ごん、お前だったのか
いつものバーに行くと、マスターがチャーム代わりにキツネのお面の形をしたおせんべいを出してくれた。伏見稲荷に参詣してきたとのこと。そこで売られている白味噌風味の銘菓だ。
「いやー、なかなか大変でしたよ」とマスター。
「というと、山頂のお塚巡りもしてきました?」
「ええ。朝行って夕方に帰ってきたんですけどね、そりゃもうくたくたになりました」
「でしょうね」
私は苦笑する。
これでも昔は毎月一回は伏見稲荷大社にお参りしていたのだ。体調上の問題が起きてからはとんとご無沙汰になっているが。
「遠足の子供達がたくさんいましたよ。無邪気な物です。心が洗われました」
「それはそれは。いいですねえ」
AI氏が話に加わってきた。
「そういえば、数年前にごんぎつね問題ってあったじゃないですか。ほら、お葬式で大きな鍋で何かをぐずぐずになるまで煮ていて、子供達に何を煮ているのだろうかってきいたら『お婆さんの死体』って答えたっていう」
「ええ。小学四年生の話でしたっけ。グループ討論をさせたらそういう答えが複数出た、とか。一種の都市伝説でしょう」
「まあ、そう思うのももっともなのですが、アレには理由があるんです」
「というと?」
「実は僕のいとこにその現場に居合わせたって子供がいましたね」
マスターがグラスを拭き始めたので私はガルフストリームを頼んだ。青空のようにさわやかなカクテルだ。
「了解しました」
「あ、じゃ僕もそれで」
マスターが仕事にとりかかる。
AI氏が声をひそめて先を続けた。
「あれって実は、ごんが原因なんです」
「はあっ!?」
「といっても、ごんってのはあだ名で、本名は権田先生って言うんですけどね。教務主任をしていて普段は授業をしません。ただ、たまに先生が病気や事故で休むと教壇に立つんです。父兄参観日の一週間くらい前にそのごん先生がある担任の代理をつとめました」
「はあ」
ガルフストリームが出る。さわやかかつすっきりした青色のカクテルだ。
AI氏が先を続ける。
「ごん先生は博識な人で、授業の脱線が面白かったそうです。スラブ系のヴェンド人が老人を殺して煮て食べる話とか、中央アジアのマッサゲタイ人が高齢者を殺して家畜とともに煮込んで食べる話をしていたんですね。これ、どちらもヘロドトスの『歴史』に書いてあることなんですけどね」
「へーえ」
「あと、沖縄の洗骨の風習についても話していたそうです。死んで三年目とか五年目とか七年目に、酒や水で骨を洗う、肉が残っていたらこそげ落とす、とね。女性が洗骨をしなくてはならないので負荷が大変だから、と一九七〇年代に廃止運動が起き、今はほぼなくなったそうです。伝承ではその昔は遺体を煮て食べたとも言われている、とか。ゴン先生はそういう話ばかりしていたみたいです。ま、そういうわけで、ごん先生の薫陶よろしきを得た小学生達は、ここぞとばかりに『お婆さんをぐずぐずに煮る』だの『消毒する』だのと発表したわけですよ。それが教育の荒廃としてやり玉に挙がったのですから、可哀想な話ですよ」
「なるほどねえ。私はてっきり、ホラーアニメとかテレビの影響だと思っていたのですが、そういうわけでしたか」
ガルフストリームを飲みきったので、次の飲み物を考える。
「マスター、何かキツネにちなんだカクテルってありますか」
「そうですね。フォックストロットとかいかがです?」
「それは初耳だ。どんなレシピなんです?」
「ラムにオレンジキュラソーとレモンジュースを加えてシェイクしたカクテルです」
「じゃあそれで」
また新しいカクテルを覚えた夜だった。




