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其の三

(すごい先輩に声をかけていただいたのだから、私、がんばらないと――)

 かえでは、いつになく緊張した面持ちになっている。そんなかえでを傍目で見ている同級生たちは、かえでを心配しながら自分たちの稽古を始めていた。

『かえで、大丈夫かしら……』

『先輩が今話しているのを小耳に挟んだけど、つるぎ先輩の稽古って倒れるまでするらしいよ』

『え~! じゃあ、かえでも倒れるまで?』

『解らないけど――でも、かえでは上手いからそんな事にはならないかも』

『がんばれ! かえで!』

 そんな同級生のヒソヒソ話をよそに武道場の一角で、かえでとつるぎは、お互いに相対して正座し、始まりの礼をした。そして、かえでとつるぎの二人だけの稽古が始まった。

「じゃあ、軽く素振りしましょう」

 つるぎはかえでにそう言い、防具をつけずに上下振りから始めていく。お互い相対して向き合い、ゆったりとしかし間延びしない振りを十数回繰り返す。

 次に面・側面・すね・胴・打ち返しの打突を相手を想定して振り下ろしていく。これを上下振りと同じ本数を繰り返す。素振りといえども、メリハリをつけながら振るので見た目以上にかなり大変である。

かえでとつるぎが並ぶと、つるぎの方がかなり背丈が小さいはずなのに、なぎなたの振りの大きさが変わらなく見えるのは、つるぎのなぎなた捌きの方が、かえでよりも大きいからである。

 まして、かえでは、大先輩を目の前にしているという緊張もあり、振りが小さくなっていて、いつもよりぎこちない。

「西園寺さん。もう少し力を抜いて。顔まで力が入っているわよ」

つるぎは、かえでの固い動きと表情を見るに見兼ねて、声をかけて緊張をほぐそうとする。

「は、い! 先、輩! 大、丈夫で、す……」

 しかし、声をかけられた事で余計に緊張してしまい、返事もままならない。

「困ったわね、西園寺さん。こんなに緊張してしまうと稽古も十分にできないわ」

「すみません。先、輩」

 恐縮してしまい、余計に萎縮するかえで。

「西園寺さん、緊張する気持ちは解るけど、緊張をコントロールするのも稽古の一つよ、もっとリラックスして、普段の稽古のときのようにすればいいのよ」

「は……い……」

 それでも緊張が解けないかえで。

「しょうがないわね……とにかく、ゆっくりと深呼吸をしましょう」

なぎなたを両手に持ち、上段の構えからゆっくりと前に振り下ろし深呼吸をする二人。それを数回繰り返すと、つるぎはかえでになぎなたを床に置くように言い、ゆっくりとかえでの前にやってきた。

 そして、かえでの顔を上目つかいで見上げるように無言でじぃーっと、まばたきをするのを忘れたかのように、穴の開くほどに見つめた。

「……先輩?」

 かえではつるぎに見つめられている間、何をして言いか解らず、その場に立ち尽くす。すると、

「西園寺さん。さっきは遠くで見ていたから解らなかったけど――こうして間近で見ると、あなた、無茶苦茶カワイイわね」

「はいっ!?」

 かえでは、つるぎがいきなり何を言い出すのかと思い、言葉にならない返事をする。

 その刹那、つるぎはいきなりかえでの背後に廻り込み、ものすごい力でかえでを押さえつけ、わき腹をくすぐり始めた。

「ひゃあ~! せっ先輩、何をするんですか! ひゃははは――!」

 かえでは、身をよじってつるぎからのくすぐりをかわそうとする。しかしつるぎは、お構いなしにくすぐり続ける。

「きゃはは! やめて――ははは――下さいひひ――せっ、せんぱいっ!」

「ふふふ、西園寺さんの笑った顔も、もの凄くカワイイわね」

「そんな、はははは、く、くるしいひひ――です」

 武道場内は、かえでの悲鳴にも似た笑い声がこだまする。そこには、おおよそ武道場には似つかわしくない姿――つるぎに羽交い締めにされながらくすぐり続けられ、息も絶え絶えに身悶えし笑い続けるかえでの姿があった。

「せんぱい――もうゆるしてください!」


 その後もくすぐりを続けていたつるぎは、しばらくするとかえでへの縛めをほどいて、まるで何事もなかったかのように、かえでの前にきちんと正座した。

 ようやく開放されたかえでは荒れた呼吸と乱れた稽古着を戻しつつ、よろけながらつるぎの正面に続いて正座した。

「先輩、いきなり何をなさるのですか!?」

 笑いすぎて涙目となった目をこすり、かえではつるぎに訴える。

「ごめんなさい、西園寺さん。あんまりあなたがカワイイから、ついいじめたくなって――」

「え?」

「もう冗談よ。見ている方も緊張するぐらいあなたが固くてガチガチだったから、少し乱暴だったけどほぐさせてもらったわ、あんまり緊張すると怪我してしまうから気をつけてね」

 優しいまなざしでつるぎは、かえでに語りかける。そう言われてかえでは、緊張感が笑った事によってほとんどなくなっている事に気がついた。

(うわっ! やっぱり大先輩と言われるだけある。すごい。この人は!)

 ふざけているようで、実はしっかりと計算して行動しているつるぎという人物にかえでは内心驚いた。


 かたや武道場の新入生たちは、かえでの悲鳴と笑い声を聞いて思わず稽古の手を止め、そこに繰り広げられた光景を見てあっけに取られていた。

「かえで――先輩に何されていたのかしら?」

「くすぐられていた――よね?」

「あれって、稽古なの?」

 新入生たちは口々につぶやく。すると、

「これはね、つるぎ先輩の得意技『緊張ほぐし・悶絶羽交い締め』よ。たぶん先輩は、西園寺さんがあまりに緊張しているから、ほぐそうとされたのね。過度な緊張は怪我の元だから。ちょっと荒っぽいんだけど。私たちもそうだったけど、あなたたちもいずれは受ける洗礼みたいなものよ。覚悟しといた方が良いかもね」

 傍にいた主将は、すこし苦笑いしながらそっと教えてくれた。新入生たちはその言葉を神妙な面持ちで聞いていた。


 一方つるぎは、かえでの荒れた呼吸が収まったところを見計らって声をかけた。

「さあ、西園寺さん、そろそろ稽古を始めましょうか」

「はい! 先輩!」

 改めて、二人の稽古が始まった。二人はもう一度軽く素振りを行い、その後防具をお互いつけ、掛かり稽古となった。

「さあ、西園寺さん。遠慮はいらないから、思いっきり打ち込んでいらっしゃい。ただし、気を抜いた打ち込みをしたら、逆にこちらから打ち込むから、しっかり打ってくるのよ」

「はい、先輩!」

「それじゃあ、始め!」

「はあ~! 面、面、面!」

 かえではつるぎに面打ちを、繰り出していく。つるぎは、かえでが打つたびに一歩ずつ下がり、武道場の端まで行くと、体を入替えて再びかえでに打たせる。

「はい、技を替えて、今度は小手打ち!」

「はい! 小手! 小手!」

 一往復すると、かえでは技を替えて小手打ちを始める。それが一往復すると、今度は胴打ち、そして脛打ち、突き打ちと続けていく。

 しかし技が一通り廻り、もう一度面打ちを始めたところで急につるぎはかえでに打ち込みを止めるように言った。

「どうしたのですか? 先輩」

 本来掛かり稽古は、技を一周するだけでは練習としては足りない。つるぎは無言のまま少し考えていたが、おもむろに自分の防具をすべて外してから、かえでにも防具を外すように言い、そしてかえでに語りかけた。


「西園寺さん、ごめんなさいね。ちょっと気になる事があるの――今から私の言う通りにやって欲しいの。とりあえず普通に構えてみて」

「はい……」

 何やら意味深な事を言うつるぎ。かえではつるぎの言われるままに中段に構える。

「準備はできたかしら。じゃあ西園寺さん。この距離からここに面打ちをしてみて」

 つるぎは、かえでから少し離れて立ってから持っているなぎなたを真横にし、自分の額の前で柄を握り、刀部分に向かってかえでに打ち込ませるように構えた。

「面!」

 かえでは、二歩ほど間合いを詰めてから難なくそこに打ち込んで見せた。するとつるぎはもう一度同じ構えをし、少しだけかえでに近づいてなぎなたの間合いになった。

「もう一度、ここに打ち込んで」

「はい! はぁー面!」

 今度もかえでは一歩踏み込んで普段通りの綺麗な振りで打ち込んだ。

「それじゃあ、ここはどう? 思いっきり打ち込んできて」

 つるぎはまた同じ構えをしたが、今度はかなりかえでに近づいて、剣道の一刀一足ほどの間合いになった。かえでの表情がわずかに曇る。しかしつるぎに促されて、近い間合いからそのまま振り下ろすようにつるぎの頭上に在るなぎなたに打ち込んだ。

「めーん!!」

 かえでの剣先がつるぎの剣先に当たろうとする刹那、いきなりつるぎがかえでの視界から消えてしまい、かえでのなぎなたは空を切る。

「えっ?」

 かえでは驚いた。つるぎが気配もろとも消えてしまったからである。

 すると、かえでの真横から頭上につるぎのなぎなたがポンと乗ってきた。

「はい、め・ん」

「先輩!? どうして?」

 かえでは何故真横からつるぎが出てきたかが解らず、きょとんとしてしまった。つるぎは全て解ったという表情をして、今の打ち込みの説明を始めた。

「西園寺さん、あなたのなぎなたは、技も形もとても綺麗で上手いけど、相手との間合いが近い面打ちの時だけ一瞬打ち込むのをためらう癖があるの。だからさっき、あなたが打ち込む寸前に私は大きく真横に移動してみたのよ。あなたには、ためらった時間だけ反応が遅れたので私が消えたように見えたでしょう。この癖は残念だけど致命的よ」

「…………」

 かえでは言葉が出ない。ショックだった。思わず唇を噛みうつ向くと、あと一歩のところで敗れてしまった昨日の試合後の悔しさと哀しさがふつふつと蘇ってきた。

 そして、つるぎに致命的とまで言われてしまった絶望感も加わって、かえでの瞳から涙が溢れ出してきた。

 つるぎは、かえでを見て、

「西園寺さん――少し休憩。外に行きましょう」

 そう言って、武道場の外に連れ出した。


 外に出た二人は、武道場の入り口近くの階段に並んで腰掛けた。そこでつるぎは敢えて自分から話を始めようとはしなかった。かえでは、つるぎの横に座って袴の膝を抱えるようにして座り、顔半分を袴にうずめるようにしていた。涙はもう出ていなかった。

 しばらく二人の間には言葉はなかった。静かに時間が経つ。じっとしているかえで、黙って待つつるぎ。初夏のそよ風が二人の間を静かにすり抜けて行き、二人の髪をふわりと浮かせる。まるで黙っているのを止めさせるかのように。

 かえでは、風のいたずらで乱れた前髪を手櫛で直し、顔を袴から離して前を向き、ゆっくりと話し始めた。

「先輩、私……やっぱりためらってってますか」

 おずおずとした口調でかえではつるぎに聞く。

「うん。本当にわずかだけど、ためらっている」

「そうですか。じゃあこの癖は致命的ですか」

「今のままじゃ駄目かもしれないね」

 また黙ってしまうかえで。つるぎはかえでの方に向きを変え、

「西園寺さん。あなたはその理由が解っているのね」

 かえでは何も言わずに小さくうなずく。

「私に話してくれないかな? その理由を」

 つるぎは優しく語り掛ける。かえでは無言のまま動かない。そのしぐさは、いつもは元気いっぱいで堂々としているかえでとは違い、とても小さく見えた。

「西園寺さん。黙って自分の中で抱え込んでいるみたいだけど――でもね、あなたの中にあるその心のトゲをいつかは抜かないといけないのよ。それも自分の手で。解る?」

 かえでは、また袴に顔をうずめながら小さくうなずいた。そしてゆっくりと顔を上げ、言葉を選びながら話し始めた。

「先輩。私――実は私が小さいとき、確か小学校に入りたてでなぎなたを始め出した頃、ある男の子の頭をなぎなたで打ってしまって大怪我させてしまったんです……」

 かえではゆっくりと記憶の糸をたどるように話し始めた。


(其の四に続く)

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