第12話 夏祭り ― 光が余る夜(後編)
夜が立ち切って、通りが赤と音で満ちた。
屋台の油が弾け、金魚の桶が小さく寄せ返す。太鼓の輪は広がり、提灯の列は面になって空気を染める。
喫茶店の二階、風鈴の真下。
奈緒と悠真が並ぶ。奈緒は鳴らさない——来られている日の証。
踊り場のローズマリーは香りを増し、階段の影はやわらかい。
俺は写らない場所——三段目の陰に立つ。布をきゅっと締める。
返す側は袖にいる。
城戸の白が、一度だけ通りを舐めた。
屋上からの照明は強く、影の輪郭が濃く出る。
観客の視線がいっときそちらへ向かい、すぐに戻る。**『観る練習』**で育った沈黙が、過剰を受け流した。
「一本だけ、屋上で——」
城戸の声に、奈緒は風鈴を見上げて鳴らさない。
短く、しかしはっきりと。
「ここで観ます」
城戸は肩をすくめ、照明を一段落とす。白が引き、提灯の赤が前に出る。
悠真が封筒を取り出す。
事実→感情。
「来られました。……あなたと、明日を観たい」
語尾は固い。
奈緒はうなずき、胸の前で指を結ぶ。
「同意文、ありがとう。短いのに、守られてる感じがする」
「守りたくて、短いんです」
悠真は写ルンですを構えた。
横顔/風鈴/ローズマリー——目印に寄せる。
カシャン。
息を一つ、浅くしない。少しだけ笑う。もう一枚。
事実を先に、感情を後ろから添えるみたいに。
奈緒の目尻が、柔らかくほどける。
観客の沈黙が、小さく息を吐く。
《存在ノイズ:莉央 98% → 99%》
〈未着信:暗室の灯 15〉
そのとき、さくらが冊子を掲げて合図する。
「タイトル、決めな」
悠真は短く考え、奈緒の顔を見て言った。
「『灯をつけておく』」
奈緒が、笑う。
暗室の言葉が、ここで光になる。
「応募票、ここで書こう」
さくらがペンを差し出す。
——作品名:灯をつけておく
——被写体の同意文(50字以内):被写体 宮本奈緒は、本写真の撮影および応募に同意します。
署名。日付。
今日が紙に沈む。
城戸が屋上の縁からこちらを見下ろし、口角で笑った。
「いい名前」
強がりではなく、認める角度だった。
彼は白をさらに落とし、観客の光に任せるように引いた。
太鼓が高くなり、輪が広がる。
屋台の煙が、風の向きを教える。
風鈴の下は静かだ。
奈緒が、そっと言った。
「私、待つ練習、続ける」
「僕は、逃げない練習、続けます」
二人の言葉は短く、まっすぐで、隣り合っていた。
俺は陰で、布を締め直す。
返す側の仕事は、ここで終わっていく。
短冊の結び目は固く、鳴らさない——来られている日の印。
ポケットのスマホが、静かに震えた。
黒い画面に、赤い灯が滲む。
吹き出しが端まで現れて、消えない。
〈ただいま〉
〈灯り、つけておくね〉
《存在ノイズ:莉央 99%(回復)》
〈未着信:暗室の灯 16〉
提出所で、二人は並んで応募票を出した。
係の人が受け取り、笑う。
「いい題だね」
さくらが後ろで親指を立て、マスターは氷を割る音で拍手の代わりをした。
帰り道、奈緒が踊り場の鉢からローズマリーを一本折り、灰皿の隣にそっと置く。
「来られなかった昨日、これで捨てた」
「はい」
風鈴は鳴らない。
——来られている日の証。
通りの赤はまだ濃く、屋台は名残の匂いを長く引きずっていた。
俺は写らない場所から最後に一度だけ、短冊を結び直す。
結びは固く、二度、小さく指で震わせる。
音は立てない。
合図の役目は、もう要らないから。
胸の奥で、灯が帰る方向を指した。




