第7話 城戸の提案
城戸は、三脚の脚を一本ずつ伸ばし、店の光を測るように首を傾けた。
「香りが強い。ローズマリー、いいですね。匂いの写真は勝てる」
奈緒は一歩だけ下がり、さくらはカウンターの端で指を組んだ。
「奈緒に、なに撮らせるつもり?」
「“夏の残り香”。タイトルは仮ね。——祭りの前夜、階段で、風鈴が揺れて、目を伏せて、照明はこちらで作る」
“作る”という言葉が、空気をわずかに削った。
俺は風鈴の短冊を結び直し、短く二度、鳴らす。奈緒の肩の力が、少しだけ抜ける。
「コンテストの枠、押さえます?」と城戸。
マスターが「要項ならこれ」と、コピー紙の束を差し出した。
応募は一人一作品/被写体の同意文を50字以内で添付/撮影補助は可、演出過多は不可——町内会らしい曖昧さだが、言葉の重みが入っている。
「被写体の同意文?」城戸が眉を上げる。
「言葉の練習だ」とマスター。
さくらがこちらを見る。目だけで「やる?」と問う。
俺は小さくうなずいた。台本なら、渡せる。
「奈緒さん」
「うん」
「頼まれたら、断り方の練習もしましょう。『今日は“待つ練習の日”にします』って」
奈緒は笑って頷く。「いいね、それ」
城戸はあっさり続けた。
「じゃ、明日の夕方、屋上で一本押さえましょう。光、拾えるから」
「すみません、明日は——」奈緒が言いかけたそのとき、風鈴が二回だけ鳴った。
奈緒は短く息を吸い、言葉を整える。
「待つ練習の日にします」
城戸の笑みが薄くなる。
「真面目だな。まあ、当日でも撮れるさ」
彼は三脚をたたみ、こちらへ一歩。
「君は?」と俺を見た。「手首、いい布だ。手先が器用そう。照明、手伝える?」
「通行人です」
「ふうん。——じゃ、当日はぶつからないように」
三脚の脚が、俺の足元の視界を一瞬だけ塞いだ。
小さな影だが、長い。
《存在ノイズ:莉央 95% → 94%》
〈未着信:暗室の灯 7〉
布をきゅっと締める。
主役にはならない。だが、舞台は整える。
夕方、川沿い。
悠真に会い、コピー要項を渡した。
「同意文が要る。——短く、50字以内」
「短いの、得意になってきました」
「もう一度、順番を守って。“事実→感情”。演出じゃなくて共有を書いて」
悠真は頷き、便箋に試し書きする。
“階段の風鈴の音を、あなたと同じ側で聞いた。”
“あなたの横顔が、光でやわらかくなった。”
「いい。方向が合ってる」
写ルンですを握る彼の手が、今日は迷わない。
「通行人さん」
「はい」
「あなた、どうしてそこまで“台本”が上手いんです?」
「主役にならないぶん、袖で見てるから」
悠真は笑って、カメラを胸ポケットに入れた。
「じゃあ——祭りの日に、ちゃんと渡します」
風が吹く。
遠くで風鈴が二度鳴った。
音の合図は、もう街に溶けている。
夜、喫茶店。
さくらがコピー紙を何枚か重ね、ホチキスで留めた。表紙にマジックで書く。
『観る練習・小さなワーク』
——「撮る」ではなく「観る」。
祭り当日の昼、観客向けに店内でやるとマスターが言い出し、さくらが一瞬で形にした。
「見る側が育つと、演出は効かなくなる。城戸くん、嫌がるよ」
「観客の編集ですね」
「うん。私は観客」
奈緒がトレーを拭きながら、小さく笑う。
「ねえ、そのワーク、私も参加していい?」
「もちろん。被写体の同意文、そこで一緒に考えよう」
奈緒は頷き、踊り場の枝を指で弾いた。
「明日、来られなかったら、二本捨てる。練習のやつ」
扉の外で、試験点灯の提灯がまた一列、灯る。
風鈴が一度、二度。
音の間合いが、心臓の鼓動に重なる。
ポケットのスマホが、かすかに震えた。
黒い画面に、赤い灯が滲み、吹き出しが輪郭ごと現れる。
〈ただいま〉
——文字が、完全だった。
すぐに消えたが、胸の奥に、灯が残る。
《存在ノイズ:莉央 94% → 95%(回復)》
〈未着信:暗室の灯 8〉
店を出ると、城戸が通りの向こうで三脚を肩に掛けていた。
「明日、屋上の鍵、借りられた」
「そうですか」
「勝負だね。——“匂い”と“声”と“光”。どっちが本物を連れてくるか」
彼は笑って、三脚の一本を俺の前に立てた。
影が、細長く足元に落ちる。
俺は風鈴の短冊を結び直し、二度、静かに鳴らした。
主役にはならない。
でも、合図は渡す。




