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強者はパシフィスト

 部屋から出るとそこは廊下だった。


 どうやらここはマンションのような建物らしい。

 エメラルドグリーンのタイルの壁に、スポンジを使っていると思われる柔らかい床。廊下の壁には扉が埋め込まれている。扉にはプレートがかけてあり、そこに部屋番号が記入されている。このフロアの番号は三から始まっている。ということはここは三階か。

 下り階段しかない所を見ると、どうやらここが最上階のようだ。

 とりあえずこの建物から出よう。


 私は階段を軽快に降りる。


 階段を三十三段降りると一階に着いた。

 地形変更に依る地殻への影響のせいで、三階建ての建物の階段の段数を三十三段に規定するという条例が設けられて久しいが、未だに慣れることが出来ない。

 階段の段数に目を回しながらも辺りを見回す。

 階段の真正面に大きな扉が見えるが、扉の前には三匹の狛犬が鎮座しており、近寄る事が出来ない。どうしたものだろう。恐らくあそこが出入り口だ。

 とりあえずこのマンションの住人に話を聴いてみようか。判らない事があるならば人に聞くのが一番だ。

 そう言えば、彼の耳に出来たタコは治っただろうか。私が彼に自分の矜持を口うるさく何度も聞かせたせいで、彼の耳にはタコが出来てしまったのだった。

 彼はぶっきらぼうに、調度良い耳栓になったよと言っていたが、私は彼に障害を与えてしまったことについて罪悪感を感じていた。

 変な事を思い出してしまった。

 暗い気持ちで、一◯一号室のインターフォンを押す。

 中から、ちょっと待ってろと言う声が聞こえて来た。

 待て、という言葉を聞いて一層気分が落ち込む。

 私は待つと言う行為が苦手だ。

 真実が欲しい私は、兎に角動き回る質なのだが、動きを止めると真実を知ろうとすることに罪を感じている自分に気付く。

 そのまま何もせずジッとしていると、罪悪感から体の内側が沸騰してグツグツ鳴り始める。そして、いつの間にか臓器が煮えてきて、体が発火してしまうのだ。

 嫌な体質である。

 原因は私自身にあるのだから誰に文句を言うこともないが、やはりどうにも釈然としない。

 真実が欲しいと願うことが何故罪悪感を刺激するのか。それが判らない。

 私の願いはそんなにも醜いものだろうか。そんなにも罪深いものだろうか。

 答えは見つからない。


 待ち続けて三時間は経っただろうか。

 そろそろ体の穴という穴から湯気とも煙ともつかない白いもやもやが上がってくるころだ。

 焦りが加速する。

 こんな所で燃え上がってしまっては火事になってしまう。いつもは彼が慌てて消火器で鎮火してくれるのだが、消火器など公に設置されているような代物ではないから今は期待出来そうにもない。

 じんわりと額に汗が滲む。

 そして私が涙目になりかけたとき、ようやく扉は開け放たれた。


 意外にもこの部屋の入居者は私の知る者だった。


「ありゃ? なんだよお前か。なんであたしの家知ってんだ?」

 挑戦的なポニーテイルに痩せ形の体系。

 自信に満ち溢れた整った顔立ち。

 私の同業者にして、唯一のライバルである迷中心まよなかこころだ。

 ライバルとは言え、そう思っているのは心ちゃんだけであって。私は友人として彼女に接している。

 私は挨拶をすると、ここに来た経緯と三匹の狛犬について説明した。

 彼女は、まあ上がれと言って私を部屋へと招き入れた。

 部屋は意外にも女の子らしく、ぬいぐるみや土偶などが飾られている。

 心ちゃんは気の強い女の子で、このご時世に強さの証であるポニーテイルという髪型のまま、平気で街を闊歩する。

 もちろんそんな事をすれば色々と面倒な事に巻き込まれる。怖いお兄さん達から命を狙われるのは当たり前だし、瓦礫山の麓の街へ行けば遊女達から嫉妬の目で見られ、甘味処などは入店拒否どころか店の前を通りかかる事さえ拒否されるだろう。

 しかし、そんな厄介事を彼女は埃でも払うかのようにあしらうのだ。

 そんな強い心ちゃんにファンシーな趣味があったとは私の知る所ではなかった。

 どうやら私は彼女について何も知らなかったようだ。友人が聞いて呆れる。


 心ちゃんは台所から戻ってくると、ちゃぶ台の上に水の入ったグラスを二つ置いた。

「お前が一人で行動してるとこって始めてみたぜ。いつもなら絶対愛しのしーちゃんが隣にいるもんな」

 しーちゃん……

 そうだ。私は彼を、家波標のことをしーちゃんと呼んでいた。

 何故だろう。失念していた。

 本当に不思議な事だ。私が突然この奇妙なマンションに飛ばされた事よりも、誰が撮ったのだか判らないアルバムがマンションの一室に置かれていた事よりも不思議な事だ。

 私に限って彼の事を忘れるなんて事はあり得ないはずなのに。

 アルバムの中でも私はしーちゃんとあんなに親しそうにしていたのに。

 恋人の愛称を忘れるなんて事は最早記憶喪失も同然だ。

 自分の薄情さに涙が出そうになる。

 どれだけ冷淡な女なのだ。

「おいおい何だよ。急に眉毛下げやがって。らしくもねえ顔すんなよ。ほら、合掌土偶やるから」

 心ちゃんから合掌土偶を受け取り、胸に抱く。

 少し落ち着いてきた。

 そうだ、泣いている場合ではないのだ。私はしーちゃんの家を訪ねなければならない。

 神経質な彼の事だ、きっと心配しているだろう。

 私はここから出る方法はないかと尋ねる。


「お前も探偵なら自分で考えろよ。と言いたい所だが、確かに材料が少なすぎるわな」

 心ちゃんは、そうだなと言って腕を組む。

「一番簡単なのは夜まで待つ事だよ。狛犬達は一度眠ると三週間は目を覚まさない」

 確かにそれは簡単だ。しかし夜になるまであと三十年はかかる。そんなに経ってしまっては流石のしーちゃんも愛想を尽かすだろう。

「待ってられねえってか? じゃあ、一◯三号室に行け。このマンションの管理人が住んでる。なんか知ってんだろうよ」

 なるほど。確かにマンションの管理人ともなれば事情には詳しいはずだ。行ってみる価値はあるかもしれない。

 しかし心ちゃんはどうやって外出しているのだろう。まさか三十年も待つわけではあるまい。私は彼女と頻繁に会っている。

「あたしか? もちろんボコボコにしてやるんだよ。外出前の良い運動になる。だからあたしがあいつらを退かしてやっても良いんだけど、お前はそういうの嫌いだろ?」

 私は肯定した。

 とはいえ暴力を否定しているわけではない。

 自分の目的の為に友人に殺生を頼むというその不義を否定しているのだ。

「だよな。だったら管理人のとこに行くしかないだろ」

 どうやらそれしかないようだ。

 私は心ちゃんにお礼を言うと、部屋を後にする。

 心ちゃんは、それやると言って土偶を私に譲渡した。

 心ちゃんから貰い物をするのは初めてのことだ。初めて貰った物がこんなに可愛らしい土偶だとは。

 これはとても喜ばしいことだ。嬉しくて笑顔がこぼれる。

 私も今度何か贈り物をしよう。


 私は結構この上ない気持ちで、一◯三号室のインターフォンを押す。

 三秒程の間、扉が三センチ開く。

「どちら様でしょうか」

 扉の向こうから陰気な声が聞こえる。陰気ではあるが、何処か堂々とした風な、聞くものに不快感を与えない陰気さだ。

 私は身分と名前を示し、狛犬をどうにかしたいと言う旨を伝えた。

 声の主はどうぞお上がりくださいと言い、扉を開放した。

 玄関に立つ、この部屋の主の姿を目にした私は一瞬絶句してしまった。

 そこには顔の半分が真っ赤な筋肉で覆われ、首から下は内臓を露出している正しくグロテスクな男が無機質な表情で私を見下ろしていたのだ。


 彼は人体模型だった。

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