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温かい手料理は、涙の味でした

カチャカチャと食器の音がして、銀子はゆっくり目を覚ました。

隣に凛子兄はいない。


(昨日のこと……夢、じゃないわよね?)


そう思っていると、ドアの隙間から凛子兄がひょっこり顔を出した。


「あ、銀子さん。起きましたか?」


「てつお……?」


「てつおみです」


なぜか一晩で“大人になったような”清々しい顔で訂正してくる。


「身体、大丈夫ですか? 痛むようなら、こちらに食事を運びますが」


「はぁ?」


(お前、何もしてないのに、何でアタシの身体が痛む想定なんだよ!)


叫びたい衝動を堪えて聞き返す。


「食事って?」


「あぁ……簡単ですが、朝食を。時間的にはランチですが。作らせていただきました」


ふわりと笑いながら手を差し出され、銀子は半ば呆れながらもリビングへ向かった。


そこには──The・和食が整然と並んでいた。


「銀子さんが寝ている間に、スーパーで買ってきまして。……あ! 勝手にキッチン使ってすみません」


「すげぇ……。これ、全部てつおが?」


「てつおみです。はい、私が作りました」


味噌汁を手渡され、凛子兄が正面に座るのを確認して銀子は手を合わせた。


「いただきます」


焼き鮭、甘い卵焼き、きんぴらごぼう。

素朴だが丁寧な料理。


銀子は──人生で初めて“自分のために作られた”温かい手料理を口にした。


鼻の奥がツンとする。


「てつお……」


「てつおみです」


「ヤバい……すっげぇ美味い……」


泣き笑いを浮かべた銀子に、凛子兄が何か言おうと口を開きかけた、その時。


スマホの着信音が響いた。


画面を見た凛子兄は、一瞬だけ表情を曇らせ、電源を切ってポケットにしまった。


銀子は黙って食べ続けたが、やがて箸を置いた。


「電話……出なくて良かったのか?」


「良いんです。もう……終わったことなので」


その言葉に、銀子は静かに問いかけた。


「なぁ、てつおみ」


「てつおみです……え? 銀子さん、今……」


まともに呼ばれて驚く凛子兄に、銀子は続けた。


「すっぴんの俺はオネェ言葉じゃねぇけど……いいよな?」


一呼吸置いてから、真っ直ぐ問いかけた。


「今の電話……女か?」


凛子兄は戸惑いながら頷いた。


「元カノ……と言うのですかね。告白されて付き合ったのですが、料理を振る舞ったら……“女性より料理が上手い男なんてキモい”と言われて、振られました」


自嘲ぎみに笑うその声に、銀子はゆっくり息を吐いた。


「で……俺と付き合うって判断に至ったのか?」


凛子兄は慌てて顔を上げた。


「いい加減な気持ちではありません! お店に通い、あなたという人となりに触れて……」


「じゃあ、なんでスマホ見た瞬間、寂しそうな顔したんだよ」


銀子が静かに遮った。


銀子は“人の表情が変わる瞬間”に敏感だ。

家庭環境ゆえの癖だ。


あの一瞬を、見逃すはずがなかった。


(……まだ未練がある顔だよ、あれは)


銀子は立ち上がり、凛子兄の荷物を手渡した。


「お前……しばらく店に来んな」


ぽつりと言った言葉は、驚くほど静かだった。


「飯……美味かった。サンキューな」


そして背を向ける前に、もうひと言だけ続けた。


「スマホの女と、ちゃんと話して来い。それでも俺を……アタシを選ぶなら、アタシも覚悟決めて付き合うから」


凛子兄は唇を震わせた。


「銀子さん……」


「じゃあね、てつお」


営業スマイルを貼り付けて、銀子は凛子兄を部屋の外へ押し出した。


そこで笑顔は崩れた。


銀子には分かっていた。

凛子兄が──“あの女”のもとへ戻ることを。


それでも。


初めて誰かが自分のために作った温かい手料理をくれた凛子兄には、

どうか幸せであってほしいと願わずにいられなかった。


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