ビールの泡
バーでビールを頼む人はよくいる。
何を飲むかは人それぞれだ。
ただ、せっかく本格バーに来たのにビールばかり頼む人には、「何を考えているんだろう」という違和感を覚えるのは事実だが。
そして、お店の側のビールの注ぎ方にも違和感を覚えることがある。せっかく注いだビールの泡を捨ててしまうお店だ。ちまちま泡を捨てているところを見ると、何てもったいないことを、と思ってしまう。
てなことを話していると、マスターが教えてくれた。
「泡を捨てるのはキリンビール系のお店ですね」
「え?」
飲んべえの私もそれは初耳だった。
「キリンビールでは三度注ぎが基本なんです。最初に泡で満たして泡が半分くらいになるまで待ち、後からビールを注いで泡を盛り上げます。そこで泡を掻き出して最後に泡を盛り上げて完成です」
「そんなことをしたらめっちゃ時間がかかるし、ビールの酸化も進みますよね」
「同感です。ですからうちでは、アサヒ・サントリー方式にしています。先に液体を注いで、そのあと泡で蓋をします」
「全く発想が逆なんだ」
「ええ。キリンとアサヒ・サントリー系はサーバーの操作法も違うんです。キリンは、レバーを手前に引くと泡が出て、アサヒ・サントリー系は押すと泡が出るんです。バイトの子なんかは、よく混乱していますよ」
「ははは。そりゃ大変だ」
そこでAI氏が話に加わった。
「昔、イギリスでビールの泡はビールに含まれるか、て裁判があったんですよ。一九六四年、イギリスのブリストルであった『泡裁判』と言うやつです。客が、パイントグラスに入ったビールは泡のせいでグラスの名が示している量に達していない、て訴え出たんです。その時に下った判決は『適切な量の泡は伝統的な英国パイントの一部である』というものでした。日本でも、それに先立つ一九四〇年に似たような裁判があって、東大の坂口謹一郎教授が泡はビールである、と鑑定したんです」
「ほほー」
「泡のないビールなどはこの世に存在しない。泡こそがビールの生命、泡のないビールはビールではない、とまで言い切ったそうです」
「素晴しい! つまり、キリンビール系の泡を捨てる作法は、ビールを捨てていることになるのですね」
「はい」
なんとも胸のつかえがおりる話だった。これで泡を捨てる店でいらいらしなくて済む。
「さて、久しぶりにビールを飲んでみますか。……バクダン、なんてどうかな。向こうの言い方で言うとボイラーメイカー」
「はい、かしこまりました」
マスターが苦笑している。何て手荒い飲み方をしやがるんだ、と言いたげだ。
「じゃ、僕もそれを」
AI氏がのっかる。
ジョッキのビールにショットグラスのウィスキーのセット。そのショットグラスをビールの中に静かに落とす。
AI氏が目を丸くしている。一瞬の躊躇ののち、私に続く。
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」
私たちは、ショットグラスが入ったジョッキを軽く合わせたのだった。




