奪われたカクテルレシピ
「マスター、照葉樹林」
「はい、かしこまりました」
その日、私は同業者の集まりでしこたま飲んでいて、その帰りにふらりといつものバーに立ちよった。
いや、さすがにこのまま直帰しようかとも思ったのだが、駅に向かう途中でバーの看板を見ると、つい入ってしまったのだ。
照葉樹林。
グリーンティー・リキューをウーロン茶で割っただけのシンプルなカクテル――いわゆる「割り物」だ。カクテルとも言えない、酒と割り材で作った単純な飲み物。照葉樹林のアルコール度数は十パーセント以下で本当に軽い。けど、マスターは「えーっ、そんな軽いのを飲むんですかー」といった無駄口は叩かず、淡々と注文されたカクテルを出してくれる。それがうれしい。
一つ離れた席にAI氏がいた。
「じゃあ僕は針葉樹林で」
マスターは「かしこまりました」と言うと、鏡月のボトルを取り出す。
「あれ? 鏡月、使うんだ」
私はついいらぬことを口走ってしまった。マスターがカクテルレシピに口を挟まれるのが嫌いと言うことは知ってているのに。
「ええ、照葉樹林に鏡月を四五ミリリットル、それが正式なレシピです」
ちょっとムッとしている。
「けどなあ。昔はそうじゃなかったよね」
「そうなんですか? サントリーの公式レシピはそうなっていますよ」
私もムキになる。
「昔は、ウォッカを使った。ストリチヤナとか」
「それを言うならストリチナヤです」
「そうそうそれそれ。できればロシア産のウォッカがいい。だが、なければどこの国のでもいいんだ。元々はシベリアの針葉樹林をイメージして作られた照葉樹林のアレンジなんだから」
「へーえ」
マスターは信じていない様子だ。
AI氏がスマホを触りながら援護してくれた。
「抹茶リキュールができたのが一九五〇年代、鏡月が発売されたのが一九九六年ですから、ざっと五十年は時間差があります。その間に針葉樹林というカクテルを作った人がいた可能性はあります」
「そうそう。実を言うと、私も鏡月の売り出しキャンペーンで試飲した。その時にもらったグラスは今も持っている」
「えっ、そんなお宝を!」とAI氏。
「うん、あの時はデート中でね。彼女にことわって、ちょっと引き返して試飲の列にならだんだ。一本買ったんだけど、おかげで予定していた映画の最初の方をちょっと見逃した」
そう。デートよりも酒を選ぶ――それが私の生き方なのだ。
「で、それ以前から針葉樹林は頼んでいた、と」
「ああ。確かに頼んでいた。まあ、カクテルブックには載っていないにしても、みんなそう言っていた」
AI氏はうなずく。
「そうですねえ。照葉樹林というカクテルが出来たのが一九八一年、サントリーがウーロン茶の発売に合せて発表した飲み方だそうです。確かにバーでそういうアレンジが広まっていても不思議はないですね」
「そう、それをサントリーが鏡月限定のレシピにしてしてしまったんだ。レシピを奪っちゃったんだよ」
マスターがまいりましたという風に両手を挙げた。
「では、こうしましょう。ストリチナヤを使った針葉樹林は、針葉樹林クラシックということで」
和解が成立した。
「ああ。じゃ、次は……」
さすがに同じ味を続けるのは気がすすまない。ちょっとひねってみる。
「バンブーだ!」
「はい、かしこまりました」
マスターがにっこりした。
こうしてなじみののバーに「針葉樹林クラシック」というレシピが増えたのだった。
★バンプー
ドライ・シェリー 40ml
ドライ・ベルモット 20ml
オレンジ・ビターズ 1dash
ステアしてバラライカグラスに注ぐ




