果たされなかった約束
声のした方へ視線を向けると、そこに立っていたのは凛子兄だった。
思わず目を見開いた銀子だが、今の自分は銀髪のロングヘアのウィッグを着け、メイクも変えている。
──分かるはずがない。
そう思い、聞こえなかったふりをして店へ入ろうとした瞬間、手首を掴まれた。
「あなたが、どんな変装をしても……見間違えたりしませんよ」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられ、銀子は泣きそうになる。
「……何で、ここに?」
ようやく絞り出した声に、凛子兄は一度口を開きかけ、また閉じた。
そして意を決したように、まっすぐ銀子を見る。
「里美の両親に……食事に誘われたんだ」
その言葉を聞き、銀子は小さく微笑んだ。
「そう……。結婚したの? おめでとう」
本当は“婚約”だと知っていた。
けれど、知らないふりをしたまま、そう言った。
「不思議なものですね」
「え?」
「あれほど必死に探していた時は、どこにもいなかったのに……
諦めた途端、こんなふうに偶然出会うなんて」
凛子兄の言葉に、銀子は崩れそうになる心を必死に支える。
「銀子さん……今、幸せですか?」
その問いに、銀子は彼の顔を見た。
ジュンコママの話を裏付けるように、凛子兄は痩せ、頬が落ちている。
──そうさせたのは、自分だ。
その罪を背負って生きていくしかない。
そう思いながら、銀子は口を開いた。
「……幸せよ」
無理に作った笑顔の頬に、そっと凛子兄の手が触れる。
変わらず、温かい手だった。
「相変わらず、嘘つきですね。
こんなに痩せて……ちゃんと食べていますか?」
「アンタは、私のオカンか!」
銀子はその手を軽く叩き落とし、小さく笑う。
「ほら、さっさと行きなさいよ。里美が待ってるわ」
そう言って背を向けた。
「……約束、忘れないでよ」
強がって呟いた銀子に、凛子兄は静かに答える。
「はい。……今、里美は三ヶ月なんです。
生まれたら、連れて来ますね」
その言葉に、銀子は一度深呼吸し、笑顔を浮かべた。
「おぉ……遂に男になったのね。おめでとう。
幸せにね」
「……はい。銀子さんも」
凛子兄は小さく頷き、不安そうな顔で少し離れた場所に立つ里美の元へ歩いて行った。
──これで、本当の別れだ。
遠ざかる背中を見送りながら、銀子は思う。
凛子兄を“好き”だったのかと問われれば、正直、分からない。
ただ、自分を大切にしてくれた人だったから――
その別れが、こんなにも胸に残るのかもしれない。
銀子はそう思いながら、再び引っ越しの支度を始めた。
今度は、ジュンコママの系列店でもない。
誰も自分を知らない街へ行こうと決めた。
事情を話し、チーママの席は元のアンジュに返す。
そして銀子は、“自分探し”の旅に出ることにした。
もちろん──
相棒の金太と銅太を連れて。




