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赤い世界とイライラ

作者: yu-ki

 赤い世界とイライラ


 第一章 再会


ぼくは新幹線の座席に座っていた。幼い少女が、しっかりとした足取りで新幹線の中央通路を歩いている。彼女はそのままドアのほうへと歩いていく。自動ドアは開かない。彼女はそのままドアにぶつかった。そして、すり抜けて消えてしまった。誰も、彼女の存在には気づかない。ぼくも、何も見なかったふりをして、目を閉じた。

ぼくの名前は羽沢慶一。友だちにはケイって呼ばれてる。緑豊かな地方中堅都市で生まれ、そこで高校卒業まで暮らしていた。

ぼくはその高校で、面白味のない青春を送った。趣味は、本を読むこととネットをすること。ぼくはぶっちゃけ、インドアな人間だ。居てもいなくても変わらない――高校というコミュニティーの中で、ぼくは、そんな位置にいた。

ただ、そんな地味なぼくにも、他人には無い長所が一つあった。いや、それは長所と言うよりは短所に近いかもしれない。

ぼくは、霊感が『強すぎる』。

例えば、小雨が降っている道端を歩いていると、道路脇に花束がおいてあったりする。そんな場所に行くと、嫌でも見えてしまう。花束の側で、真っ白な影が這いずり回っているのを。見えたり、気づいたりするだけならまだいい。ひどい時になると、白い影はぼくについてくるし、話しかけてくるようになる。

「霊感あるってどんな気分?」と友人に言われたことがある。ぼくは笑顔で答えた。「最悪な気分」

実際のところ、この力があるからと言って得したことはほとんどない。ぼくの部屋に住み着いているじいさんの幽霊は、話し相手が欲しいのか、いつでも話しかけてきていた。………そんなこんなで不眠症になり、ぼくは実家を飛び出し、進学した。向かった先は、非科学的なものがなりを潜める、首都圏の大学だ。

住んでみて分かったのだが、都会というのは田舎に比べ、何もかもペースが速い。全ての時間がめまぐるしく流れていき、道端に立ちすくむ白い霊を顧みる時間も、過去を顧みる余裕もなかった。独り暮らしの大学生活に慣れようと四苦八苦しながら、勉強とサークルとバイトに時間を割いているうちに、二年という月日は瞬く間に流れ去った。


 ぼくが生まれ故郷の街に二年ぶりに戻ったのは、大学の冬休みの期間だ。

驚く無かれ。ぼくはそれまでの二年間、一度たりとも生まれ故郷に帰っていなかった。何度も帰省をしたいと思っていたのだが、その都度、風邪や怪我になってしまい、機会を逃していたのだった。

二年ぶりの故郷―――胸が弾まないはずはない。

だが、おり悪く、その日は全国を寒波がおそい、新幹線の窓越しに、パラパラと小雪が降っていた。高まっていたぼくのテンションは、下降気流に揉まれる飛行機のように、急降下した。

「ものすごく………寒そう」

本来なら、ぼくの母親が駅まで車で迎えに来る予定だったが、運悪く急な用事が入ったらしい。ぼくはこの雪の中を、歩いて家まで帰らなければならなくなってしまった。

新幹線から普通電車に乗り継ぎ、地元の駅につく。車外に出ると、猛烈な寒さが全身の熱を吹き飛ばした。道行く人も寒波のせいか、皆うつむき加減に歩いていた。もうすぐ午後二時。空全体が曇っていて、夕暮れ時のような暗さだった。雲の隙間はなく、太陽の光は見えない。

駅から家まではかなり距離がある。手荷物はショルダーバッグ一つだが、それでも、この寒さの中を30分以上も歩かなければいけない。

駅の改札を出て、ロータリーに向かうと、人の騒ぎ声が聞こえてきた。救急車とパトカーが数台止まっていて、赤いランプが、くるくると眩しく回っている。目をやると、車が二台、潰れた状態で転がっていた。

交通事故だ。白い影もバッチリ見える。

重たい気持ちがさらに重くなった。

ふと、中学生の時に教科書で読んだ、魯迅の『故郷』という物語を思い出した。主人公が故郷を離れて都会へ行って大成し、懐かしい故郷に帰ってくる話だ。想像の中で思い描いていた故郷の姿と、現実の故郷の姿が違いすぎて、主人公は驚く。

気を取り返し、ぼくは人混みに背を向けて歩き出した。

するとほどなく、後ろから肩をつつかれた。

「もしかして―――ケイちゃん?」

 名前を呼ばれて振り返ると、妙に人懐っこそうな女がそこには立っていた。ぼくより若干低い身長で、年齢は同じくらい。この寒い中、手には日傘なんて持っている。

ぼくはじっと相手を見た。

誰だろう。思い出せない。

 考えあぐねていると、

「あれ、人違いですか」

 と、女は訝しげに言った。

「えっと、すいません。合っています。どちら様ですか」

「あってるのかよっ。私のこと忘れたの?」

「うん」

「高校の時の親友を忘れるなコラ」

 ぼくは、絶句して立ちつくした。よく見ると確かに見覚えがある。木谷香恵という名の幼なじみだ。だがあの頃より、ずっと美人になっている………気がする。

「どうしたの?」

「………『故郷』」

「どういう意味?」

「いや、何でもない。それよりきみ、日傘さすような女だったか」

「高校を卒業してからもう二年も経つんですから、私が美しくお上品に変わっているのはあたりまえじゃなくて、おほほ」

「変わったね。カエ、頭の中がお花畑に………」

 ぼくは内心の激しい動揺を表に出さないように試みながら、そう軽口を叩いた。

「失礼ねー。ケイくんは二年前と全然変わってない。遠目に見てもすぐに分かったわ。大学はどう? 楽しい?」

「ぼちぼちかな」

「それは良かった」

 そういってカエは二年前のような子どもっぽい表情で、微笑んだ。

「ねぇ、ケイくん。今日か明日、ちょっと付き合ってもらえないかな」

「……デートの誘いか?」

「んなわけあるかっ。あのね………私ね、大切なモノを落としてしまったみたいなの。でも探しても見つからなくて。よかったら一緒に探してくれない?」

「えっ………と。もちろん、いいよ。で、落とし物って何?」

問いかける俺に、カエは少し沈黙して、気まずそうに答えた。

「婚約指輪を、落としちゃった」



第二章懐古


 少し、昔の話をしよう。

 カエが初めてぼくに話しかけてきたのは、高校二年の二学期だった。高校二年生の頃と言えば、ぼくがまだ、地味な性格を貫いていた頃のことだ。当時、女友達なんていなかったぼくに、カエは物好きにも、親しげな態度で話しかけてきた。

「ねぇ、幽霊が見えるって、本当?」

 俺は返事をためらった。『見える』と大真面目に答えたとき、この子は一体どんな態度をとるだろう。俺を馬鹿にするのか、嘘つき呼ばわりするのか、それとも、面白がるのか。

結局、俺は躊躇した後、

「見えるよ」

 と答えた。彼女は疑わしそうな顔を浮かべながら、「本当に?」と重ねて聞いてきた。

「死後の世界ってあるの?」

「何でそんなこと聞くの」

「気になるから。人が死んだらどうなるのか」

「なんかこの世に未練があって幽霊になっているやつなら、よく見る。うちの家にも一人住み着いてる。でも、死んだ人間のほとんどは、幽霊にはならないみたいだよ。ぼくの親戚で亡くなった人がいるけど、その人の霊は全く見ないし」

「幽霊にならなかった場合、どうなるの?」

「さぁ、分からない」

 カエは不満そうな顔をしたが、暫くなにやら考えた後、ナイスアイデアと言わんばかりの明るい表情になった。

「じゃあ、あなたの家に住んでいるっていう幽霊に聞くって言うのはどうかな。死んだ人間は、幽霊にならなかった場合どうなるんですかって」

 変わった女だな。

 ボクが彼女に抱いた第一印象は、そんなものだった。


『わしもしらんぞ』

 家に帰って聞くなり、じいさん幽霊はそう答えた。

「知らないと、幽霊は言ってるけど」

 俺はじーさんが言ったことを、強引に学校から部屋までついてきたカエに伝えた。

カエは頭の上に『?』マークを浮かべた表情で、「ここにいるの?」と、じいさんの腹の中に手を入れたり出したりしている。

『こんな可愛い子がわしに触れてくれるなんて。わし、もう死んでもいい』

「死んでるよ、じいさん。カエさん。今きみはちょうど幽霊の腹をさわってる」

「私には全然見えないけど。そのじいさん幽霊は、なんで幽霊としてこの世の中に残れているの?」

「じいさん。どうしてだ?」

 じいさんは胸を張った。

『わしはな、戦時中の物のない時代から毎日懸命に働いて生きてきた。とても禁欲的で、真面目だけが取り柄の人間じゃった。だが、そんなわしも死ぬ直前になって病院のベッドの上でようやく気づいたのじゃ。わしは何を楽しみに生きてきたのじゃろうと。わしは生涯に一度たりとて、パチンコも、競馬もしたことはなかった。今の妻とも見合いで結婚して、恋愛なるものもやったことはなかった。このままでは死ねん。死んでたまるか。生きて競馬やパチンコをやってやる。若いねーちゃんと遊んでやる。このまま死んでたまるか。そう思っておったら―――』

「なんて言ってるの?」

「あぁ、つまり。すごい未練があってこの世に残ったらしい」

「じゃあ、未練があれば、幽霊になれるのかな」

 彼女の顔からは、不安が見て取れた。

「カエさん。死ぬのが怖いのか」

 彼女は苦笑いをした。

「うーん。そうだね。最近ちょっと死を身近に感じる出来事があってね。ケイくんは死ぬのは怖くないの」

 真っ直ぐな瞳で尋ねられた。

「ぼくは――」

 どうなんだろう。

じいさん幽霊に目をやると、近所の屋根にいるネコを窓から見ながら鼻歌を歌っていた。

俺は、死に対して恐怖という物を感じることはあまりない。それは多分、こののんきな幽霊を見て育ったからだろう。

「私は怖いよ。自分が死んだらどこに行くんだろうって思う。………何のために私は生きてるんだろう? 何のためにこの地球上の生物たちは生きてるんだろう? 何のためにこの宇宙はあるんだろう? そんなことを一度考え出すと、グルグルグルグルと思考が同じ所を回っちゃうんだ。考えすぎて、眠れないぐらい。だからその一番の大本にあたる疑問を解決したいって思うんだよね」

 そう言ってカエは微笑んだ。

「ねぇ、おじいさんの幽霊に聞いても分からないんだったら、別の幽霊に聞けばいいじゃない。これから、面白い場所にいこうよ」

「もう暗くなるよ」

「じゃあ、明日午後三時くらいから、行こう?」

「強引だね。どこにいくんだよ」

「霊感が強いあなたにぴったりな場所。………ガスタンク山よ」


高校の裏山にはサッカーボールのような形をしたガスタンクが設置されている。通称ガスタンク山。人気があまりなく、とても物静かな場所だ。心霊スポットとして有名で、ガスタンクの側で幽霊を見たという学生が後を絶たない。

普段は幽霊を避けまくっている僕が、そんな心霊スポットに、カエと一緒に行くことになった。無論、ただじゃない。学食一食奢ってもらうという条件付きだ。


「どこを見てるんだ?」

「ん?」

 カエは目を細めて、ガスタンクにもたれかかっていた。

「夕焼けの街って、綺麗だなと思って」

 言いながら、更に目を細める。ガスタンクの前は小さく開けた広場になっており、そこからは、ぼくたちが住む街を一望できた。

 ぼくは、深いため息を吐いた。何も見えない。何も感じない。ここには、霊的なものが欠片もない。

「結局、幽霊は、見つからなかったな」

「見つからなくてもちゃんと昼ご飯はおごるから」

 カエはそう言った。

ぼくが不機嫌なふりをしていたが、カエは鼻歌を歌っていた。それは、いつかどこかで聞いたことがあるような、懐かしいメロディーだった。

「何だっけ、その歌」

「秘密」

「どっかで聞いたことある曲なんだけど、まぁいいや。すごくいいメロディーだよね」

「そう思う? 私もだよ」

「………ここから見る景色って広大だよな」

 そんなことを、呟いた。

 視界一杯に広がる大空。天体望遠鏡でも持ってきたら、星が綺麗に見えそうだ。

「そうね。でも、私は雲一つない星空よりも、少し淀んだ空が好きかな」

「なんで?」

「美しすぎる物を見ると、眩しすぎて、自分の運が一つ減る気がするから」

「なんだよ、それ」

 二人で笑った。

その日から、俺とカエは仲良くなった。


二人でたまにぶらぶらとガスタンク山に登って、他愛もない話をした。進路のこと、将来のこと、そして、死後の世界や、生き物が生きる理由について。ぼくはカエの疑問に答えたくて、死後の世界の情報を伝えたくて、霊を見つけてはコンタクトをとった。だが結局、高校を卒業するまで、有益な情報を得ることは出来なかった。

一方、教室内では良い変化があった。カエの友人から輪が広がり、ぼくは、それまでほとんど話をしなかったクラスメイト達と話をするようになった。高校卒業までに友人も増えた。卒業前には、カエを含めた仲の良い友人たちとともに、ぼくはこのガスタンク山にタイムカプセルを埋めた。

ぼくが大学に進学した後も、ぼくはカエと時々連絡を取り合っていた。でも、物理的な距離のせいで、ぼくたちは徐々に疎遠になっていった。ここ半年くらいはもう、連絡も取り合っていない。

人はなぜ生きるのか。死んだ後、どうなるのか。

答えはまだ、見つからない。



第三章探し物


「ケイくん。大丈夫? どうしたの」

 気がつけば、カエが、ぼくの顔を心配そうに覗き込んでいた。

「なんでもない。少し昔のことを思い出してただけだよ。それより結婚おめでとう。相手の人はいい人?」

「まぁまぁ、いい人かな」

「なんだよ、まぁまぁって。でもなんか実感がないな。どうしてそんなに急に結婚することになったんだ」

「うーん。ケイくんには、言った方が良いかな?」

「何を?」

 カエは暫く沈黙した後、神妙な面持ちで口を開いた。

「私ね。実は………人並みに長くは生きられないの。………高校の時に脳腫瘍が脊髄に転移したんだ。余命十年ってお医者さんには言われた」

 初耳だった。

「え………でも、結婚するって事は、病気が良くなったのか」

「ううん、治ってないよ。………全てを知った上で、それでも私を愛そうとしてくれた人がいたんだ」

 ぼくは、心が沈んでいくのを感じた。でも、カエに婚約者がいたということは喜ぶべき事なんだろう。

「でも、それならどうして結婚指輪を落とすんだよ。大切な物だろ」

「どうしてだろうね。落とした日から、ずっと運が悪いんだ。天罰でも下ったのかな」

「わかった。一緒に探してやるよ。どこに落としたのか、心当たりはないのか」

「最近歩き回った場所のどこかにあると思うんだ。えっとね。学校でしょ。病院でしょ。それにガスタンク山」

「何でそんな色々歩きまわってるんだよ。で、その中でも落とした可能性が一番高い場所ってどこ」

「うーん。ガスタンク山、かな。今から行くと、今日はもう暗くなりそうだから。明日暇だったら午後三時くらいから一緒に行けない?」

「なんで三時?」

「なんとなく」

「なんだよ………ヘンなの。じゃあ、明日、家で待ってるから。来てくれよ」

「明日ゆっくり話もしようね」

「あぁ。そうだな。じゃあな」

「じゃあね」

 カエは手を振りながら、人混みの中へと消えていった。

 彼女の姿が見えなくなってから、俺は、深い深いため息をついた。


 翌朝実家で、ぼくは寝ぼけ眼で、朝食をつついていた。

『久しぶりに帰ってきたんじゃから、もっと明るい顔をしてすごさんかい』

じいさん幽霊がぼくが読んでいる新聞の紙面を覗き込んできた。

『半年前の新聞なんぞ読んでおるのか。どこから探してきたんじゃ』

「昨日図書館にいってコピーをもらってきた。ほら、あそこの図書館、ぼくの友人が務めているだろ。頼み込んで、昨日一晩かけてようやく見つけた記事なんだ」

「何の記事じゃ?」

 覗き込んでこようとする前に、パタリと紙面を閉じる。

「いや、昨日カエにあってさ」

『おぉ、あの、カエさんか。元気にしておったか』

「うん。まぁ………元気、かな。どうだろ」

『なんか曖昧な返事じゃのう』

「まぁ、カエのことは置いておいて。久々に、霊を見えるこのぼくの霊感について、考えているんだけど」

 二年前に結局分からなかった疑問が、再び脳裏を支配していた。死後の世界は、どんな場所なのか。

 高校の頃、なぜあぁもカエが死後の世界について知りたがっていたのか、ようやく分かった。

今度こそ正確にカエに死後の世界のことを伝えることができれば―――。

少しでもカエを安心させてやりたい。今のぼくがカエのためにできることは、その程度のことのような気がした。

「なぁ、じいさん。人は死んだらどうなるんだ?」

『またその質問か。わしは知らんというに』

「じゃあ、誰か知ってそうな知り合いは、やっぱりいないか?」

『おらん』

「役にたたないな」

ぼくは頭を抱えた。だが、よく考えてみても、高校の頃から数年かけて調べて回ったことが、今になって急に分かるとも思えない。ぼくは眠気覚ましに冷蔵庫の中にあった牛乳を、一気に飲みほした。冷えた液体が喉を刺す。

「なぁ、じいさん。質問を変えるけどさ、幽霊になってこの世に残り続けるってのは、どんな気分なんだ。死んだ後、消えてしまうよりは、幽霊としてこの世に残っているほうがいいもんなのか?」

『わしの場合はやりたいことが出来て、今は幸せじゃな。ただ、ほとんどの幽霊の場合は、未練があってこの世に残っているのじゃから、その未練を断ち切ってやるほうが幸せじゃと思うぞ』

「そうか………」

 俺は牛乳パックを机において出発の準備をした。


 午後三時から探し始めてみたものの、婚約指輪は、中々見つからなかった。とりあえずガスタンク山から探し始めたのだが、足元を見つめながら歩き回ること数時間。全然見つからない。

「見つからないね」

 カエは疲れたような様子もなく、あっけらかんとそう言う。対して俺はヘトヘトだ。

「なぁ、カエ。きみさ、婚約指輪を見つけて、その後どうするつもりなんだ」

「えっ、どうするって?」

「やっぱ、結婚………したいの?」

 カエは無言になってしまった。

 ぼくは、夕暮れ空を仰いだ。

すると、

「結婚、出来ないと思うな」

 ぼくは、カエの顔を見た。その表情は笑っていて………でも、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

「私、婚約指輪を落としてから不運続きでさ。彼氏に別れを告げられたの。どうも私、彼に依存し過ぎちゃったみたい。あははっ」

 ぼくは、無言でそんな彼女を見つめていたが、

「辛かったな」

 と一言だけ呟いた。

「うん。辛かった。………本当に愛していたんだ」

 呟く彼女は、哀しげに微笑んだ。そして「あっ」と目を丸くする。

「今、そこで何か光った」

「どこで」

「ほら、そこ」

 彼女が指さした草むらをよく見ると、銀色の光が見て取れた。土に半分埋もれた婚約指輪。ぼくはそれを掘り返し、土を払って、ゆっくり彼女に見せた。

「これか? 随分汚れているけど」

「あぁ、これだ」

 彼女は心底嬉しそうに微笑んだ。今まで見た中で、最も幸せそうな笑みだった。

ぼくの胸がチクリと痛んだ。

ぼくたちはそのまま向かい合った。

 彼女は指輪を受け取ろうとはしない。ぼくも、指輪を差し出そうとはしない。

お互いの間に、距離があった。近くにいるはずのカエを、とても遠くに感じた。

「二年で、色々なことが変わったな」

「そうだね。でも、私ね、この街でもう一度あなたに会えてよかった。私は婚約指輪もなくして、愛してた人にも裏切られて、人を信じられなってた。人生なんて辛いことばかりだと諦めてたし、長く生きられない自分の運命だって呪った。婚約指輪を無くしてから不運続きだったから、なんとかしてその指輪を見つけたいと願い続けていた。でも、指輪なんて必要なかったのかもしれない。そんな物なんて無くたって、あなたはこうして、私を助けてくれている。昔と変わらない優しさで」

 一陣の風が、ぼくたちの間を駆け抜けた。

「ケイくんに会えて、すごく、嬉しかったんだ。気がつけば、あなたの後ろ姿ばかり見つめていた。あぁ、自分は誰にも愛されていない人間なんかじゃなかった………振り返ってみれば、幸せな人生だったんだって。………そんなあたりまえなことを、思い出したんだ」

 彼女はニッコリ微笑んだ。

「今、とても幸せすぎてさ………」

 冷たい風が、吹いた。

「………この世に何の未練も………無くなっちゃった」

 ぼくは真っ直ぐに彼女を見た。

「気づいていたのか」

 彼女は、コクリと頷いた。

「私はもう………死んでいるんだよね。ケイくん」

 ぼくは―――。


駅前でカエに話しかけられたとき、彼女がカエであることにぼくは気づかなかった。それは、彼女が白い影として、ぼくの目に映ったから。

寒波が押し寄せている中、彼女は半透明の日傘を持っていた。恐らく、死んだときは暑い夏の日射しの下、それを身につけていたんだろう。

指輪を探してヘトヘトになっているぼくのそばで、全く疲労した様子もなく彼女はあっけらかんとしていた。肉体を持たなければ、疲れなど、感じないのだろうか。

全ての線は繋がっていく。

何より、月日を物語る土に埋もれた婚約指輪と、彼女が彼女であることを知った直後にぼくが感じた、魯迅の『故郷』を彷彿とさせる黒い衝撃が―――全てを物語っている。


ぼくは無意識的に―――彼女を抱きしめようとした。正確には、彼女の体の周囲を、腕で覆った。

「カエ。いつから、気づいていたんだ」

「いつからだろう。ずいぶん前から違和感を感じてた。誰にも触れられない。誰にも気づかれない。そんな中で、自然と、分かったの」

 言いながら彼女は、俺の掌に触れようとしてきた。しかし、その手は俺の掌と婚約指輪をスウッとすり抜ける。

「いくら霊感が強くても、やっぱり触れることができないんだね。残念」

 彼女は全てを諦めたように、夕焼け空を見上げた。

「昨日、新聞できみがなんで無くなったのか調べた。コンビニで買い物しているときに、たまたま居合わせた強盗に殺されたらしい」

「そっか、運が悪いね。死んだときの記憶が無くてさ、何で死んだのかはよく分からないままだったんだ。………私、半年間、ずっと待ってたんだ。あなたがあの駅に帰ってくるのを。あなたなら、私を見つけてくれるかもしれないと思ったし、あなたなら無理な願い事を聞いて、あの指輪を土の中から掘り出してくれると思った」

 言いながら彼女は微笑んだ。世界が赤い夕焼けで満たされていく。

「ぼくのことをそう思っていてくれて嬉しいな」

「だって、ケイくんだし」

「そうだな。………そうだ、カエは死後の世界のことを気にしていたけど、大丈夫。何も心配は要らないよ。成仏してこの世界から消えた後も、死後の世界はとても穏やかなところだって、ある幽霊が言ってた。詳細は教えてくれなかったけどな」

 ぼくの嘘を聞いて、カエは穏やかに笑った。

「そうなんだ。ちょっと安心した。………じつは、結構怖かったんだ。自分の余命をお医者さんに告げられた時から、ずっと」

「ねぇ、ケイくん。もう一つだけ、最後のわがままを言っていいかな。

「なんだい」

「今日、これから、日が沈むまでの間、私の側にいてくれないかな」

「もちろん、いいよ」

ぼくとカエはガスタンクを背にして原っぱに座り込み、沈みゆく夕日を眺める。

「ねぇ、もたれかかっていい?」

「いいけど、肩をすり抜けるんじゃないかな」

「もたれかかるふりをするだけ。もう、何も感じないけどさ。人の温かさを思い出したいんだ」

「いいよ」

 その後は、二人とも無言だった。

ぼくは、何か言おうと思いながら、言えなかった。ぼくが何か不用意な一言を吐けば、カエが成仏出来なくなる気がした。

 やがて、カエが歌を歌いだした。

 それはカエの口から何度も聞いた、懐かしい歌。心の中の焦りも、イライラも、そのメロディーがゆるやかに洗い流してくれるようだった。

「私が今、何を考えてるか分かる?」

「分からないよ」

「私には心残りが無くなったはずなのに、なんで成仏できないんだろうって考えてた。ねぇ、なんでだと思う?」

「なんで?」

 彼女は、ぼくの顔を見つめた。

「あなたに、伝えたいことがあったの」

 ぼくは彼女の顔を見つめ返した。

「私のこと、引きずらないで。あなたがこれから生きるのに重荷になるなら、私のこと、忘れてくれていいよ」

 ぼくは微笑んだ。

「忘れないよ。きみはぼくにとって、大切な人だから」

「ありがとう」

 彼女は満足そうに微笑んで、空を見上げた。

「とっても、心が温かい。………ここから見る景色っていつ見ても広大だね」

 視界一杯に広がる大空。天体望遠鏡でも持ってきたら、星が綺麗に見えそうだ。

「今は少し淀んだ空よりも、雲一つ無い星空を見てみたいな」

「奇遇だね。ぼくもそう思う」

「あっ、あれ。一番星」

 彼女が指さした方を見上げると、小さく輝く赤い星があった。

視線を彼女に戻すと、そこにはもう彼女の姿はなく、夕暮れに染まる、原っぱが広がっていた。


 ガスタンク山に夜の帳が降りた。

ぼくは独りで座り込んでいた。

『私のことは、忘れてくれていい』という彼女の言葉が、繰り返し胸に響いていた。

ぼくは、ゆっくりと立ち上がった。

「忘れるかよ」

 きみの思い出は、重荷にはならない。

進もう。

カエが生きられなかった時間を、ぼくが生きよう。

ぼくは、小さく、カエがいつも口ずさんでいたメロディーを口ずさんだ。全身にこびりついた焦りやイライラは、いつだってこのメロディーが洗い流してくれる。


「さようなら」

心の中には、見慣れた、きみの笑顔があった。

「さようなら」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

評価・意見などをいただけると、大変嬉しいです(^^)



この小説は友人が作った曲から、私が物語を作りました。

小説を書く際の縛りは「長編すぎないこと」というものでした。

友人の歌は、次のような物です。



『赤い機械とイライラ』 作詞・作曲 Nonsugar


君が見ているこの世界の終わりは

どこにあるの? 見当つかないよ

僕は深い深いため息を吐くよ

ガスタンクが見える町にはなにがあるの

ガスタンクが見える町にはなにがあるの

綺麗な現実の幸せがあるのならば

僕のイライラしたふりと

君の優しい言葉と

赤い機械が世界を正常に戻していくんだよ

僕がイライラした歌を

君が優しい歌を歌えば

曇り空が青い世界を救う夜を見ることができるのさ


君が見ているこの世界の終わりは

ここにはないよ それだけは分かるよ

君は深い深いため息を吐くよ

ガスタンクが見える町で歌をうたうよ

ガスタンクが見える町の歌をうたうよ

嫌いな現実の幸せが姿見せれば

僕のイライラした声と

君の優しい言葉と

赤い機械が世界を正常に戻していくんだよ

僕のイライラした歌が

君の優しい笑顔に重なれば

夕焼けが濡らした世界を救う夜を見ることができるのさ

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