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父親殺しのヘテロセクシュアリー

 三匹の狛犬が唸り声をあげているのが見える。

 あまり近づきすぎると噛まれてしまうかもしれないので少し距離をとっている。ここで腕でも獲られようものなら私は本気で泣いてしまうかもしれない。腕を獲られるのは痛いし、何より今はスペアがない。心ちゃんなら替わりの腕を用意してくれるだろうが、これ以上心ちゃんに助けを求めれば多少なりとも後ろめたさが生まれる。それだけは避けたい。

 そんな訳で私はとても用心しているのだ。

 三光年ほど離れているが私の声は彼らに届くだろうか。私の声量ならば届くと思うが、少し心配だ。

 声を大にして彼らに、何故君たちは三匹なのかと問うてみた。

 すると彼らはまるで人間のように大笑いした後、互いに頭をぶつけ合い、最後に残った一匹が、これでも我らは矛盾しているだろうかと私に聞いた。

 私は矛盾していると答えた。

 最後の一匹は観念したようにその場に伏せ、帰ってくれと言っていそいそと泣き始めた。こんなに嬉しそうな泣き姿は見たことがない。ある種芸術的であると言っても良い。

 しかし私には芸術を楽しんでいる時間はないので最後の一匹の横を通り過ぎて外に出た。

 外は雪が降っていた。雪には毒性がある。私は免疫があるので、毒にあてられても問題ないが、しーちゃんは雪に免疫がない。流石の彼もそろそろ私のことを捜し始めたに違いないだろうから、ちゃんと雪を凌げているか心配だ。

 兎にも角にも現在地を把握しなければなるまい。

 辺りを見回す。目に映る建物は全て老朽化している。どうやら瓦礫の街のようだ。

 退廃的な雰囲気を持っているだけあってこの街は世界最先端の都市である。

 今私がいるのは大通りの近くの住宅街だ。寂れた煉瓦の建物が計算された間隔で行儀よく建てられている。

 椿ちゃんの研究所はここから北東の方角に見えるチェーンの喫茶店から目と鼻の先にある。目と鼻の先程の距離と言うからにはそれなりに時間もかかるだろう。何事もなければ良いが。


 歩みを進める。狛犬達には申し訳ないが、治療は後に回させてもらう。

 運が良ければマンションの住人が気付いて、蘇生を行ってくれることだろう。

 雪道は多少歩きづらいが自分の足跡に雪だるまが群がっていく光景は見ていて楽しい。

 ただ、私の足跡は高熱を放っている為、群がった雪だるま達は立所に溶けてしまう。

 少し心が痛い。

 街はしんと静まり返っており、気を紛らわす音が聞こえてこない。それがまた感傷を加速させる。

 溶けていった雪だるま達に思わず敬礼をしていると、突然声をかけられた。

「オイ! 手前、金寄越せよ!」

 今この場所には私しかいないのだから、この雨のようにしっとりとした声は私にかけられた声に違いなかった。

 声のする方を振り返ると、そこには可憐な少女が肩を怒らせながら私を睨みつけていた。


 魔法少女だ。


 私はそう確信した。この少女が着ているアルミ製のドレスは、主に魔法少女の作業服として重宝されている物だ。しかし今時魔法少女などという職業を営んでいる者が存在しているとは意外だ。

 魔法少女はこの瓦礫の街ではほとんど廃れてしまった職業だ。それは探偵が幅を利かせたことに由来する。

 探偵は優秀だった。失せ物探し、浮気調査、ベビーシッター、炊事洗濯、どれをとっても魔法少女は探偵に敵わなかったのだ。

 探偵が世間一般に認知されると、魔法少女から探偵に籍を移す者もいたが、やむない事情で魔法少女を抜けられなかった者もいた。この少女は転職に失敗した口なのだろう。

「オイ! 聞いてんのかよ!? 金寄越せってんだよ!」

 少女は怒っている。

 私は何とか宥めようと言葉を探す。

「無視してんじゃねえ! オマエ、私が魔法少女だからって馬鹿にしてんだろ!? 馬鹿にするくらいなら金寄越しやがれ!」

 少女はどんどん怒りのボルテージを上げていく。黙っているのは得策ではないかもしれない。

 私はお金は持っていないと伝えた。

「うるせえ! だったら金寄越しやがれ!?」

 駄目だ。全然通じない。

 私は最後の手段とばかりに少女の手を握る。

 アルミ製のドレスでは体も冷えるだろう。体が冷えれば精神は燃え上がる。それはまるでこの世の真理のように正しく、間違いのないことだ。

 だからせめてこのプルタブのように小さな手だけでも暖めてあげられたなら、彼女の怒りも少しは収まるだろうと思うのだ。

 少女の両手を包み込み、息を吹きかけ、摩る。

 すると少女は段々と肩を落ち着けていき、小さな声で、金寄越せよと言った。

 どうやら多少の効果はあったらしい。私はもう一度、お金は持っていないと伝えた。

「じゃあ食べ物をくれ。早くしないと母様が死んじまうんだ」

 どうやら彼女の母親は病床に臥しているようだ。しかし寝間着一枚の私には食べ物すら譲ることができない。

「じゃあどうすんだよ!? このまま母様に死ねってのか!?」

 どうすると言われても困る。魔法少女の不遇についてはその仕事を奪った身として、痛い程理解しているつもりだし、もしこの少女が私の事務所を訪ねてきたなら何でも協力しようと思うが、今の私はほとんどプライベートなのだ。人を助ける心意気はあっても、準備はない。もっと言えば、今は自分を助けている最中なのだ。人を助けている余裕はない。


 どうしたものか。困り果ててしまった。

 正直な内心を打ち明ければ、私はこの少女を助けてやりたい。探偵として、助ける義務もある。それも二重の意味で。

 見ず知らずの寝間着姿の女に声をかけると言う冷静さに欠ける行動は、彼女の母親の容態がいよいよ切迫したものとなっていることを示している。必死なのだ。

 私が私である為には、この娘を救う意外に選択肢などないように思える。ここで見捨ててしまっては私は罪の意識から、世界を捨ててしまうかもしれない。

 しかし方法がない。今この場には私たち二人しかいない上に、その二人はどちらも一文無しなのだ。

 助けるならばせめて、きちんと話を聞いた方が良いだろう。その上で然るべき対策を練る必要がある。

 私は雪で机と、椅子を二脚作り、彼女に座るように促した。いささか不格好ではあるが、雰囲気は出るだろう。


 まず私は彼女の名前と家族構成を聞いた。

「名前は許糸田木之子ゆるしだきのこ。親父は私が殺した。私が学生の時分に学費を稼ぐために無茶して過労死したんだ。母様は病気で寝てる。兄弟はいない」

 木之子ちゃんか。良い名前だ。彼女ほど良い名前を持つ者はこの世界に二人といないだろう。こんなにも良い名前を持つ少女に災いが降り掛かるのは忍びない。助けたいと思う気持ちが一層強くなった。

 続けて、彼女の母親の病名を聞く。

「人魂型プラズマ肺結核。一昨年の三月に発症した」

 ウィルス性の病気らしい。しかし人魂型プラズマ肺結核ならば、三千年程前に抗生物質が開発され、今では病院が処方してくれる薬を飲めば簡単に治る病気だ。つまり病院に行く金すらないということか。

 最先端と言われる都市でも、貧困に喘ぐ者達は後を断たないらしい。世界中の人々が救われることは夢物語なのだろうか。

 いや、そう考えること自体が間違いなのだ

 その昔、しーちゃんは、不幸はなくなってはいけないものなのだと言っていた。人間は直面する不幸を支えに生きていくものなのだと。

 私はそれを否定することが出来なかった。否定してしまえば、彼が私のもとから消え去ってしまうように思えたからだ。

 不幸は否定しては行けない。不幸な人間を斬って捨てるようなものだから。

 同じように、この魔法少女の貧困と言う不幸も否定してはならない。彼女はそれを望まない。

 彼女が望むのは幸でも不幸でもなく、母親の容態の回復だ。

「頼む。母様を助けてくれ。助けてくれたら私の心臓をあげるから」

 木之子ちゃんはとんでもないことを言う。魔法少女の心臓はこの世の至高の快楽が詰まった神聖なもので、それを譲渡するということは、相手に生殺与奪の権を受け渡すことに他ならないのだ。幾ら肉親を救おうと思ってもそこまで思い切れる人間は少ないだろう。

 しかし、その言葉を聞いたことで、私は閃いた。

 いや、閃きなどという程立派なものではない。思い出しただけだ。

 私は先ほど人見氏から肝臓を貰っている。人体模型の肝臓ならば、どんな病も立所に治してしまうだろう。

 良かった。これで彼女の母親は救われる。

 私は人見氏の肝臓を木之子ちゃんに渡した。

 木之子ちゃんは涙を流して、ありがとうと言った。そしてドレスのポケットから心臓を取り出した。

「受け取ってくれ。あんただったら有意義に使えるだろう。あんたみたいな優しい人間なら」

 受け取れるわけがない。第一、それは女性に渡す物ではないのだ。魔法少女が生涯の伴侶へ信頼の証として渡す物だ。そして伴侶となった者は心臓を一度も使ってはならない。それは裏切りという行為に他ならないから。

 私ははっきりと申し出を断った。しかし彼女は食い下がる。

「あんたに受け取ってほしいんだよ。私はあんた以外には渡さない」

 無理だ。受け取れない。私には既に恋人がいるのだ。ここで心臓を受け取ると言うことは、不道徳極まることだ。


 私は自分に恋人がいることを彼女に伝えた。

「そうか。わかった。じゃあこれを受け取ってくれ」

 彼女が出したのは杖だった。魔法少女の商売道具。

 彼女はどうしてこうも大事な物を手放そうとするのだろうか。

 いや、疑問に思うまでもない。木之子ちゃんは魔法少女を辞めたいのだ。魔法少女は一度業務に就いてしまうと、抜け出すのにとても手間がいる。こうして相手に商売道具や、命を差し出さない限り、辞めることは困難だ。

 魔法少女は決してお行儀の良い商売ではない。有り体に言えば、ヤクザな業界なのだ。汚れ仕事は探偵の比ではない。

 それを考えれば受け取ってやるのが人情というものだろう。

 私は杖を、木之子ちゃんのプルタブのように小さな手から自分の雪に濡れた手へと収めた。

 木之子ちゃんはありがとうと言うとペコリとお辞儀をして市場の方へと駆け出した。そしてその姿はすぐに見えなくなった。

 本当に良かった。彼女の母親はきっと苦しみから解放されるだろう。


 安心した私は椅子と机を溶かして、椿ちゃんの研究所へと足を進めた。

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