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ウルトラマンになりたかった君に  作者: 伊丹剛志
【第1章】甘さと苦さの狭間で
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◆第1節 甘く赤い誘惑

 1959年、昭和34年。当時の皇太子殿下(現上皇陛下)と美智子妃(現上皇后陛下)の華やかな結婚が皇居で執り行われたその年、光輝は大阪の下町にある銭湯を営む家で産声を上げた。母方の実家だが、その記憶は全く残っていない。覚えているのは、そこから南西へ4kmほど行った街に一家で移り住んでからのことだ。急な坂の途中にある路地を入ると、左右に長屋風の民家が立ち並んでいる。正面の突き当たりにある立派なお屋敷の左隣の建物が、光輝の育った家だ。質素で小さな日本家屋のその家では祖母フサと母久恵(ヒサエ)の兄、つまり伯父の信彦(ノブヒコ)が生活しており、光輝達家族3人が居候として入り込むような形となった。

 当然ながら父の俊(シュン)は、早くその家を出て自分たち家族の家を持ちたかった。光輝が小学4年生になると、俊は家族に「引っ越そう」と切り出した。

 「引っ越そうかと思ってんねんけど、光輝はどう思う?」

 「えっ! どこに?」

 「ちょっと遠いとこやけど、家族3人で住みたいと思えへんか?」

 「学校は? 今の学校には通えるのん」

 「いや、転校することになる」

 「嫌や、そんなん。絶対、嫌や!」

 ダダをこね続けたのは光輝だった。その頃から顕著になり始めたマイナス思考と人見知りする性格が、未知の世界への一歩を踏み出させなかったのだ。

 「そんなん、行ってみなわからんやろ? 何事も挑戦やで」

 せっかくできた友達と離れたくない。新しい学校に馴染めるのか不安。いじめられるんじゃないか……そんな風に怯えて、父の再三の説得にも首を縦に振らなかった。

 そのせいで結局両親は、伯父が亡くなり、その前妻に家を乗っ取られるまで、十数年そこで暮らすことになる。


 光輝は父の俊が36歳の時に一人息子として生まれた。小学校教師の俊は、長年待ち望んだ男の子の誕生に大いに喜び、光輝を溺愛した。小さい頃は何をしても叱らずニコニコと見守っていた。甘やかされて育った光輝はどんどんわがままになり、自由奔放に振る舞うようになる。それでも、俊は猫かわいがりをやめなかった。


 時は過ぎ、1964年、昭和39年、光輝は幼稚園に通うようになった。秋に東京オリンピックが開催された年だ。

 血のつながりがある親族以外の人間とのかかわりは、社会への第一歩を踏み出した証でもあった。しかし、光輝の傍若無人なわがままぶりは他人が相手でもとどまることを知らず、好奇心旺盛な行動は先生たちを辟易させた。いつも自分中心でなければ気が済まず、そのくせ喧嘩は弱くてすぐに泣く光輝を避ける園児も多かった。幼稚園からの連絡でそのことを知った両親、俊と久恵はさすがに少し心配になった。

「ちょっと甘やかしすぎたんかもしれんな」

「そうやで、お父さん。怒るとこは怒らんと。将来が心配やわ」


 そんな親の思いを知る由もなく、光輝は我が世の春とばかりに日常を楽しんでいた。

 夏のある日のことだった。光輝が幼稚園から帰ってくると家には誰もいなかった。珍しく祖母のフサの姿もない。

 「なんや、誰もいてへんの?」

 何の物音もしないガランとした家の中に一人でいると、寂しさが込み上げてきた。自己中心的で人見知りが激しいくせに光輝は孤独が嫌いだった。そわそわと落ち着かない気分になり家の中を歩き回る。キッチンに入ったとき1本の小さなボトルが目に入った。大人たちが晩御飯の後に嬉しそうに飲んでいる「赤玉ポートワイン」だ。

 「一体どんな味がするんやろか?」

 親から「子供は飲んではいけない」と強く言われていたものの、光輝は持ち前の好奇心を抑えきれなかった。

 「ちょっとやったらバレへんわ」

 キャップを外しそこにほんの少し赤い液体を注ぐ。匂いをかぐと何やら甘い香りがする。光輝は思い切って一気に飲み干した。

 「美味しいやん!」

 頭が痺れるような感覚に我を忘れ、光輝は「あと一杯でやめよう」と何度も自分に言い聞かせながら、気が付くとボトルを空にしていた。

 「ああ、全部飲んでしもうた。これは怒られるぞ」

 そう後悔した途端、頭がぐらりと揺れ周囲の風景がすごい勢いで回り始めた。

 「なっ、なんや、コレ? 家が回転しとるやんけ」

 体の熱が急に上がるのを感じ、足がもつれ、光輝はそのまま後ろに倒れ込んで気を失った。その顔も腕も脚も真っ赤に染まっていた。


 「アンタ! 何してんのん? お酒なんか飲んで」

 どれくらいの時間が経ったのか。意識を取り戻した光輝の目に、久恵の真っ青な顔が映った。後ろにはフサが心配そうな顔をして控えている。頭がガンガン痛んで吐き気にも襲われていたが、光輝は「大丈夫やで」とかすれた声で2人に笑いかけた。

 幸い大事には至らず、しばらくすると光輝は正気を取り戻した。知らせを受けた俊は学校を早退して急いで帰ってきた。眉根を寄せ怖い顔付きをして息子の顔を正面から見据えていたが、一言「もう飲んだらアカンで」と低い声でつぶやいただけだった。もっと強く叱られると思っていた光輝は拍子抜けする思いがした。

 「うん」

 素直にうなずいたが、心の中では「怒られへんかったわ、良かった」と舌を出していた。それは、光輝がまだ知らない小さな変化の兆しだった。俊はこの日を境に、光輝への接し方を考え直そうと決意した。


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