パーフェクト・マティーニ
いつものバーに行くと、たまに見かけるお客さんがカウンターに坐っていた。そのお客さんは、椅子の横に大きなボストンバッグを置いている。
私は、一つあけた席に坐った。
「ちょっと待って下さいね」
マスターは両手で客を制すると、私の前に来て挨拶した。
「いらっしゃいませ」
お手拭きとチャームを出す。私は、挨拶もそこそこに一杯目を注文した。
「マティーニをお願いします」
「かしこまりました」
マスターは、ミキシンググラスでジンとベルモットを氷と共に混ぜ、ストレーナーをかぶせて冷やしたバラライカグラスに注ぐ。私の好みを知っているので、ジン多めのドライマティーニだ。それもヘンドリクス・ジンにノイリー・プラットという黄金の組み合わせである。最後にレモンピールを横でしぼって軽く油分を飛ばし、ピンに刺したオリーブを入れて完成だ。
「どうぞ。マティーニです」
「うーん、うまい!」
私は完璧なマティーニに打ち震える。
マスターは、隣りの客の接客に戻る。
「だから、僕が頼みたいのはパーフェクト・マティーニなんだ」
「ですから、こちらがパーフェクト・マティーニです」
「これはパーフェクト・マティーニじゃない、作り直してくれ」
客の前には琥珀色の液体が入ったバラライカグラスが置いてある。ドライベルモットとスイートベルモットを合わせたジンベースのカクテルだ。
「そもそも、パーフェクト・マティーニならシェイクだろう。ステアじゃない、シェイクだよ」
「それはジェームスボンドマティーニ、あるいはヴェスパーと呼ばれるカクテルの作り方です。標準レシピでは、マティーニはステアする物なのです」
話がかみあっていない。そして、マスターもいい加減切れかけている。私はバーの平穏を守るために介入することにした。
「失礼。私もマティーニはステアする物だと思うのですが、シェイクするべきとする根拠は何なんでしょう」
「有名な絵画があるのです。『パーフェクト・マティーニ』という」
客はスマホを使うと検索をして、ある画像を見せた。
「ほら、これです」
そこに示されたのは、十二分割されたキャンバスに描かれた、激しいシェイクをするバーテンダーの絵だった。最初の一コマと最後の一コマは落ち着きすましたバーテンダーになっている。ユーモラスだが、とてつもない誤解を招く絵だった。何せ右下の最後の駒にははっきりと「ABSOLUT VODKA」と書かれたボトルが描かれているのだ。説明には「Guy Buffet, Lithography, 2000.」と書かれている。
「ガイ・バフェット?」
「元々はフランス人なので、発音はギイ・ビュフェですね。ハワイにもギイ・ビュフェのギャラリーがあります」
「でも、マティーニの標準レシピはジンベースですし、ウォッカが出てくるのはおかしいんじゃないですか」
「うーん、確かにこの絵はウォッカマティーニを作っているように見えますね」とマスター。
「最初のコマにはキナ・リレが描いてあるようにも見えます」と私。
「というと、キナ・リレを振りまくっている?」と客氏。
「最近の映画では、ウォッカマティーニをダブルで、と言っていた記憶があります。公式に、ジェームスボンドマティーニはウォッカマティーニになっているんですよ」
「つまり、本来のレシピを変えられてしまったから、もうウォッカでも飲んでおけ、という意味なのかな」
「そういば、ギイ・ビュフェは風刺画を描くことで有名です」
三人で首を突き合わせてうんうんうなる。
その時、カランカランとドアベルが鳴った。AI氏の登場だ。
「今晩は」
のほほんと挨拶をして、我々ののっぴきならない様子にぎくりとする。
私は、三人を代表して経緯を説明する。
「ガイ・バフェイのアブソリュート・ウォッカの件ですか。それは、簡単な話です。アブソリュート・ウォッカのキャンペーンでその絵を描いたんですよ」
「は?」
我々三人はこれにはぽかんとした。
「一九八〇年代のことです。アブソリュートウォッカがアートキャンペーンをはじめましてね。確か最初に依頼したのがアンディ・ウォーホルだったかな。それ以降、数百人のアーティストに、アブソリュートウォッカのボトルをモチーフにした絵画を依頼してポスターにしたんですよ」
「そういえば、アンディ・ウォーホルが描いたラベルのボトルを見たことがあります」とマスター。
「この絵には色違いのバージョンがあって、赤い方だと振っているのが金色のシェイカーだとはっきりわかります。まあ、キナ・リレを振っているという解釈はちょっとうがちすぎた解釈だと思いますよ」
AI氏は得意げだ。
「さて。今日はそのガイ・バフェイ版パーフェクト・マティーニをお願いします。ゴードン・ジンを三、アブソリュート・ウォッカを一、リレ・ブランを〇・五、アンゴスチュラ・ビターズを一ダッシュ。よくシェイクしてから最後に大きく切ったレモンピールを入れて下さい。これで完璧なはずです」
ちなみに、リレ・ブランはキナ・リレよりもキニーネが少なく、苦みが減っているのだとか。アンゴスチュラ・ビターズはそれを補うために加えるのだ。
我々二人も同じ物を注文した。
マスターは、巨大なボストンシェイカーを取り出すと、三人分のガイ・バフェイ版パーフェクト・マティーニをやけくそになって振り始めるのだった。




