親友はラバー
椿ちゃんの研究所は迷宮のようになっている。
外観からは想像もつかない程に広くて、扉も沢山ある。
よくこの研究所を訪れるしーちゃんですら、未だに椿ちゃんの研究室が何処にあるのか判らないそうだ。
常連であるしーちゃんでさえ迷うのだから、私などは途方に暮れるしかない。
廊下の真ん中で立ち尽くしていると、前方から人が歩いてくるのが見えた。悪いことの後には良いことがあるものだ。
人影に近づくとそれは女中であることが判った。声をかけ、椿ちゃんの研究室の場所を訊く。
「椿様にご面会ですか? 失礼ですがお名前は?」
声に電子音が混じっている。どうやら絡繰りのようだ。女中の絡繰りとはまた珍妙な発想だ。なかなか思いつくものではない。
椿ちゃんは研究室から外に出ない上に、従業員を雇わない。人との交流がほとんどないのだ。だから人型の絡繰りを作って寂しさを紛らわしたかったのだろう。
こうして言葉でもってコミュニケーションを図ることが出来るように設計してあるのがその証拠だ。
それにしても随分と精巧に作られている。声に電子音が混じっていなければ絡繰りだということが判らないくらいだ。
私は人としての礼儀も兼ねて自分の名を告げる。
「承りました。椿様のご友人の方ですね。私は式色式絡繰り給仕第四号。略称、露草。よろしくお願い致します。こちらへどうぞ。研究室へご案内致します」
露草さんはモップをかけながら先導する。働き者だ。手入れの行き届いた着物姿から察するに、彼女は有能で、とても頼られているのだと言うことが判る。
私は、忙しそうですねと彼女を労った。
「忙しいと言うことは私にとって至福です。私は産みの親である椿様の為に尽くすのです。それと私には三人の姉がいるのですが、一つ上の姉は恩知らずで、椿様のもとを離れてしまいました。彼女のようにはなりたくないというのも私が熱心になる理由の一つなのです」
絡繰りの世界も複雑らしい。家族関係というのは何処にでも付いて回るものだということか。
そう言えばしーちゃんも四人姉弟だった。彼の劣等感を化物のように変質させてしまった原因はその姉弟達にあるのだが、露草さんの一つ上の姉はどうなのだろう。やはりしーちゃんと同じように劣等感に苛まれているのだろうか。
露草さんがプレートの掛けられた扉の前で止まる。
プレートには『椿博士の研究室』と記載されている。
どうやら無事に辿り着いたようだ。
露草さんが扉をノックする。
「お客様がみえております」
中から、入ってくれと言う声が聞こえた。
露草さんが扉を開け、どうぞと促す。
色々な絡繰りの置いてある研究室の隅の椅子に、椿ちゃんはかけていた。
「おや?」
椿ちゃんは私の顔を見るなり、幽霊にでも会ったかのように目を丸くした。私がここに居るのが不自然であるとでも言いたそうな顔だ。
「君がここに来るとは思わなかった。実は先ほど標くんが君を捜しにここに来たのだよ。君の事務所に続く橋が消失しているとか言っていたから橋職人を紹介したのだが」
なんと奇遇なことだろう。しーちゃんがここに来ていたとは。しかも本当に私を捜してくれているなんて。きっと心配してくれているのだろう。それは私にとって喜ばしいことだ。
彼がここを訪ねたのは頼れる友人が椿ちゃんただ一人だったからに違いない。
「なんでも君は、突然消えてしまったらしいじゃないか。どうやってここまで戻ってきたんだい? というか今まで何処にいたんだい?」
椿ちゃんは矢継ぎ早に質問を重ねる。
この態度からするに、私があの部屋に飛ばされてしまった原因が、椿ちゃんの作った転送装置にあると言うのは間違いだろう。
私は今までの経緯を説明した。
「なるほど。しかし転送装置が原因であるというのは間違っていないと思うよ。アレは座標指定にマンホールを使うから、君がマンホールに立った瞬間に誰かが転送装置を作動させたんだね」
椿ちゃんは無邪気な笑顔で説明する。
私は自分を恥じた。椿ちゃんは悪意に動かされて研究をしている訳ではないのだ。彼女にあるのは純粋な探究心だ。探究心というのが果たして純粋なものなのかという邪推はあるにしても、この義理堅く、善良な研究員に悪意などと言うものがあろうはずがない。
なにより椿ちゃんは私の友人だ。大切な友人だ。親友と言っていい。その親友を疑うと言うことは、コーヒーに唐辛子を入れるのと同じくらいの妄挙だ。
全く不当極まることである。
私は謝罪する。
「いやいや。私が疑われるのは仕方のないことさ。いつも無理矢理研究に付き合わせているからね。そんなことよりも私が得心行かないのは、君の目的だよ。標君のもとへと戻ることが目的なのか、自分が転送装置に依って飛ばされてしまったことの真相解明が目的なのか、それが良く判らない」
言われてみれば確かにそうだ。私は終始しーちゃんのことを考え、彼のもとへ帰るのだと自分に言い聞かせながらも、自分が消えたことの真相を探っていた。
椿ちゃんの言う通り、目的が定まっていない。
ここは今後の方針について再確認する必要がありそうだ。
「まあこれからもいきなり飛ばされるかも知れない不安はあるだろうから、はっきりさせておくに越したことはないね。とは言え、君を転送させた人物が誰であるかというのは判っている」
そうなのか。私は身を乗り出す。
「家奈美望さ。標くんのお父さんだね。この前転送装置が欲しいと訪ねてきたから売ったんだ。転送装置はこの世にあの一台しかないから、彼で間違いないだろう」
家奈美侯爵か。あの人の所へ行くとなると腰が重くなる。私は彼が苦手なのだ。
家奈美侯爵は決して悪い人間では無い。むしろ悪しきを挫き、弱きを助ける、ヒーローを生業としている人なのだ。だから彼のことを悪く言うのは気が引けるのだが、彼は私に気があるらしく、ことあるごとにちょっかいをかけてくるのだ。
それに彼は息子であるしーちゃんのことを軽蔑している。彼の所へ行けば、しーちゃんに対する悪口を聞かされるに違いない。私はそれが何よりも嫌だった。
「とりあえず彼を説得するのが第一の目的だが、家奈美侯爵がそれに応じなかった場合はこれを使いたまえ」
椿ちゃんは私にリモコンのような物を持たせる。
「それは転送装置の自爆スイッチだ。君のことだからあまり心配はしていないが、いざという時は破壊すると良い。私としても自分の研究が悪用されては良い気持ちがしないしね」
私は有り難く自爆スイッチを受け取った。
「侯爵の件が解決したら、標くんの家に真っ直ぐ向かうのが良いと思う。もうすれ違いはご免だろう? 自宅ならば不在であっても、待っていればいつかは帰ってくるし」
椿ちゃんの意見に同意する。寄り道は必要ないだろう。
家奈美侯爵の家を訪ねることで、しーちゃんに無用の心配をかけるのは忍びないが、後で説明すれば判ってくれるだろう。彼は物分りが良いのだ。
さて、そろそろお暇することにしよう
私は椿ちゃんに別れを告げ、研究室を後にする。
最後に後ろから椿ちゃんが、また遊びに来てくれたまえと言うのが聞こえた。
本当に心強い友人だ。