朝靄のイブニングミール
私は彼の、家波標の家を訪ねなければならない。
何故と言えば、私が何も告げずに彼のもとから消えてしまったからだ。
私には放浪癖があるので、夜な夜な街を徘徊した挙げ句、海の端っこまで辿り着き、世界の外へ放り出されて三日間帰らないという事も珍しくはなかった。
まあそんなことは誰にでも一度や二度くらいはある事だし、私は何度放り出されても彼のもとへと戻っていた。
しかし今回はいつもと毛色が違うのだ。
私は自分の意図で玄関を潜り、外へ出たわけではなかったのだ。
その日、私は珍しく早起きをした。台所からは彼の作る朝食の良い匂いがした。
ベッドから抜け出し、彼に朝の挨拶をしようと家に備え付けられているマンホールの上に立つと、私の体は突然はらはらと霧散してしまったのである。
何故このような事になったのか、私は三日三晩頭を悩ませたが、残念ながら判ったことと言えば、何だかよく判らない部屋に飛ばされてしまったという事実だけだった。
自分で言うのもなんだが私は頭のいい方だ。寺小屋では一番頭のいい生徒として表彰を受けたこともある。
幼い頃からの夢だった探偵業も上々の所だ。
だからちょっと考えれば何か判るだろうと踏んでいたのだが、やはり現実は甘くないらしい。
何も判らない。こんな時、彼ならば奇妙な提案をして窮地を脱する所なのだろうが、生憎私は正攻法しか知らない人間であるからどうする事も出来ない。
しかし、こんな殺風景な場所では考えた所で判ることなどたかが知れている。
この部屋には本棚とパイプ椅子しかない。
いや、本棚には本が置いてあるから、本棚と本とパイプ椅子だ。
何の本なのだろう。
本棚に置いてある本の背表紙を右から順に追ってみる。
『世界のウェイター百選』 『猿でも判る催眠術』 『死体洗いのバイト論』
『魔法メイドリリー』 『揺り籠から墓場まで~死ぬという事~』 『乙女の尾行術』
『ザ・建築』 『エレベーターとプロレタリア』
様々なニーズの本を網羅している所を見ると、ここは人の出入りのある場所なのではないかと推測出来る。
私好みの推理小説もあった。
三段ある本棚を目を滑らせながら見ていくと、一番下の段の一番左に題名のない本がある。
それを手に取ってみると、どうやらアルバムらしいと言うことが判る。
何故こんな所にアルバムがあるのだろうか。ここには誰か住んでいるのだろうか。
疑問は尽きないがとりあえず開いて見てみる。そこには私と彼の写真があった。
旅行に行った時の写真。一緒に現場検証をしている時の写真。二人でラーメンを啜っている時の写真。
どの写真も私は笑顔で、彼は仏頂面だ。
何故こんな写真が撮られているのだろう。そしてそれがアルバムとしてここに保管されている理由とはなんだ。
彼にはストーカーが着いているが、彼女の仕業とは考えにくい。ストーカーは四六時中対象に付き纏っていなければならないのだ。写真を撮り、アルバムを制作する時間はあろうとも、対象から離れてアルバムをこの場所へと置きにくる時間などないはずだ。
ストーカーではないとなると、椿ちゃんの仕業だろうか。
椿ちゃんは科学者だ。私と彼は、椿ちゃんの実験の片棒を知らない内に何度も担がされている。
少し前に転送装置とか言う、物質を一瞬で遠くへと飛ばす装置の研究をしていると言っていたから、今回はその煽りを受けたのかもしれない事は否定出来ない。
いや、可能性としては一番高いだろう。
そうと判れば、まずはこの部屋を抜け、椿ちゃんの研究所を訪ねなければならない。
真偽のほどを確かめなければ。
雑と調べた所に依ると、この部屋にはこれ以上何もない。
もう出ても良いだろう。
私はドアノブを捻ると、部屋を後にした。