◆第1節 痣が教えてくれた
光輝が中学校に進学した1972年、昭和47年。入学を2カ月後に控えた2月に衝撃的な事件が世間を騒がせた。過激派セクト連合赤軍による「あさま山荘事件」だ。鉄球での山荘破壊などショッキングな映像が生中継され、子供だった光輝もテレビにくぎ付けになっていた記憶がある。その後、彼らがアジトにおいて同志12名を「総括」と称して殺した「リンチ殺人事件」も発覚し、当時既に勢いを失いつつあった学生運動は一気に終焉へと向かった。一つの時代が終わったむなしさに、若者たちは一転、「無気力・無関心・無責任」の三無主義へと傾いていく。「集団から個へ」と意識が変わり始めるターニングポイントでもあった。「シラケ世代」という言葉が生まれ、フォークシンガーの井上陽水はそんな時代の流れを「傘がない」で歌った。
もちろんまだ子供にすぎない光輝にとっては、そうした社会の動きよりも大切なことがあった。それはどういう中学校生活を送るか、だ。光輝は心の中で誓っていた。せめてコンプレックスの一つである「人見知り」を克服したい、と。
「拒否されるんちゃうか、無視されたらどうしよう」
そんな風におびえる自分を叱咤して、自ら積極的に周りの子たちに声をかけていこうと決意していた。思い切って行動に移してみると、幸い、中学校で初めて出会った子供は好意的に受け入れてくれた。わがままを封印していたこともあって、光輝は友達の数を増やしていった。
それは、人に認められたいという願望を満たしてくれた。
調子に乗って、小学校から一緒の前川辰雄(マエカワ タツオ、通称オッくん)にも気安く声をかけた。
オッくんはガキ大将で運動神経も良く、喧嘩もヤッさんの次くらいに強い子供だった。いつもイケイケでリーダーシップにも富んでおり、小学校時代は草野球チームを率いていた。光輝はそのチームに入りたかったが、オッくんに拒否された。
「お前、デブで運動神経ないやんけ。そんな奴はいらんのじゃ」
それ以来、光輝はオッくんを避けるようになり、顔を合わせてもまともに会話もできず、すぐにその場から逃げるようになっていた。わがままで自己中心的なくせに気が弱く、人見知りがひどくて、知らない人間とは口を利くこともできない光輝のことを、オッくんは見下していた。
「情けないヘタレやで、ほんま」
だから光輝が、まさか自分から声をかけてくるとは思ってもいなかったのだろう。
「おお、前川。久しぶりやな、今度遊ぼか?」
おどおどした様子もなく呼び捨てにされ、「タメ口」で話しかけられたことでオッくんは顔色を変えた。
「格下の分際で、何を生意気な口利いとるんじゃ!」
そう言いたげな目をしていたが返事をすることなく、ぷいとそっぽを向くと立ち去った。
翌日の昼休み、光輝はいつものように友達とドッジボールを楽しんでいた。オッくんもその輪の中にいた。彼はボールを受けるとしつこく毎回のように光輝を狙った。至近距離からきたボールを光輝が取り損ねた時だった。
「この下手糞が!」
そばまで来たオッくんが、股間を思い切り蹴り上げてきた。
痛みで視界が白くなる中、それでも必死に声を出さず、光輝はこぼしそうになった涙をこらえた。
「ここで泣いたらまたバカにされてしまう」
心の中でそう繰り返して耐える。光輝は、昼休みが終わるまで痛みを我慢しながらドッジボールを続けた。その姿をオッくんは黙って目で追っていた。その日、光輝が家に帰ってから服を脱ぐと、金玉の裏に大きな青い痣ができていた。
「せやけど、俺は泣けへんかったぞ」
光輝はそう思うことで気持ちを落ち着けた。
次の日の朝登校すると、珍しいことにオッくんが自分から挨拶してきた。
「ミツキ、おはよう。お前大丈夫やったか? 昨日」
親しげな笑顔まで浮かべている様子に光輝は嬉しくなり、軽口で返した。
「金玉に痣できてたわ、ほんまはめっちゃ痛かってんぞ」
「スマン、スマン。今日も一緒にやろうや、ドッジボール」
「ええで、やろやろ」
オッくんは、光輝の肩を軽く叩くと自分の教室へと入っていった。
小学校までの光輝なら蹴られた瞬間、泣き声を上げただろう。それを我慢して最後までドッジボールをやり通したことで、オッくんは光輝を友達として認めたのだ。
「やっぱり人から認められるのって嬉しいもんなんやな」
無邪気に喜んだ光輝は、この時初めて、心の奥底にある「承認欲求」を自覚した。
「【第3章】「あかずの踏切」があけた扉◆第2節 できると思うたらできるねん」は、明日2月7日(金)19時投稿予定です




