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眷恋にインディファレント

「最近は海の向こう側を飛び越えた先に新しい世界があるとか言われていますが、僕からすればどうも眉唾ですね。まあ、あっても困らない物ではありますから強く否定することもないのですが、あれだけ世間で騒がれるとカルトのように思えてきます。僕には細君もありますし、三年後には息子も誕生致しますから、そう言ったものに踊らされるのは一人の夫であり父親であることの自覚に欠けるように思うのです」


 私を部屋に招き入れてからこの人体模型は延々と取り留めのないことを話し続けている。

 彼は名を人見克浪ひとみかつろうと言うらしい。私は自分の要件を玄関で伝えたはずなのだが人見氏は、可愛いらしい土偶ですねと先ほど心ちゃんから貰った土偶を褒めると、そこを切り口に世間話を始めてしまった。

「付かぬことをお伺いしますが、恋人はいらっしゃいますか? 」

 この人は突然何を言い出すんだろうか。

 思わず飲み物を吹き出しそうになってしまった。

 あまりに出し抜けすぎる。やはり人体模型の常識と、人間の常識は少し違うようだ。

 それとも人見氏が遠慮を知らないだけなのだろうか。

 人種に偏見を持ってはいけないので、ここは人見氏の個性だということにしておこう。

 私は、いますと正直に答えた。正直は銀、真実は金という諺にもある通り、正直であることは一般的にとても大事にされることだ。

「それは良いことですね。恋は自己肯定に必要なものです。人間は、と言っても僕たち人体模型もそうですが、他者に認められることで自分を認めることが出来るものです。一般論ではありますが、それは間違いのないことであるでしょう」

 確かにそうだ。人見氏の言っていることは正鵠を得ている。

 しかしどうだろう。私はしーちゃんのことを認めているが、しーちゃんが自分自身のことを認めているとは思えない。彼はとても自己評価の低い人間だ。他人の長所を見つけることに長け、見つけた長所から短所を覗き込み、その短所を自分の劣等感に投影する。まるで自分が世界の最下層の住人であるかのように言うのだ。私が幾ら励ましても彼は考え方を改めようとはしない。

 逆に私は自己肯定感は強いものの、しーちゃんから認められていると言う実感はない。彼は生まれついての仏頂面であり、情緒の定まらない所のある人間なので、心理を読むことが困難だ。仮に彼が私のことを認めているにしても、それが私に伝わらないのだから同じことである。


「納得がいきませんか? まあ一般論ですから、例外もありましょう」

 そういうものか。

 私は納得しつつ、本題を切り出した。しーちゃんに認めてもらうにしても、まずこのマンションを脱出しないことには会うことだって叶わない。

「ああそうでした。あなたがここに来たのは狛犬達を撤去する方法を知る為でしたね」

 ''撤去"という言葉から察するに狛犬達はオブジェクトか何かなのだろうか。銅像が動きだすと言うような話はよく聞くし、私も実際に見たことがある。

 しかし、狛犬が動き出し、行く手を塞ぐと言う話は寡聞にして聞いたことがない。

「彼らは矛盾しています。ですからその矛盾を指摘してやれば、自分自身に耐えきれずに逃げ出すでしょう」

 なるほど。確かに彼らは矛盾している。狛犬なのに三匹と言うのは致命的な矛盾だ。

 そう、致命的だ。致命的と言うからには矛盾を伝えた場合、彼らは死んでしまう程の傷をその身に受けるだろう。そうしたら私は悠々とこのマンションを出て行くことが出来るが、それは他の人間が外出する際も彼らは同じ仕打ちを受けるということであり、彼らは四六時中命の危機に瀕していると言って良い。それはあまりに酷なことである。


 いや、命を落とすならまだマシだ。死んだとしても濃い緑茶をかければ元通りになる。緑茶が嫌ならコーヒーでも紅茶でも良いし、最近は湯治場で生き返るのがトレンドらしいので熱いお湯に浸かるのも手だ。

 しかし彼らが自分たちの矛盾を理解し、その精神を崩壊させてしまったとしたならどうだろう。私は精神セラピストの資格を持っていないから、狛犬達の精神を回復させることは出来ないし、その道の熟練者に依頼して回復出来たとしても確実に後遺症は残るだろう。

 精神は一筋縄では行かない。

 私は人見氏にそのことを申告する。

「大丈夫ですよ。彼らには精神がありません。きっと音楽を聴く習性がないからでしょう。彼らは只の飾り物です」

 そうなのか。ならば安心だ。狛犬達を半殺しにするのは忍びないが、ここで何時までもまごついているわけにはいかない。

 私はしーちゃんの家を訪ねなければならないのだ。


 私は人見氏にお礼を言い、この場を辞することにする。

 すると人見氏は無表情をぎこちなく歪ませた。プラスチックが軋む音が不気味だ。笑っているのだろうか。

「情報料を頂きましょう。あなたは探偵でしたね。探偵ならば情報は只ではないと言うことくらい承知しているはずでしょう?」

 しまった。そうだ。人体模型は利に聡い種族なのであった。うっかりしていた。

 どうもこのマンションに来てから頭が冴えない。

 しかしどうしたものだろう。私は財布を持っていない。服装も寝間着のままだ。

「その様子だとお金はお持ちでないようですね。ではその土偶を頂きます」

 合点がいった。心ちゃんが私に土偶を託したのはこの時の為か。決して贈り物というわけではなかったらしい。少し残念ではあるが、私が財布を持っていないことを見越してこれを渡してくれたのだから感謝は尽きない。

 私は土偶を人見氏に渡す。

 人見氏は繁々と土偶を見ている。

「これは上物ですね。素晴らしい一品です。どうも情報とは釣り合わない。お釣りと言ってはなんですが、僕の肝臓を差し上げましょう」

 可愛い土偶だとは思っていたがそんなに立派な物だったとは思わなかった。

 人見氏は体を手で掻き回して肝臓を引き抜くと、私に差し出した。

 土偶の見て呉れには敵わないものの、人体模型の内臓は霊薬にも利用される程の貴重品だ。有り難く頂戴することにしよう。

 私は今度こそ人見氏に別れを告げると、一◯三号室を後にした。


 帰り際、後ろで人見氏が、どうぞお気を付けてお帰りくださいと言うのが聞こえた。

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