第8章 「裏切りと加護──忍び寄る教会の影と、3人の異変」
ギルドの朝は、いつもと変わらないように見えた。
ガマータが厨房から出てきて、俺に手を振る。
「先生〜、朝メシがわりにトマトの酒蒸し作ったぞ〜」
アルが受付から「胃が重くなるってば」とため息をつく。
エイストが黙って通りすがりに、今日も空いたグラスを片づけてくれる。
──ただの、いつもの朝。
……に、見えた。
だがその日の昼頃。
俺の出す酒をいつものように飲み干したガマータが、静かにうずくまった。
「……ん? おい、ガマさん?」
「……へへ、大丈夫。ちょっと目が回っただけだよ」
「……顔色、悪いぞ」
「年には勝てねぇってことさ。気にすんな、先生」
ガマはそう言って笑った。
でも、その額には、滲むような冷や汗が浮かんでいた。
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その日の夜。
アルが、帳簿を持ったまま、足元をふらつかせた。
「……アル、大丈夫か?」
「すみません。なんか……手が痺れて」
「酒、飲んでた?」
「いえ……でも、ここにいるだけで、ちょっとずつ……重くなる気がして……」
エイストがすぐに飛んできて、アルの肩を支える。
「……先生。アルは、今日は休ませた方がいい」
「わかった。悪い、無理させてたか」
「……ううん。むしろ、ありがとう。
先生の力を使えるって、なんだか誇らしかったから……」
その言葉が、やけに胸に響いた。
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そして、エイスト。
彼は夜、片付けをしていたとき、ギルドの奥で突然崩れるように座り込んだ。
「……くそ……見えない」
「……エイスト?」
「いや、大丈夫だ。……目が少し、霞んだだけだ」
「まさか、お前も……」
「先生。もしかしたら……“力を使うたびに、何かが”──」
彼の言葉が、最後まで届く前に、俺は自分の手を見た。
……うっすらと、血管が浮き上がっていた。
痛みはない。ただ、冷たさがあった。
(まさか──これは)
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その夜、ギルドの外れ。
一人の青年が、フードを深く被りながら、手帳を閉じて呟いた。
「……3名、確認。
“酔いどれ”の力の周辺に異常。予想通り、“補助体”が存在する」
スオミア教会、異端執行庁直属の密偵──
フェル・カルミナ
冷たい目をした彼は、手帳を懐にしまうと、そっとギルドの屋根を後にした。
「“聖人”の力は、確かに本物……
だがその裏には、代償と構造が存在する。
崩せば、終わる」
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◆ 翌朝。
「先生、これ──ギルドの掲示板に貼られてた」
ラキアが持ってきたのは、奇妙な紙だった。
> 【警告】
> “聖人”の酒に近づくな。
> その力は“代償を伴う魔”である。
>
> 既に、側にいた者たちに異常が出ている。
>
> お前は、“人を救ってなどいない”──
俺の手が、微かに震えた。
「──ラキア。もし、俺の力が、誰かを蝕んでるとしたら……どう思う?」
「それでも、あなたは誰かを救ってる」
「それでも?」
「救った重さは、壊した重さと比べられるものじゃない。
でも──“あなたが傷ついてまで救おうとしてる”って、
それだけで、誰かがもう、立ち直れる」
彼女はまっすぐに、俺の目を見てそう言った。
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俺は、その夜、ベンチにひとり腰掛けながら、
はじめて《酒精掌》を出さずに、ただ手を見つめていた。
この力は、俺を生かしてきた。
でも今は──俺の周りの大切な人を、少しずつ蝕んでいる。
「……神様よ」
小さく呟く。
「俺にこの力を与えた理由を、そろそろ教えてくれ」
冷たい風が吹き抜ける夜だった。