第10章「別れの準備──“酒をやめる”という選択と、それでも待つ人」
──その朝、俺はいつも通りギルドに来た。
だが、右手をポケットに突っ込んだまま、
一度も《酒精掌》を使わなかった。
「先生、今日は何が飲めるの?」
若い冒険者が笑って話しかけてきたが、
俺は、すまないと頭を下げるしかなかった。
「……ごめん。今日は、酒は出さない」
笑顔は、ひとつ、またひとつ消えていった。
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昼には、ガマータが厨房から出てきて皿を持ってきた。
「先生、ちょっと味見してみてくれよ」
「悪い……今日は味が、わからないかもしれない」
「……そっか」
彼は無理に笑って、また奥へ戻っていった。
でも、その背中は、少しだけ小さくなっていた。
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アールティが、帳簿を見ながら口を開く。
「最近、客足が落ちてます。
……“聖人の酒が出ない”って噂が、広まり始めてる」
「……知ってる」
「みんな、あなたに依存してたわけじゃないんです。
でも、あの酒を通して、“自分を受け入れられてた”だけで──」
「……だから、怖いんだよ」
俺は正直に吐き出した。
「また誰かを救った気になって、
知らないうちに、大事な人の命を削ってたらって……」
アールティはしばらく黙っていたが、
やがて静かに、言った。
「でもね、先生──あなたが“酒をやめる”ことで、
誰も救えない日々が始まったら……
それは、先生の心も壊してしまうんじゃないですか?」
俺は返せなかった。
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その夜、俺はギルドを出た。
「しばらく、遠出してくる。少しだけ、考えたい」
加護体の三人は止めなかった。
ただ、三人とも──笑ってた。
「大丈夫だよ、先生。待ってるから」
その言葉が、なぜか一番辛かった。
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◆
リース・セラフィアは、教会の礼拝堂で祈っていた。
> 「主よ……彼は、罪人なのですか。
> それとも、赦しそのものなのですか」
彼女はまだ、答えを持っていない。
だが、手に握っているのは、
ギルドのベンチで一度だけ使った、白桃酒のカップの破片。
> 「私はもう、信仰だけでは動けません……」
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◆
数日後のギルド。
空席のままの“酔いどれベンチ”に、
一人の男がやってきた。
黒髪を整えた、穏やかな青年──
だが、その胸には教会の紋章。
「……“聖人”は不在、か。ならば、好都合だ。計画を実行する」
教会が送り込んだ\*\*新たな“偽りの癒やしが、
ギルドの中に静かに根を下ろそうとしていた。




