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其の四

 かえでは、ゆっくりと言葉を紡ぐように語り始めた。

「その頃は、なぎなたを習い始めた私と、剣道を習い始めた竜太とは同じ道場だったので、一緒に通っていたんです。あっ、竜太ってのは私の幼馴染で、桜ヶここの同級生です」

 つるぎは、黙ってかえでの話に耳を傾け、ゆっくりとうなずいている。

「その頃の私は、なぎなたの稽古はとても楽しかったんですけど、竜太と同じ剣道を習っている男の子にちょっかいを出されるのだけは嫌だったんです」

「ちょっかい? どんな風に?」

「私……小さいときから結構背が高かったんで『大女』って。好きで大きくなった訳じゃないのに……」

「もしかしたら、西園寺さんの事が気になっていたのかもね。その子」

 つるぎは優しくかえでに微笑みかける。

「今にして思えば、そうかも知れませんね。でも私は竜太以外の子にそんな事を言われたくなかった。おまけにあの頃の私は今と違って臆病で、何も言い返せなくて、いつも泣いていたんです。竜太は、私がそんな事を言われる度に『かえで! 泣いてばかりだとまたいじめられるぞ!』と言って、私を泣かせた子を謝らせてくれたんです。顔に一杯傷を作りながらでも」

「竜太くんて、ものすごく優しい子なのね」

 つるぎが竜太の事を褒めてくれたので、かえでは思わず満面の笑顔になる。

「でも先輩、聞いてください。あの時の竜太は本当に優しかったのに、今は同じ剣道部の先輩に夢中みたいで……」

 急に思い出したかのようにふくれっ面になるかえで。まるで百面相を見ているみたいだった。つるぎは、かえでを見ながらクスリと笑い、

「西園寺さん、その先輩にやきもち?」

「えっ、いや、そんなのじゃないです。東堂先輩は、私にとっても憧れの方だから仕方ないんですけど」

「東堂先輩? ああっ二年生で綺麗な黒髪の子ね」

「えっ? つるぎ先輩は、東堂先輩の事をご存知なのですか?」

 かえでは、つるぎがしのぶを知っている事に少し驚いた。

「え? まあ、剣道部の次期女子主将の事は有名だから――ゴメン、話がそれたみたい」

 つるぎは、かえでに話の続きを進めるよう促した。かえでが段々元気に語れるようになった事を確認したうえで。

「あっ、すみません先輩。話を戻しますね。事件があったのは、ちょうど今と同じ夏に入る前の頃でした。私はまた例の子にいろいろと言われて泣いていたんです。すると竜太はいつものようにその子を謝らせようとしてくれたのですが、その子はたまたま持っていた木刀を急に振り回しだして、それが竜太のおでこに当たってしまったんです」

「おでこは危ない。竜太くんは怪我したでしょう」

 つるぎは顔をしかめながら言う。かえでは少し悲しそうな顔をして続ける。

「はい。竜太のおでこは木刀が当たったところがパックリ割れて、赤い血がドクドク出て――私はそれを見た瞬間、自分の中から怒りと哀しさがこみ上げてきて、もう無我夢中で自分の持っていたなぎなたを振り回して竜太を傷つけた子に立ち向かって行ったみたいなのです」

「みたい――つまり、あまり覚えてないの?」

 つるぎに言われてうなずくかえで。

「その時にいた人の話では、私はその子を容赦なくなぎなたで滅多打ちにしていた――皆が止めるのも聞かずに。もう完全に怒りで気持ちが抑えられなくなっていたんですね。でもそんな私を竜太が身体を張って止めてくれた」

「……」

 つるぎは黙って聞いている。かえでは次第に涙声になってきて、

「もしあの時竜太が止めてくれなかったら、もっとその子を傷つけたかもしれない。私が我に返ったのは、私の所為で怪我をしたその子に向かってなぎなたを振り下ろそうとした時でした。その場は、何とかなぎなたを止める事ができました。でも、その時に見たその子のおびえた顔が、私の中で――」

かえでの瞳からまた涙が溢れ出す。つるぎはそんなかえでの両手をとりをそっと優しく握ってやる。

「その事が、まだ西園寺さんの心の中に残っているのね」

 だまってゆっくりうなずくかえで。

「私――私は、自分が恐くなりました。あの時竜太が止めてくれなかったら、怒りに身を任せてもっととんでもない事をしてしまったのじゃないかと。それに、この先私は、またなぎなたで人を傷つけてしまうんじゃないかと。怒りに任せて大切な人までも見境なく……そんな自分を抑える自信はありません。もしそうなったら、やっぱり私はなぎなたを持つ資格がないのかもしれませんね」

「西園寺さんは、大切な人を守りたかっただけなのでしょう? 確かになぎなたは人を傷つけるものではないけど、守らなければならない時には、使わなければいけないものと思うの。解る? だから、資格がないって言わないで。そこまで自分を責める事はないと思うの」

 つるぎはかえでの両手をしっかり握り、自分を責めるかえでの心を解すように話す。その言葉を聞いて、かえでは小さな声で話を続ける。

「でも、そんな事があって、私はいつ暴れだすかもしれないもう一人の私に対してブレーキをかけるようになったんだと思います。だから――あの時を思い出しそうな面打ちの時だけ、ためらってしまうのかも知れませんね。本当は思い出したくないのに身体だけはいつまでも覚えている……悔しいです」

 かえではそう言って顔を袴の間にうずめた。つるぎはかえでの気持ちが落ち着くまでかえでの手を握り、じっと黙っていた。


 どのくらい時間が過ぎただろうか、階段でじっとしていた二人の身体はすっかり冷えてしまった。しかし、かえでの手のひらは、つるぎに握ってもらっていて暖かかった。かえでは思った。こんな風に手を握ってもらったのはいつ以来だろうか? 暖かい。とても。ぬくもりがかえでの冷え切った心を暖める。

 そして、かえでは握ってもらっていた暖かいその手をゆっくりと握り返して顔を上げ、気持ちを奮い立たせるように、つるぎに尋ねた。

「つるぎ先輩。私――こんな私ですが、強くなれますか? 致命的な癖は克服ができますか? あんな事があっても私はなぎなたが好きです。誰にも負けたくない。自分の心にも負けたくない。それに私、先輩みたいに強くなりたい。だから先輩! 私、強くなれますか?」

 つるぎは、かえでの言葉を聞いてから、じっと、かえでの顔を見つめる。つるぎの瞳が力強くかえでに語りかける。もちろん答えは決まっている。

「大丈夫。なれる。絶対に! 知ってるかしら? 心に思い描く事は、信じていると必ず叶うものなの。強くなれる。克服できる。自分を信じて。西園寺さん!」

かえでは、しっかりした眼差しでうなずいた。そして、二人は武道場に戻った。


 武道場に戻った二人は、静かに正座で相対し、ゆっくりと礼をする。礼が済むとつるぎはゆっくり話し始めた。

「西園寺さん。あなたは勇気を出して、自分の心のトゲの理由わけを話してくれた。だから、私は西園寺さんが、自分で心のトゲを抜けるように手伝うわ。ただ、それが西園寺さんにとって、とても辛い事になるかも知れない。でもしっかりついてきて欲しい」

「はい。頑張ります」

 かえでは淀みなく答える。つるぎはその返事を聞き、かえでに注文をつけた。

「これからの稽古で約束して欲しい事があるの。稽古中で私が言う事は、拒まずに従って欲しいの。いい?」

「はい。大丈夫です」

 つるぎはかえでの返事を聞き、小さくうなずいてから、かえでに競技用なぎなたを持たせ、自らも同じものを持った。

「じゃあ、西園寺さん。これから互角稽古を始めます。もちろん真剣勝負。私が止めるというまで続ける。準備はいい?」

 互角稽古とは、双方互格の気構えをもって、審判を立てずに自己審判をしながら、試合で一本をとりにいくような気持ちで行う稽古である。

「はい――でも先輩。私たち防具をつけていませんが」

 かえでは、打撃稽古なのに防具をつけていない事を尋ねた。しかし、つるぎは優しいながらも強い口調で。

「お互い防具はつけないわ。防具なしでも十分この稽古はできるから」

 この返事にかえでは少しとまどう。防具をつけていない相手にいきなり打ち込めと言われてもそう簡単にできるものではない。いくらなぎなたの切先が竹製であっても、まともに打てば怪我をしてしまうからである。しかしそんな事はお構いなしにつるぎは続ける。

「それと、もう一つ。私は西園寺さんが打ってこないと打ち返さない。つまりあなたから始めないとこの稽古は始まらないし、終わらない。解るわね」

 この稽古の方法は解った。しかし、防具をつけない事に、まだ得心が行かないかえで。

「解りました。でも先輩、いくら稽古だからといって、防具なしだと全力は出せません。もし当たってしまったら怪我しないですか?」

 怒られるのは解っている。しかしあえてかえでは聞く。するとつるぎは、持っているなぎなたを軽く振って見せた。風を切る音がかえでの耳に届く。なぎなたの振りが速い証拠だ。そして、かえでを睨みつけながら、

「西園寺さん、約束は破らないで。悪いけど、そんな弱気な今のあなたには、私に指一本も触れる事はできないと思うわ」

「えっ? 先輩。今何を?」

「そんな甘っちょろいなぎなたで私が怪我をすると思って? そういう事は、実際に私になぎなたを当ててみてから心配したらどうなの? さっきまでのあなたの決意は口先だけの事なの? そんな気持ちじゃいつまで経っても私にも自分にも相手にも勝てないわよ。西園寺かえでさん」

 かえでは、一瞬言葉を失う。まさかそんな返事をされるとは思ってもみなかったからだ。かえでの中で小さく怒りの火が点く。

「つるぎ先輩。今の言葉は少し言い過ぎじゃありませんか? いくら私でも、先輩に触れる事ぐらいはできます」

 かえでの返事を聞き、つるぎはよりかえでを睨みつけながら話す。

「そう。そんなに自信があるなら、今ここでそのなぎなたで私に触れてごらんなさい! 強くなりたいんでしょ! 克服したいんでしょう! ならやってみなさい。誰のために私はここにいると思っているの! 人の心配をするくらいなら、今ここで帰りなさい。私はあなたに怪我の心配をしてもらなわなくても大丈夫よ」

 つるぎの挑発的な言葉に、かえでの怒りはどんどん大きくなる。

「つるぎ先輩! 本当に怪我されても私は知りません。本気で行かせてもらいます」

「かかってきなさい。西園寺さん!」

「望むところです。つるぎ先輩!」


 二人の真剣勝負が始まった。


(其の五に続く)

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