第2章 「ガマータの肴と、ギルドの裏メニュー」
朝一番のギルドは、いつも騒がしい。
「依頼受付、Dランクまでだ! 高ランクは午後からな!」「おい誰か、剣の鍔の部品知らないか!?」「あの女、また受付のアル様に告ってフラれたらしいぞ」
そんな怒号と笑いとため息が飛び交う中──
ギルドの隅にある俺の“酒席”は、今日もひっそりとしていた。
「おはようさん、先生。今日の献立、できてるぜ」
ふと現れたのは、料理担当のガマータ。
丸太のような腕に、小皿を二枚持って。
「干しトカゲと野菜の炙り焼き。それと、例のアレだ」
「例のアレ?」
「“炙りチーズ・ド・スオミア”さ。こないだ先生が出してくれた、白いやつ──“チーズ”って言ったっけ?
あれ、こっちの塩ダレに合うんだよ。焼いたらトロけてな、クセになる」
「……ガマさん、料理バカすぎる」
「うるせぇ。オレは職人だからな。仕事は真剣よ」
どうやら俺の体は酒以外にもつまみ程度ならだせるらしい。
このガマータ、俺が《酒精掌》で酒を出せるようになってからというもの、
“その酒に合う料理”を日々研究してくれている。
最初はただの雑用兼まかない係だったが、今ではちょっとした“料理人”扱い。
ギルド内でも、「あいつのメシは妙にうまい」と噂され始めているらしい。
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「おはようございます、先生。あら、また濃い味ですね。朝から」
受付嬢アールティ──通称アルが、微笑みながら声をかけてきた。
「塩気があると酒が進むって、昨日ガマさんが」
「……もう、先生もすっかり“飲み屋の店主”ですね」
そう言って、彼女は小さな紙片をカウンターに置いた。
「何それ?」
「“裏メニュー”。最近、あの席で食べられるって噂になってきてるんですよ。
こっそり見ていると、“酔いどれさん”のところに悩みを持った人が通って、
気がついたら肩の荷が下りたような顔をして帰っていくんです」
「なんか宗教じみてきたな」
「褒めてます」
アルはそう言ってくすりと笑った。
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そのとき。
「……入って、いい?」
声がした。見れば、昨日の女剣士──ラキアが、入り口の影から顔を覗かせていた。
「ああ、ちょうど席空いてるぞ」
「……昨日、帰ってから、ずっと考えてた。
私って何のために剣振ってんだろうなって」
そう言いながら、彼女はベンチに腰を下ろす。
「今日は何飲む?」
「昨日の……あれ。ふわってなって、泣きたくなるやつ」
「じゃあ、軽めのやつにしとこう。レモンの果実酒とか」
掌を差し出すと、柑橘の香りがほのかに立ち上がる液体が静かに現れる。
透き通った黄色、気泡がきらめく。
「……ほんとに、何度見ても不思議だね、それ」
「俺だって不思議だよ。死んだら神様に“お前は飲み過ぎたから今度は作れ”って言われたんだから」
「……飲み過ぎが、才能になるのか」
ラキアが笑った。昨日より、少しだけ柔らかく。
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「……あのね、実は今日、別のパーティから声かかったの」
「おお、良かったじゃないか」
「ううん……それが、“あの子は戦力になるけど、ちょっと面倒そう”って言われてるのを聞いちゃって」
「……そっか」
「もう、“人と組む”のが怖い。
一人の方が気楽だけど……でも、誰かといないと生き残れない」
彼女はグラスの縁を指でなぞりながら、つぶやいた。
「強くなりたいわけじゃない。褒められたいわけでもない。
ただ……誰かの“いてくれてよかった”になりたい」
その言葉に、俺はふっと笑った。
「じゃあもう、なってるじゃん」
「え?」
「ここに来て、“いてくれてよかった”って思ってるやつ、もういるよ。
俺もそうだし、ガマさんもアルも、エイストも」
「……そっか」
彼女の目が、また潤む。
でも今日は泣かない。
ちゃんと、飲み干して笑って帰っていった。
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その夜、俺はふと立ちくらみを感じた。
グラッと視界が傾いて、ベンチの柱に手をつく。
「……あれ?」
直後、背後から冷たい手がそっと支える。
「無理をしすぎです、酔いどれさん」
現れたのは、寡黙な医療係──**エイスト**だった。
細身の体に白衣のような外套。
傷跡だらけの手で、俺の背中を支える。
「……大丈夫。ちょっと疲れただけだ」
「それが一番、危ないんです」
低い声に、妙な重みがあった。
けれど、俺はそれに気づかないふりをした。
気づかないでいられるうちは、まだ“癒せる”と思っていたから。