違う!そうじゃないのよ、てつおみ!
──三つ指をついて頭を下げていた凛子兄が、ゆっくりと顔を上げた。
そして銀子の“素顔”を見た瞬間、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「やはり……銀子さんは、とても整ったお顔立ちなのですね」
初めて素顔を見ても逃げ出さない男に、銀子は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「てつお……」
「てつおみです」
ふっと距離を詰められ、そっと唇が触れた。
押し倒されるようにベッドへと倒れ込み、頬に触れた手の温もりに銀子は思わず目を閉じる。
(あぁ……アタシ、ついに……)
期待にも似た感情が高まった、その瞬間。
「……あれ? 薔薇の花が散りませんね?」
凛子兄は辺りをキョロキョロと見回していた。
(……は?)
驚いて目を開けると、銀子を抱きしめたまま満足げに微笑む凛子兄がいた。
「素敵な夜をありがとうございました。あとは朝、鳥のさえずりで目覚めれば完璧ですね」
そう言い残し──銀子が何か言うより先に、スヤスヤと寝息を立て始めた。
……
…………
……………………。
「ちっがーーーーう!!!」
銀子の絶叫が虚しく響く。
(凛子……アンタ、一体どんな漫画を兄貴に読ませたのよ!)
怒りが込み上げたが、隣で眠る凛子兄の幸せそうな寝顔を見て、銀子はつい苦笑した。
「……ねぇ、てつお。アンタが初めてなのよ。
アタシの素顔を見て逃げなかった男は。ちょっとズレてるけど……アンタなら、信じても良いのかもしれないわね」
「むにゃ……銀子さん……てつおみです……」
寝言でしっかり“てつおみ”を訂正してくる凛子兄。
その律儀さに銀子は小さく笑った。
腕の中の温もりが、ひどく優しい。
人肌に触れたのが何年ぶりだったのか、もう思い出せない。
本当は──男が好きなわけじゃない。
オネェでいるのも、弱く脆い自分を守るための“鎧”にすぎない。
厚塗りメイクも強がりも、全部そのため。
だから今日みたいに誰かに抱きしめられたくなるのも、
「壊してほしい」なんて思ってしまうのも、ただの寂しさの延長だ。
けれど銀子は、なぜか凛子兄に救われた気がしていた。
イケメンだと言われ、女性に追いかけられて逃げ回っていた自分。
いつしか“鎧”だけが分厚くなって、本心をどこかに置き忘れていた。
「ありがとう……てつおみ」
銀子はそっと腕を回す。
違う温度の肌と、心臓の音がやけに心地よかった夜だった。




