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ねえ神さま、この気持ちってなんですか?

「キャ――――――――――――――――――――!!!」



洞窟の中に高い女性の声が響いた。

がばりと跳ね上がる様に起きると、背を向けて逃げ出した。と、思ったらまた勢いよく戻って来た。


「あ、あの…痛い所ない?怪我は、辛くない?おおおお腹は!?空いてる?水もあるよ!あるんだけど今はないから取ってくる!!ほしい!?」


涙で濡れた大きな瞳がずいと近づいてきた。突然の事に驚いて後づ去りをしてしまう。その時、はぎ取ってしまった宝冠の玉旛がチリリとなった。そうだ、なんてことをしてしまったんだろう。予測できなかったとはいえ、女性の髪飾りを剥いでしまうなんて無作法にもほどがある。謝ろうと思うが、上手く言葉がでない。…なにを怯えているのだろう、もし…もしも、この人に怒られたら…嫌われたらと思うと、…言葉が、でない。


「…」


苦し紛れに、小さく頷いて見せた。すると、女性はパッと笑った。まるで花が咲く様な鮮やかなそれに、息ができなくなりそうだった。言葉を失ってしまったぼくを置いて、彼女はすくりと立ち上がり「とってくる!」と再びバタバタと洞窟を後にした。


(い、いちゃった…)


消えた足音に気を配りながら、そっと洞窟内を見渡した。

広くも狭くもない洞窟だった。滑らかに削られた岩面には蝋燭が設けられ、洞窟内を明るく照らしている。側面には仏具を彷彿とされせる様々な道具が放られている…埃は被っていないが、まるでずっとそこに置かれているような長い年月を感じた。


この体は、その洞窟の中央に設けられた台座に横たえられていた。丸く整えられた岩が幾重にも重なったそれは、岩の花のようにも見える。


(これ…なんだ、)


身体に絡まっている布をはぐと、それはふわふわと宙に浮いた。驚いて手を放すと、それはするりと手を抜け、台座の隅に綺麗に折りたたまれる。なんだこれ、なんだこれなんだこれ。…ここはどこだ、ぼくは、…


(あの人、…“なん”なんだ……?)


「もっもってきたよー!」


回り始めた思考は、バタバタと戻って来た彼女に遮られた。

押し付ける様に渡された茶碗を見て思わず言葉を失った。それは仏具の一つで、具足と呼ばれる香炉の一種だった。中にはたっぷりと水が入っていて、器はひんやりと冷たかった。だけど香炉、だけど具足。


具足ぐそく…」


思わずつぶやいてしまってハッとした。

ちらりと見上げれば案の定、彼女が不安そうな顔をしていてぼくは考える間も無く香炉を煽るという暴挙に出た。…なんでだろう、悲しい顔は見たくないと思ったから。あれ、香の香りがない…灰の味もしない、


「…香の匂いしない」

「あああ、あのねっそれ至って普通の水だから、だから、大丈夫だよ、変なの入ってないから!」

「…はあ、」


元よりその心配はしていない。

だけど彼女があまりにも必死に訴えてくるので頷きを返した。というか、これ…本当に水だろうか。一口飲んだだけなのに、…とても充足した気分だ。身体も心なしか軽い、


「…あの、ここは……あなたが、助けてくれたんですか…?」

「へぇっ!?」


訊ねると彼女は変な声を出した後、パッと口を両手で塞いだ。ああ、やってしまった。もしかして訊いてはいけないことだっただろうか。不愉快に、させてしまっただろうか。咄嗟に謝罪をしようとしたけれど、やっぱり言葉が上手く出ない。異様な心地悪さにぎゅっと眉を寄せる。そんな姿を憐れんでくれたのだろうか、一拍置いて彼女がしどろもどろに答えてくれた。


「えっと、あの…助けた…ことに、なるのかな…えっと、」

「ここ…洞窟、…ここに、住んでるんですか?」

「住んでるとか間借りしているというか…借り暮らしというか…」

「磐の中に…住んで、」

「えっと…病むおえずというか、他に行く場所もなく…その…」

「その袿、上物だから…姫かと、」

「ああ、そう呼ばれることもあるよ!……ごめん!いまのなし!そんなことない!呼ばれたこと無い!!」


「……あなたが、『岩永の姫神様』…?」


積もる確信に僅かに上ずるぼくの声とは反対に、彼女は顔を真っ青にした。

どれくらい間があっただろう。酷く長い“一瞬”だったように思う、彼女の答えを待っている間ばくばくと脈動する心臓が爆発しそうだと思った。一拍、二拍…幾拍か置いて、漸く彼女の口角が震えた。


「っち、____違うんです誤解です!私はそんな高尚なものではないのです!」

「え、…」

「確かに、なんか神さまとか呼ばれて、私神さまだよーとか調子乗っていろいろしていたけど、スミマセン出来心なんです!!」

「でき、え、?」

「魔が差したんです!ただちょっと人に尊敬される人生送って見たかっただけなんです!本当にごめんなさい!私が居眠りしていたばっかりに…!まさかこんな大事になるなんて露にも思わず…!」

「居眠り…」


「もうこの身を煮るなり焼くなりしてかまいません!未練はありません!!なんなら腹掻っ捌いてお詫びいたします!!」


意味が解らない言葉を捲し立てた挙句、ガバーっと脱ぎだした彼女のぼくは赤面を通し越して血の気が引くのを感じた。なななな、何してるんだこの人!!!ほんとなにしてるんだ、こ、子どもとは言え男の前だぞ!!


薄らと肌色が透ける肌着一枚になっても尚も脱ごうとする彼女に、ぼくは思わず手をだした。脱ごうとする彼女の袿をひっぱり全力で叫ぶ。


「早まらないで下さい!!」


……思えば、こんな大声で叫んだのは初めてかもしれない。








「はあはあ…つ、疲れた…」

「ゼェゼェ…」


…幸運にも、どうやら彼女はあまり威勢の…いや威勢はある。体力が、ある方ではなかったらしい。ぐったりと岩の上に倒れ込む姿を見て、内心ほっとした。…あのまま脱ぎだしていた、いったいどうなっていたことか…。


「…」


考えると、酷く俗物的な自分がいて恥ずかしく思った。

恩人に…神さまに対して、何を考えているんだ!


だけど、隣でぐったりと倒れる彼女をみるとまた変な感情が起き上がる気がした。…最後の一枚を死守したが、彼女は未だ肌着一枚だ。うっすらと汗を掻いたせいで、白く傷一つない背が透けていた。ぼくは無言で彼女を着付けた。放って置いたら何時までもそのままでいるか…最悪、また脱ぎだすと危惧したためだ。


(そんなことされたら…たまったもんじゃない…)


「…お手数をかけてして本当にごめんなさい…」

「…いえ、…助けていただきましたから…」


彼女は大人しく従ってくれた。悪びれた様な声で何度も謝って来た。……謝るべきは、ぼくの方なのに。汚い骨ばった指が豊かな彼女の肌に触れる度に、酷く背徳的な気分になった。反射的に叫びそうになる謝罪の言葉をぐっと飲み込んで堪えた。…言おうものなら、もう二度と、こうすることができない気がしたから。


「腕上げて下さい」

「え、あ、はい」

「上げ過ぎです」

「すみません」


(謝らなくて良いのに…)


慣れない手つきで、それでも虚勢を張って着付けて行く。着付けなんてしたことがなかった、でも…母が着付けられる所を何度か見た事がある。その記憶を頼りになんとか形にしていった。どうやら自分はこういうことが得意らしい、思いのほかすいすいと進む作業に内心ほうと安堵した。


少し余裕ができると、彼女の様子に気を配ることができた。なにやら酷く得心が言った顔で頷いていて、……好機の心に耐え切れず、訊ねてみた。


「……なにを、頷いているんですか?」

「え! あ、なんでもないよ、うん、」


答えはもらえなかった。その事実に、胸の奥がぎしぎしと軋んだ気がした。上手く息ができない、苦しい。気持ち悪い。


唐突な体の変化に頭がぐるぐるした。何が不必要なものに思考をかき乱されている様で、酷く不愉快だ。その感覚から逃げたくて…彼女にそれを悟られたくなくて、適当な話題を探った。そうして先ほど奪ってしまった宝冠を思い出した。


「……これ、お返しします」


声は上ずっていなかっただろうか、不自然ではないだろうか。

そんな不安を余所に、手に取って見せたものを前に彼女はゆっくりと瞬きをした。


「宝冠を…、高価なものを、乱暴にしてしまって、申し訳ありません」


許されないのなら、許して貰うためになんでもしよう。そんな決意と共にした謝罪に、彼女はあっけらかんとした笑みでこう答えた。


「え、これホーカンっていうの?」


………言葉を良くよく失う日だった。

きつく結んで差し出した決意をぽんと返された気分だ。強い思いが行き場をなくして、自分の中で途方に暮れているのが良く解った。


「あ、…えっと…」

「……つけ方、わかりますか」


だけど口から出たのはそんな言葉だった。

くるくると回る表情が、泣きだしそうに歪んでこくりと頷く。その様子に、なぜか胸に蟠っていた濁りがすうとなくなっていくのを感じた。


「…つけますね、」

「何から何まで本当にすみません…」


彼女の額に宝冠を結び、あまつさえその絹のような髪に詫びもなく触れながら思う。やっぱり……謝るべきは、ぼくの方だと。


彼女の髪は、とても柔らかくて……ずっと、触っていたいと思った。



「えっと…お名前、なんて言うの?」


着付けが終り、僅かに落ちた沈黙を破ったのは彼女だった。予想外の投げかけにぴくりと肩が跳ね上がってしまう。ああ、と思った時には遅く、弾かれるように見上げた先で彼女は顔を真っ青にしていた。


「ごごごごめん!言いたくなければべつに言わなくて良いよ!」

「べ、べつにそういうことじゃ……気を、ぼくなんかに、つかわなくても…だから土下座は止めて下さい」


失態だった。…不安にさせたいわけでも、謝らせたいわけでもないのに、こうも上手くいかない。自分の不甲斐なさに吐き気がした。その所為で言葉に棘ができてしまった。情けない情けない!……それでも、咎めることもせず、そっと身を直して言葉を待ってくれる彼女の姿が…尊く、まぶしい。そうしていると余計に自分の醜さが際立ち、みすぼらしさに顔を上げらず、地面を見たままに……村で使っていた名前を答えた。


「…ぬさ」

「え?」

ぬさです、……なまえ、」


嘘ではない。村ではこの名前で通っていたから。…だけど、とても後ろめたい気持ちになった。もうしかしたら取り返しのつかない事をしてしまったのかもしれない、そんな焦りがじわじわと脳裏に広がる。だけど同時に、生家のことを…母の、そして“血統”を知られたくないと叫ぶ自分がいた。込み上げる激情を抑える為に、自らの爪を腕にたてた。いうな、いうな、いうな___!



「ぬさ」



まるで言葉が意志を持っているようだった。

彼女の口から唱えられ、優しい意志をもったそれはすとんと心の中に落ちて来た。そうして、元からそこにあるためにあったかのように溶けて馴染む彼女の声に耐え切れず、気づいたら彼女を請う様にして見上げていた。呼んでほしい、もっと呼んでほしい。


あなたに呼んでほしい。


そう思った。まるでそれが解っている様に、彼女は鮮やかに微笑んで見せた。


「わ、わたしはね、えながっていうの!ひらがなで、えなが」

「え、名前…あるんですか」

「あ、あるよそりゃー!失礼だなー!」


腕を振って怒る彼女に、ぼくはどうにかなりそうだと思った。嬉しい、嬉しい嬉しい!考えもしない僥倖を前に、口元が緩みそうになった。それを必死に堪え、教えて貰ったばかりの言葉を、馴染ませるように何度も心の中で唱えた。


「えなが…様、」


そのひとつが、耐え切れずに舌に乗ってしまった。やってしまった、咄嗟に謝ろうと顔を上げると、何故か彼女はきょとんとした顔で不満げに訴えて来た。


「えながで良いよ、ぬさくん」

「くん?」

「くん?」

「くんってなんですか」


ぬさ、くん。君、___そこから連想される最悪の可能性にぞわりと背が粟立った。それを否定して欲しくて言葉きつく訊ねてしまう。…彼女は一拍置いて「ぬさって呼んで良い?」と訊いて来る。…話を反らされた、それ以上追及するなということだろうか。


近づいたと思ったら、明確に線引きをされた気分だった。


そこからここには入ってくるな。…綻ぶような笑みとは違う、造られた彼女の笑みにそれ以上何も言うことはできなかった。


「……えなが様は、ぼくを食べるんですか」


ぼそりと呟いた言葉は、自虐の意味が強かった。明確に示された立ち位置に、酷く悲観的になっていた。…思い上がっていた自分が恥ずかしかった。そんな自分をこれ以上彼女に…えなが様に見て欲しくなくて、それならばいっそ食われたいと思った末の言葉だった。だが、彼女はぼくの言葉に酷く狼狽えた。


「ん? ……ンー!? えっと、え、なに?たべ、たべ…は?なにを!?」


…その顔には「解らない」と書いてあるようだった。

打って変わって、目覚めたばかりの…ぼくをうぬぼれさせるえなが様が返ってきた。そのことに何故か肩の力が抜けた。ああ、そうだ。これが良い、この距離が良い。


「……もう結構です、食べないんですね。解りました、」

「え、それはどうも……」


冷たく返した言葉だけど、彼女は普通に答えてくれる。…この距離、この距離を忘れずにいよう。自分から近づいたら駄目だ、そうしたらまた…彼女に遠ざけられてしまう。この距離を、忘れるな。


「えっと、ね。ぬさくん」

「………なんですか、」

「私考えたんだけど、取り敢えずここで休むと良いよ。元気になるまで私頑張ってお世話しますから」

「え、えなが様が、ぼくがじゃなくて…?」

「えながで良いってば! うん、私がお世話するよ。それでね、元気になったら村に戻りなよ。大丈夫!ぬさくんが戻れるように、私村のお願いいっぱい叶えるから!任せといて!!」


意気込むえなが様に、ぼくはどうして良いか解らなかった。村に戻る?___そんなこと、考えてすらいないというのに。それでも…それを口にするのは、彼女の優しさを無碍にする気がしてできなかった。


拳を突き出すような姿勢をするえなが様を見ながら、思う。彼女の言を思うに、やはり彼女は神さまのようだ。


(この人…もう自分が神さまだって隠す気もないんだな…)


どうして人の似姿なのか。何時から此処にいるのか…何時かは、天に返ってしまうのか。沢山の疑問がった、不安があった。……えなが様のことを、もっともっと知りたいと願った。


「がんばろー!おー!」

____ああ、えなが様。村なんて放っておいて、ぼくの願いを叶えてください。


張り切る小さくて、でもとても大きな背を見ながら思う。ずくりと、腹の下がナニかが疼いた気がした。



かくして、…ぼくとえなが様の生活は始まった。


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