたい。