忘れて、後悔!
共同生活は、もちろんぬさくんが中心だった。
彼の不幸は、元々は私の過失の所為だ。だから彼に元気になってほしくて取り敢えず誠心誠意尽くすことにした。だがこの洞窟にはあまり真っ当なものがない。あるとすれば、見た事のないヘンテコなものばかりで、用途なんて解らずじまいだ。…とりあえず、コップだと思っていた容器が香炉だということは解ったけど。
何時も私が鎮座していた岩の台座はぬさくんに譲った。ついでにふわふわする領布も渡した。ぬさくんは断ったけどむりやり押し付けた。…岩の洞窟なんて居心地の悪い場所に押し込めてしまっている詫びだと言えば、大人しく従ってくれた。その目は酷く不満げだったけど私は適当に笑って誤魔化した。
それから二日ほど経ったころだろう。ぬさくんは見る見るうちに元気になった。でも、最近妙に意識がおぼろげな感じがした。どうしたのか聞くと、ぬさくんは黙った。そうして迷ったように「今は朝か、夜か」と聞かれた。なんということだ。私は神さまの第六感的なアレで「あ、いま朝だな~鶏ないてるー」って解るけどぬさくんはそうじゃないのだ。酷い事をしてしまった!私は慌ててぬさくんを外に連れ出すことにした。
岩道を渡る間、ぬさくんは何故かとても緊張している様子だった。確かに暗いけど、何も怖いものはいないと言えば、きゅっと返事の代わりに手を握られた。かあいいなー。
ひょっこりと岩間を除くと、私が蹴っ飛ばしてぐちゃぐちゃにした堂は綺麗に片されていた。…いや、心なしか以前より派手になっている気がする。ぬさくんを置いて言って暫く、一度だけ村長が訊ねて来たことがある。彼は「生贄は気に入られたでしょうか」「姫様のお怒り、しかとお受けいたしました」「どうぞお鎮まりを」「ついでに雨を」というので、雨乞いはしてあげた。…上から目線なのは許して欲しい。ぬさくんにも言ったけど私人食べる趣味ない!あと人身御供とはそういう習慣は排他すべきだと思うよ!
「よし、誰もいない!おいで、ぬさくん」
「……っ、」
「ぬさくん?」
何故か、ぬさくんは酷く外にでるのを嫌がった。
てっきり彼は外に出たいとばかり思っていたので、その反応は予想外だった。だけど暫く日の光を浴びて「帰るよー」と言えば、何故か帰りの足取りは軽快になっていた。…子どもの考えることは良く解らない。
それから外に出ることが日課になった。基本的に私は木陰で涼み、ぬさくんは辺りをうろうろしている。基本的に私が見えなくなる所には絶対に行かなかったが、偶にいなくなることがあった。…トイレかな?
トイレで一つ余談だが、私はぬさくんと一緒食事をするようにしている。…いや、ほら、一人でご飯って寂しいから。前世で引きこもっている時は、家族に呆れられて何時も一人飯だった。まあ自業自得なんだけど、…そういう無駄な寂しさをぬさくんには感じて欲しくなかった。だけど一向に排泄欲は湧きあがらない。むしろなんか力が溜まっている気がする。なんか今なら嵐でも呼べそうだ。帰り道にぼやいたら、ぬさくんに真顔で「止めて下さい」と言われた。うん、ごめん…言ってみただけだよ、や、やらないってそんな。
そんな日々が続いたら油断していた。
ぬさくんが熱を出して倒れたのだ。
「大丈夫?欲しいものがあったらいって、持ってくるから」
きゅっと絞った布を額に当ててやると、ぴくりとぬさくんの肩が跳ねた。その時落ちた袿を引いて戻してやる。…布も袿も、ぬさくんが来てから集めたものだ。元々は私への供物なので、たぶんくすねても怒られない。うん、たぶん。きっと…。
「ご、めんなさい……手間を、」
「あーいいよそんなこと。それより辛かったら言ってね、最悪私がお願いして治してあげるから!」
「この位しぜんに治ります」
意気込んだのだが、ムッとした顔で返された。うん、そうだよね、ごめん。
(だけど…ぬさくん細っこいからなぁ…心配だな…)
私はそっとぬさくんの手を握った。気にならない程度にゆるく囲い、安心できるように手の甲を撫でてやる。そうすると、ぬさくんが目を丸くして私を見上げて来た。
「…いや?」
ぬさくんは小さく「いえ」と言った。
「暫くこうしているね、煩わしかったらすぐに辞めるから」
返事の代わりに、きゅっと手を握り返された。子どもらしい仕草に思わず笑みがこぼれる。私は汗でへばりついたぬさくんの髪を掻き分けるように梳いてやりながら「お休み」と言った。まるでその言葉がスイッチであったかのように、ぬさくんはすうと目を閉じた。ほどなくして聞こえて来た寝息、私はほうと息を着く。
(そういえば…ぬさくんのコレ、なんなんだろう)
ぬさくんは顔の半分を、何時も大きな布で覆っていた。見るからに言及されたく無さそうなものなので、今の今まで触れた事もなかった。…だが、こうして寝ている姿を見ていると、妙に気になってしまう。
ぬさくんは愛らしい容姿をしていると思う。髪は綺麗な黒で、毛質は細いため触っていると気持ちが良い。瞳も同じ黒色で、少し切れ長だが彼の顔立ちに似合っていると思う。古き良き日本男児という面立ちだ。
(手先も器用だし、いうことないな)
何時でも嫁に来い。
そんな不埒な事を思いながら、ぼんやりと顔を覆う布を眺めた。…うん、この布ばっちいな。新しい布とか供物から漁ってこようかな。でも上げたら機嫌悪くするかなー…ぬさくんの不機嫌スイッチで今一良く解らないんだよね…。
(何時か聞けたら良いな…)
そして、彼が村に戻ってしまう前にちゃんと顔をみてみたい。
そう思いながら私はぼんやりと瞑目した。眠気はやってこなかったけれど、
数日経って、ぬさくんは無事に回復した。でも心なしがフラフラしているので台座からは起きてはいけないと言いつけてある。不満そうにながらもきちんと言いつけを守ってくるぬさくんは本当に良い子だ。なのでそんなぬさくんのために、私は少し遠出をすることにした。
私とぬさくんが食べるものは大抵果物か野菜だった。供物からくすねることもあるが、外に出て収穫することもある。岩道の一本が、果実樹が茂る森に繋がっている。そこで心の中で謝りながら果実を盗むのが、既に日課となっていた。
(とは、いえ___これってやっぱ窃盗罪なのかなっ…く!)
登った木の枝から落ちないように気をつけて腕を伸ばす。ぷるぷると震える腕を限界以上に伸ばし、目当ての果実を捥ごうと血気になる私は余所から見ればさぞ滑稽なのだろう。その証拠に、鳥やらネズミやらがやたらと見に来るしね!いや見てないで手伝えよ!
一度懐かれているのかと思って近づいたことがあるが、全力で逃げられた。でもトテトテと戻って来てじっと見つめられるので嫌われているわけではないらしい。…でもぼうとしていると、360度動物たちに囲まれという謎のバリケード現象が起きるので適度に追っ払うことを忘れてはいけない。何事もほどほどが一番…
「くそっ…と、とどかな…い!」
再度、ぐっと息を吐いて体を伸ばすも指先が掠める程度で採れない。
私が今狙っているのは桃だ。果実樹の森にも殆どない桃の木で、前々から目を着けていた大振りの実でもあった。是非とも、病み上がりのぬさくんにあげたい!
「ふぁ、ふぁいとーっ!」
いっぱーつ!
一人で掛け声を重ねる私を、鳥が小首を傾げて見ていた。くそ…!お前見てるなら手伝え!お前の目の前にある実をちょっとこっちに寄越してくれるだけで全てが丸く収まるんだよ!
「こんちくしょー!」
痺れを切らして体を思い切り伸ばせば、その手が漸く桃へと届く。がっしりと掴み採った桃に私は満足感から満開の笑みを浮かべる。だが体はぐらりと傾いた。
(あ、やべ)
頭の中で顔を真っ赤にして「なにしてんですか!!」とぬさくんが怒鳴った。うん、本当に何してんだろうね私。
ゆらりと下降する体に、神さまって落下死するのかなーなんてぼんやり考えていると「ばかー!」と言う叫び声が聞こえた。…ばか!?馬鹿だと!?一体誰の事いってやがる!!
「ばかじゃないー!」
「ごぶふ!」
叫んで捩じった腕が何かに勢いよく当たった。あ、と思った時には遅く、私はべしゃりと___私を助けようと走って来てくれた人と共に地面と仲良しになった。…うでいたい。
「…全く、こんな人気のない場所で女人が木登りなど…聞いて呆れる」
「…すみません」
「するなとは言わない。だが、付き人の一人や二人…後その服もだ、もっと行為に適したもの着て来るべきだ」
「…すみません…いやもう本当に反省しています、もう二度としません。神に誓って、……なのでもう帰って良いでしょうか」
「とりあえず俺の前に出て来い、話はそれからだ」
私の所為で真っ赤に腫れあがった顎を摩りながら、男はギンッとこちらを睨みつけてるもので私はますます縮み上がる。出て来いと言われながら、するすると木陰に戻る私を、男の視線が責める様に睨んで来た。こ、こえー!
「あ、あの…助けて頂いたことは本当に感謝しています…!ですが、その…」
「言いたい事はハッキリ言え!」
「わわわわたくし他人と顔を合わせるということが大層苦手なものでしてどうぞ寛大なご処置を頂けないものかと嘆願いたします!」
もうこの人ほんと恐い!帰りたい!!誰とも関わらなくて良い穴倉に帰りたい!!!
私はぎゅうと木陰に体を縮ませて耳を塞いだ。宝冠が額に食い込んで少し痛い、だけどもう何も聞きたくなかった。なにも…なにも、
『へんなこー』
それが、私という人間に付随する言葉だった。
私はただ綺麗なものをキレイだと、好きなものをスキだと、美しいものをウツクシイといっただけなのに、それだけの価値観も感性も許されなかった。学校と言う名の箱庭では、均等が全て。一体が絶対。異なるものは排除される。_____そんなもの、理解なんかしたくない。
ああ…どんどん私がちがうものになっていく。きもちわるい、わたしはだれ、あなたはだれ、どうなれば良いの、どうすれば良いの、右を向くのね、左を向くのね、解ったわあなたにしたがう、みんないっしょが良いもの、みんなおなじなのが素敵だもの、一緒にならないと、おなじでいないと、違うのだめ、ちがうのだめちがうのだめちがうのだめ、またひていされちゃう、きもちわるいっていわれちゃう、いやだいやだ、なかまはずれになりたくない、いっしょにいれてほしい、ひとりはいやだ、だからねえ
「そのために、あなた今度はダレになるの?」
「______おいっ!」
「っ!?」
思考が追いつかない程の速さで意識が集束する。直後、びくりと体が大きく奮えた。余韻が収まらず、ガクガクと震える体をぎゅっと抱きしめる。…大丈夫、落ち着け、おちつけ…、
「おいっ本当に大丈夫か!」
「す、すみません、大丈夫です…」
焦れる男に、力無く笑って返す。ひとまず安心して貰おうと思ってそうしたのだが、どうやら逆効果らしい。男は酷く忌々しそうに眉根を寄せた。あ、どうしてだろう。そういう顔して欲しかった訳じゃないのに。
(…どうして私、いつも上手くできないんだろう)
ぎゅうと着物を握り締める。
おなじものを目指しているはずなのに、何時も私はみんなと同じようにできない。
様々な気持ちがぐるぐると渦巻いて、男の顔を見ていることができず、私は俯いてしまった。すると、すくりと隣に寄っていた男が立ち上がるのを感じだ。…このままいなくなるならそうして欲しい。これ以上情けない自分を、赤の他人であろうと見られたくなかった。
(あ、ぬさくんに…桃、とってあげないと)
先ほど捥げた桃は、落ちてしまった時に潰れてしまったからまた新しいのを捥ごう。ああでも、あまり捥ぎすぎるとここの権利者に気づかれてしまうだろうか。
そんなことを悶々と考えていると、不意にざっと言う足音が聞こえた。同時に大きな影がかかり、何かと緩慢に頭を上げると甘い香りがした。
「ほら」
「_____、」
眼前に差し出されたのは良く熟れた桃だった。
「やるから元気出せ。…もっと必要なら、俺が採ってやる」
「…」
そう言う男の腕には、既に沢山の桃が抱かれており私は言葉に詰まった。
なんと答えたら良いか解らず、取り敢えず差し出された桃を受け取ると、ずっと強張っていた男の顔が少しだけ解れたように見えた。
「…ありがとう、ございます」
「おう」