学んで、世界!
貰った桃をいそいそと布で包むと、男は訝しげに首を傾げた。
「なんだ、食わないのか」
「! えっと、これは家で待っている…おとうと、の土産です」
ぬさくんのことを何て言っていいのか解らず、少し不自然な言葉になってしまった。
取り敢えず、一番しっくりとくる“弟”と言ってみたが、…きっとぬさくんの前で言ったら顔を顰めて無言で不機嫌オーラを飛ばして来るに違いない。この事は内密にしなければ。
「弟、そうか…。なら、これ全て持って行け」
「え」
「俺は桃は好かん」
戸惑う間に桃を包んだ布を奪われてしまった。そして腕の中にある桃を全て包むと、男はまた断りも無く私の腕にそれを押し付ける。…なんというか、強引な人だ。
「…お前、この辺りに住んでいるのか」
「え!? あ、えっと…住んでいるというか、まあ住ませて貰っているというか…」
「住ませて…? …ああ、なるほど。お前は神職のものか、」
「はあ…」
一体“住ませて貰っている”ことと“神職”がどう結び付くのか解らないが、取り敢えず頷いておく。勝手に想像していただけるのはありがたい、何しろ私はこちらの情勢や社会文化が何も解らないのだ。
(こんど…ぬさくんに訊いてみようかな)
ぬさくんは幼いが中々に賢い。
でもそれは、彼にとって嫌な思い出を呼び起こしてしまうことにならないだろうか。そんなことを考えていると、私のまで腕組みをして立っていた男が話しかけて来た。
「…つかぬ事を訊くが、」
「?」
「この辺りで最近、身寄りのない子どもを見なかったか?」
唐突な問いに、私は目を丸くさせた。
そんな私を、男の真摯な色を孕んだが目がじっと見据えてくる。
「今年で数え8歳になる男児だ。…恐らく、右目を布か髪で隠している」
言って、男は右目を掌で隠すような所作をした。
その様子にハッとする。それは_______今、岩の洞窟で眠っている子どもを彷彿とさせるシルエットだったからだ。
(えっと、でも…ぬさくんは村の子どもで、親が無くて…)
どう考えても、目の前のような身形の良い男と縁のない出自の筈だ。
だがそれも私が勝手に想像した範疇の事、ぬさに関してぬさに直接聞いて知っていることは何一つない。
そんな自分が恥ずかしく思えた。ずくりと疼く胸に気づかないふりをして、男に訊ねる。
「あの、その…名前、は? その子の名前は、なんていうんですか?」
「それは言えん」
「え!?」
きっぱりと返してきた男に思わず声を荒げてしまった。
自分から聞いておいて言えないとはどういうことだ。
「そ、それじゃあ私も探しようが…」
「む。 …お前、探そうとしてくれたのか?」
意外そうに言う男の意図が悟れず、私はまごつきながら答えた。
「え、だって…そういうつもりで、私に訊いたのでは…」
「……、」
何故か男は沈黙した。
どうにも口を出せる雰囲気ではなかったので、じっと黙って言葉を待つと男はたっぷり一拍置いて口を開いた。
「……そうか、探そうとしてくれたのか」
「…まあ、桃と……助けて頂いたのに強烈な肘鉄をかましてしまったので…」
「…ああ、あれは強烈だった…」
男は渋い顔で顎を摩った。その顎は薄らと赤く染まっており、恐らく明日には紫に染め上ることだろう。
「………子どもの名は言えないが、俺の名を教えよう」
「え?あ、あなたの…?」
「ああ。それらしい子どもがいたのなら伝えろ。もし『俺』が探していることに覚えがあるのなら、彼の方が探し人だ」
頷いて見せると、男は僅かに顎を引き姿勢を正した。そして堂々とした様子で、はっきりと名を告げた。
「我が名は片倉小十郎景綱。陸奥国が米沢城の仕える家臣なり」
「はあ、片倉さんですか。わかりました、」
「…」
「…」
「…」
「…あの…、」
当たり障りのない笑みで返したはずが、何故か重い沈黙が落ちた。耐え切れずにふるふる震えながら声をかけると、片倉さんは何やら小声でぶつぶつと呟き始めた。
「神職の者が政や情勢に疎いとは知ってはいたがこれほどとは…よもやこの陸奥国の内で忠臣たる片倉の名を知らぬと…!」
「あ、あの片倉…」
「おいお前!」
「はい!」
「よもや“伊達”氏も覚えがないと抜かすわけあるまいな」
酷い威圧感と共に訊かれ、びくりと肩が跳ねた。いやこれはもう“訊く”というものではない、諾と頷かないものなら飛び掛かってくる勢いだ。まるで餓えた熊を目の前にしたような気分で、私は必死に頭を巡らせた。だて、ダテ…だ、…“伊達”?
「伊達…って、戦国武将の…」
「おお!そうだ、知っているのか。いや、今や伊達氏を知らぬものはそうそういまい。この戦国の時代に終止符を打つべくして、天津神がその英知を分け与えこの地に齎した神童、日の本の7人目の天下人!___陸奥国が国主伊達輝宗様こそが我が主だ!」
まるで我がことの様に誇らしく語る片倉さん。一方、私の中では法螺貝が鳴り響いた。
戦国時代。
それは室町時代後期の100年を指す言葉だ。日本の占有支配権を巡り、多くの兵が家紋と刀を掲げて日夜互いの首印を奪い合った戦乱の時代。
四方原えながが生まれた平成の時代より、500年以上も前の次代のことだ。
(____って、あれ? ちょっと待った。伊達てるむねが誰だか知らないけど…伊達氏が有名になったのって、戦国時代より後のことじゃ…いや、それよりも戦国? 私はそんな時代にきてしてしまったのか!!?)
私は歴史に疎い。なので全ての時代を始まりから終わりまで正しく記憶していない。だからイメージになるのだが…戦国時代といえば、日本の歴史の中でもかなり血生臭い時代じゃないか?…しかもかなり死亡率高くないか?…この“私”が、そんな時代を生き抜けるのか______?
「ふむ、お前も陸奥国に生まれた者ならば、己が国の主の名はしかと胸に刻んでおけ。そしてその忠実なる家臣の名も、」
「…帰ります」
「その名ととも____は?」
「さようなら…」
ゆらりとその場を後にする私の背に、片倉さんが何だが怒鳴りつけていた様な気がした。だが、それに答える余力はなく、私はゆらゆらと幽鬼のように漂いながら岩の洞窟へと戻った。あまりに酷い有様だったのだろう。洞窟に戻ると、何故か病人であるはずのぬさくんに病人扱いされて岩の台座にムリくり寝かされてしまった。神さまは寝ないんだよと説いても、頑なに起させてくれず、私は結局その日一日を台座の上でぼんやりと過ごした。
…森で出会った片倉という男のこと、片倉が探している子どものこと、この世界のこと、そして____ぬさくんのこと。
沢山確かめないといけない事があるのに、どれも知りたくなくて…私は現実から目を背ける様にして台座に丸くなった。
……わたしは、
(わたしは、何のために_____ここに生まれ変わったんだろう…?)
その問いに答えてくれるものは、いない。
昔の名乗り方とかむずかしいです。ちょくちょく改稿するかもしれないです。
とりあえず、序章は終了です。つぎはぬさくん(仮)視点になるとおもい〼。