第4章「盗賊と“後悔の杯”──赦されぬ男が心を開いた夜」
その男が現れたのは、ギルドが一番静かになる時間だった。
夜の10時過ぎ。
冒険者たちは依頼を終えて帰宅し、
職員たちもほとんどが奥の事務室に引き上げている。
ギルドの片隅、俺の“酔いどれベンチ”にだけ、
ぽつんと灯ったランタンの明かりが揺れていた。
「……ここ、まだやってるか」
低く、しゃがれた声。
マントを深くかぶった男が、背中の剣をギシリと鳴らして座る。
「まだっていうか……営業してる気はないけどな。酔いたいのか?」
「酔いたいというより……忘れたい」
「じゃあ、軽めにしておこう」
俺は《酒精掌》を発動した。
出したのは、色の淡い梅酒。
甘さ控えめで、ほんの少しだけ心に染みる味。
「……これは?」
「忘れたい奴が一口目に選ぶには、ちょうどいいやつだよ」
男は一瞬だけためらい、カップを口に運んだ。
「……あぁ……なんだこれ。体が、少しだけ軽くなる……」
「酔いってのは、身体の痛みより先に、心に効く」
しばし沈黙。
やがて男は、静かに話し始めた。
「……俺の名は**ヴォルド・ガルス**。元・盗賊団の副長だ」
「盗賊?」
「ああ。今は堅気になって、冒険者に身をやつしてるがな。
昔は、金のためなら人の命すら踏みつけてきた」
カップを見つめるその横顔に、浮かぶのは“悔い”よりも“諦め”だった。
「仲間も、女も、親も……全部捨てた。欲に溺れてな。
だがある日、ある村で──まだ幼い娘に“命乞い”をされて……
それでようやく、自分が“人間やめてた”ことに気づいた」
「それで、盗賊をやめた?」
「ああ。でも、それだけじゃ済まない。
罪ってのはな、“自分が許したくても、相手が許してくれなきゃ終わらねぇ”んだよ」
「……そうかもな」
「だから俺は、これからも一生、“許されない人生”を歩く」
「でも、お前が誰にも話さず、ただ苦しんでたら──
“罪を知って悔いていること”すら、誰も知らないままだ」
「……!」
「俺はな、酒を出すけど、“記憶”までは消せねぇよ。
でも、せめて──その罪と、一緒に生きる方法くらいは考えられるだろ?」
男は目を見開き、それから──ほんの少しだけ肩を落とした。
「……誰かに話したのは、これが初めてだった。
ずっと、自分のことなんざ、誰にも知られたくなかった。
でも、不思議だな。今は、少しだけ……救われた気がする」
「それは酒の力じゃなくて、お前の勇気だよ」
「そう言うな。
……もう一杯、もらっていいか?」
「もちろん」
次に出したのは、少しだけアルコールが強い琥珀色の酒。
それを受け取ったヴォルドは、今度は自分の手でカップを持ち上げた。
「なあ、“酔いどれさん”。
俺みたいな奴でも、誰かの役に立てる日が来ると思うか?」
「来るさ。俺がそうだった。
酒に溺れて死んだだけの俺が、今じゃ“聖人”なんて呼ばれてるんだからな」
ヴォルドは、ふっと鼻で笑った。
「……ふざけた時代だな」
「でも、悪くないだろ?」
「……ああ、悪くねぇ」
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その夜、ヴォルドはベンチで少しだけ眠っていった。
俺は毛布をかけて、隣に座って、空を見ていた。
誰かの罪が、すべて帳消しになるわけじゃない。
でも、それを“背負いながら生きる強さ”を思い出すことはできる。
──酒ってのは、たぶんそういうものだ。
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翌朝、ベンチに残された銀貨2枚と、一枚の紙切れ。
> 「名前は出すな。ただし、次に来たときは“常連割”くれよ」
殴り書きのメモに、俺はふっと笑った。