シーナの覚悟
俺はシーナの言葉を聞き、動揺を隠すのだけで精一杯だった。
シーナに言われた事は俺にとって考えたくないことだった。
「……もしそう思っていたとして、どうすりゃいいっていうんだよ」
俺は修にぃと戦いたくない。
でも倒さなければならない。
俺が元の世界に帰る方法は修にぃを倒す以外には無い。
なら俺は修にぃを倒さなければならない。
「俺の気持ちなんてどうでもいいだろ。そうする以外に手はないんだから」
「…………」
俺の感傷なんて関係ない。
修にぃは敵。
それがわけのわからない奴に仕組まれた事であっても、修にぃが俺をどう思っていようと関係ない。
結果を求めるためには過程を選ぶな。
俺は俺自身にそう言い聞かせた。
「……本当にそれでいいの?」
「? シーナ?」
「あんたにとってそのお兄さんがどういう人だったのか私は知らないけど、兄弟なんでしょ?」
……確かにそうだ。
けれど修にぃを倒す以外に帰る方法がないんだからしょうがないだろ。
俺は元の世界に帰るって決めたんだ。
だから俺がここで駄々をこねるわけにはいかない。
「……俺は絶対に帰らなきゃいけねーんだ。俺のためにも、みんなの……シーナのためにも」
「私の……?」
「ああ」
俺はシーナといつまでも一緒にいたい。
それにはどうしても元の世界に帰る必要がある。
俺は、俺であり続けるために元の世界へ帰らなければならない。
「私のためにあんたは闘うって言うの?」
「ああ、俺の目的はシーナとずっと一緒にいる事だからな」
「そ、そう。なんか今日のあんた、凄いデレてて怖いわね」
「うっせ。それはお互い様だ」
今の俺らは傍から冷静に見たら滅茶苦茶恥ずかしいことになっているだろう。
だけど俺は気にしない。
シーナとこんな会話をするのも案外悪くないと思っちまってるからな。
「でも……それなら戦わなくてもいいわよ」
「? シーナ?」
しかしシーナは俺にそんなことを言い始めていた。
「私のために戦うっていう気持ちが強いんなら、あんたは戦わなくていいわ」
「ど、どうしてだよ?」
なんでシーナがそんなことを言い出すのか俺にはわからない。
俺はシーナにその理由を問いただした。
「どうしてもなにもないでしょ」
「だからなんでだよ。何を言いたいのか全然わかんねーよ」
「……あんたがお兄さんと戦いたくないと思ってるからよ」
「…………」
シーナは俺の心を読んだかのようにそう断言した。
そして俺は完全に見抜かれたその事実にうろたえつつも、俺のやるべきことを口にする。
「俺は、修にぃと戦わないと……」
「戦いたくなければ逃げちゃえばいいのよ」
「だが……それだと元の世界に帰れない……」
修にぃは大魔王。俺らが最後に倒すべき敵だ。
シーナ達とは違って、俺は修にぃを倒さないとこの世界から解放されない。
ならやっぱり俺は修にぃを倒さなければならない。
「……私は、あんたが戦いから逃げるなら……一緒に逃げても良いわよ」
「え……?」
しかし、シーナは俺の予想を超えた回答、俺が今まで考えなかった方針を導き出した。
「私は……あんたと一緒なら、この世界にずっと暮らしたって良いわよ……?」
「!?」
シーナは、俺に逃げる道を提示した。
それもただ単純に俺1人が逃げ出すのではなく、シーナも俺と共に逃げるという意志を俺に告げた。
「な、何言ってんだよ……てめえだって本当は、元の世界に帰りたいんじゃねーのかよ……」
「まあ、帰りたいとは思うけど、あんたが苦しむのなら私は諦めてもいいわ」
「家族とか、友達とか、てめえを待ってる奴はどうすんだよ……? てめえはそいつらを悲しませてもいいのか……?」
「…………」
俺がシーナに問うと、シーナは下を向いて口ごもる。
やっぱりな。
シーナはこうして俺に逃げ道を与えようとしてくれるが、なんだかんだでシーナも元の世界に未練が――
「……ないわよ」
「え……?」
「私には……私を待ってくれる人なんていないわよ……」
「…………」
だが、またしてもシーナは俺の想像を超えてきた。
シーナは俺に語る。
「……私達って、この世界にくる前はどんなだったとか、話したことなかったわよね。単に私が話したくなかったってだけなんだけど」
「あ、ああ、そうだな」
そういえば、確かに俺はシーナとそういう話を今まで一切したことがない。
他の奴のことは少しではあるが知っているのに、シーナに関しては全くわからない。
それは俺からそういった話を振らなかったということもあるが、シーナが意識して自分の事を何も話さなかったという面もあるのか。
「私ね、今年の三月頃に家族旅行の帰り道で事故にあったんだ」
「事故……?」
「うん」
シーナは自分が事故にあったと言うと、下を向いて寂しそうに目を瞑る。
そんなシーナの手はなぜか自分の足を軽く撫でている。
「その時にお父さんもお母さんも死んじゃって、1人生き残った私も重傷で病院に入院する事になったんだ」
「1人……」
「そ、だから私にはもう家族なんていないんだ。一応親戚の人が保護者になってくれてるけどね」
シーナはそこまで言うと、フッと軽く笑う。
「まあ実際のところ、私はずっと入院してる状態だから、その親戚の人ともあんまり話さないんだけどね」
「……? もしかしててめえは今も入院してるのか?」
「そうよ。てゆーかまだ退院する目処すら立ってないわ」
それは長いな。
少なくとも三ヶ月以上の入院生活か。
それに三ヶ月以上入院しているにもかかわらず退院の目処が立っていないというのもなんだか不吉だ。
「フリーダムオンラインってゲームの話を聞いたのも入院中だったわ。あの時はとにかく何かをして気を紛らわせたかったから」
なるほど。
シーナは家族を失ったこと、自分が事故にあって長い入院生活になったことを紛らわせるためにゲームを始めたのか。
「ちょうどその時、一番ネットで騒がれてたゲームだったから応募してみたけど、まさか本当に当たるとは思わなかったわ。……それでゲームを開始したらこんなことになるなんて思いもしなかったけど」
「……てめえもつくづく運がないな」
事故にあって家族を失って、更に今度は異世界に拉致されるとか、どこまで不運続きな女なんだ。
「別に私はこの世界に来て不幸だとか思ってないわよ。こうして自由に体が動かせるし」
シーナはそう言うとその場から立ち上がり、何もないところに向かってシュシュシュと拳を放つ。
確かに長く入院生活をしていたのなら、この世界で健康な体を手に入れられたのはシーナにとって幸福だろう。
「それに……あんたとも出会えたしね」
「お、おう」
なんかシーナが滅茶苦茶デレている。
ツンツンしてるほうがシーナらしいと俺は思うが、こうして好意のある言葉を言ってくれるというのも悪くない。
「そ、それじゃあシーナはなんで元の世界に帰ろうとしてたんだ?」
俺は気恥ずかしくなっているのを誤魔化すべく、話を変えようとしてそんなことをシーナに訊ねた。
シーナは最初会った時から元の世界に帰ろうと躍起になっていた。
それには何か帰らなければいけないという理由があったからじゃないのだろうか。
「そりゃ帰ろうとするでしょ。あの時の私はまだこの世界をゲームだと思っていたんだから」
「あ、そっか」
流石にゲームの中にずっといたいというほどシーナは廃人的な思考じゃなかったってだけか。
「それに……私は元の世界で何も出来ずに、何も残せずに人生を終えたくなかったのよ。だから私は始まりの街から飛び出して、ゲームクリアを目指して戦って、元の世界に帰ろうとしてたわけ」
「……そうか」
あの頃のシーナは俺らプレイヤーがゲームクリアできず、この世界にい続けるという展開を憂慮したのか。
まあ、シーナなら他人任せにして助けを待つという性分じゃないという理由もあっただろうが、本来の行動原理はそこか。
「でも所詮はその程度なのよ、私が帰ろうとした理由なんて」
「……!」
そしてシーナは椅子に座る俺の背後に回って……後ろから俺に抱きついて腕を巻きつかせてきた。
「それにね、今の私は自分が帰れないことよりも……あんたが死んじゃうことの方がずっと怖いのよ……」
「シーナ……」
「クモの魔王の時も……あんたを1人残して3番目の街から逃げた時も……凄く怖かった……バジリスクの魔王にあんたが一度殺された時なんて……胸が苦しくて、何も考えられなくなった……」
「…………」
震えた声でシーナはそう告白すると、俺に頬を擦り合わせてくる。
……シーナの頬は涙で濡れていた。
シーナはいつでも死というものに脅えていたように思う。
それに自分が死ぬ事にも他人が死ぬ事にもシーナは嫌がるそぶりを見せていた。
それは、もしかしたら自分が事故にあって家族を失ったことと関係があるんだろう。
「だから、あんたが戦いたくないと少しでも思って動きが鈍るのなら、絶対に戦わないで。じゃないとあんた……本当に死ぬわよ……?」
「……なんでそこで断言できるんだよ。俺はそう簡単には死なねーよ」
「今まで散々死にそうな目にあってるやつの言うセリフじゃないわよ。しかも一度はもう死んでるし」
「う……」
そう言われると確かに俺の言葉には説得力も何もない。
俺はシーナとバルに守られなかったら今まで何度死んでいたかわからない。
今日だってバルが身代わりにならなければ俺の方が死んでいた。
シーナが考える俺の戦闘評価はとても低いといわざるを得ないだろうな。
「私はもう……あんたが死ぬところなんて見たくないのよ……」
「…………」
……そうか。
俺に限らずシーナはもう、仲間の誰かが死ぬところなんて見たくないんだろう。
バルは仲間を守りたいから命がけで仲間を守るが、シーナは誰も死なせたくないから仲間を守る。
似ているようだが微妙に違う考えでコイツらは俺らを守ってたんだな。
そして今、シーナは俺を守ろうとしている。
戦いから逃げるという道を俺に示している。
しかもその道にはシーナ自身も着いてくるという素敵なオマケつきだ。
俺は、その提案が、とても魅力的に思えてきていた。
「シーナ……俺は、逃げてもいいのか……?」
「ええ、私は良いと思うわよ。逃げたいなら一緒に逃げましょ」
「俺は……この世界から……帰れなくてもいいのか……?」
「帰れなくてもいいんじゃない? 2人で生きていけるならこの世界でも良い人生を送れるでしょ」
「俺は……俺は……修にぃとっ……戦わなくても……いいのか……?」
「戦いたくないなら戦わなくていいわよ。そのことで他のみんながあんたを許さなくても、私だけは許してあげるから」
「う……うぅ……シーナ……しーなぁ……」
俺は……修にぃが怖かった。
修にぃが俺に向けてきた殺気はとても怖かった。
俺が修にぃと再開して思い出したこと全てが怖かった。
修にぃは俺のことを恨んでいる。
修にぃは裏切り者の俺を恨んでいる。
修にぃはあれだけ俺のことを思ってくれていたのに……俺は修にぃを裏切った。
そして俺はいつしか、裏切ってしまった修にぃのことを忘却し、裏切った俺自身を否定した。
だが俺はもう思い出してしまった。
俺は龍児であり、兄は裏切った俺を恨んでいる。
俺は修にぃとまた会うのが怖かった。
誰からでもない、修にぃから向けられる殺意が怖かった。
会ったら修にぃは俺を殺すのだろう。
いや、もしかしたら俺が会いに行かなくても、たとえ俺が逃げたとしても、修にぃなら俺を探し出して殺すかもしれない。
だったら俺とシーナがここで逃げ出すのは愚策なのかもしれない。
それに、もしかしたら本当は、シーナは元の世界に帰りたいのを堪えて俺と一緒に逃げると言ってくれているのかもしれない。
本当はシーナは事故になんてあっていなくて、家族が死んだというのも、シーナが入院生活をしているというのも、俺と一緒にこの世界に残るための嘘なのかもしれない。
シーナは俺のためだけにこの世界に残ってくれると言ってくれたのかもしれない。
……でも俺はシーナに感謝した。
逃げてもいいという逃げ道を作ってくれたことに。修にぃから逃げてもいいと言ってくれたことに。
それが叶うことのない幻想だと知りつつ、俺はシーナがくれたその幻想に、今だけは浸り続ける。
俺はシーナの方を向き、シーナに縋りつきながら泣き続けた。
今の俺はとんでもなくみっともないだろう。
とてもかっこ悪く、見るに耐えない有様だろう。
「大丈夫よ……リュウ……私がついてるからね」
だが、それでもシーナは俺から離れるそぶりも見せず、俺の背中や頭を優しく撫でてくれている。
百年の恋も冷めるレベルだろうに、シーナは俺を見捨てず優しい声をずっとかけてくれていた。
「私はずっと、あんたの味方でい続けるから……」
そして泣きつかれた俺は、シーナの紡ぐ言葉を子守唄にして、ゆっくりと夢の中に入っていった。
気がつくと、白い世界の中、俺の目の前にとても不機嫌そうな顔をした俺がいた。




