◆第1節 境界に響く寂しい除夜の鐘
数カ月が経過して1990年、平成2年を迎えても腰の痛みは一向に引かなかった。
かがもうとすると、無理やり縮んだ筋肉を引き伸ばしたような鋭い痛みがピリッと腰に走る。臀部は、力瘤をつくるかのように筋肉が硬くなりひきつれている。上から押すと、グリグリとしたしこりがあるのがわかる。鼠径部は油切れして錆びついた機械のようにきしみ、脚を動かすたびにギシギシと音を立てているかのようだった。
太ももからふくらはぎにかけて筋肉がパンパンに張り、柔軟性をまるで欠いて文字通り「脚が棒のよう」になって歩くのに苦痛を伴う。足首もこわばり、足裏は地面の衝撃をうまく吸収できずそのダメージは想像以上に大きかった。
こうした痛みは、安静にしていても完全には消えてくれない。かといって、少しでも無理をして動けば、じわじわと増してくる。立つだけで体重が腰に重くのしかかり、10分も歩けば鈍い痛みが下半身全体に広がる。
「俺は一生このままなのか?」
光輝は次第に藁をもつかむ気持ちになり、整体や鍼灸をはじめ、ありとあらゆる治療法を試した。しかし、いくらあがいてみても、何一つ改善の兆しは見えてこなかった。
ライブはもちろん、バンド活動などできる状況ではなかった。2月に初来日したストーンズの東京ドーム公演も諦めた。
「この痛みは一生続くんじゃないか?」
「もう元の生活には戻れないんじゃないか?」
「人生を懸けた音楽はもうできないんじゃないか?」
発作的に襲ってくる不安に押しつぶされそうになる光輝の元に、マネジャーから連絡が入ったのは夏の真っ盛りのことだった。
「久しぶり。どう、調子は?」
「ああ、……相変わらずだよ。痛みが引かないんだ」
「活動を休止してもうすぐ1年になるんだよね」
「もうそんなにか……早いもんだな」
しばらく沈黙した後、マネジャーはことさら明るい声で切り出した。
「今は治療に専念してさ。また良くなってから歌えばいいじゃないか!」
事実上の「クビ」宣告だった。引導を渡されたとすぐに悟ったが、光輝にはそれに抗うだけの気力はもうなかった。
「……そうだな、そうするよ」
「……じゃあ、お大事にね」
アンチェインド・ソウルが新しいボーカリストを迎えて名前を変え、活動を再開しているらしいと風の噂に聞いたのは、それからまもなくのことだ。
光輝はまた「独りぼっち」になった。皮肉なことに、大嫌いな孤独の中で生きていくしかなかった。
「結局は似合わないことをしてしまったのかもしれない」
苦い思いが込み上げてくる。
「マイナス思考で自己肯定感の低い人間が、傷つくことを恐れずに一歩踏み出した結果がこれか」
「最悪のことを想定してそれに備え」なかったことに「減点主義の神様」は強烈な罰を与えたのだ、と光輝は思った。生きる目標を見失い、毎日をただ無為に過ごすだけの生活が続く。幸い、仕事はフリーランスのため在宅でこなすことができたが、音楽からは目を背けた。ギターは埃をかぶり、レコードやCDは押し入れの奥深くにしまい込まれた。ライブハウスに出かける気にもなれなかった。
いつからか、光輝は空いた時間があると自転車に乗り自分が暮らす街を巡るようになった。もともと「街歩き」は好きだった。音楽と仕事に夢中で普段ろくに見てもいなかった近隣の景色が、今は目に新鮮で愛おしいものに思える。外向けに厚化粧した観光名所やランドマークではなく、素顔をさらけ出している平凡な住宅街に心惹かれた。
「もっと詳しくこの街のことが知りたい」
そう思い地図を買ってじっくり調べているうちに「自分が住んでいる区を一周してみるのも面白いな」と思いついた。それが「境界」との出会いだった。
一周するためには隣接する区との境界、区界(くざかい)を知らなければならない。詳しく地図を見ていくと、区界は必ずしも整然としていないことがわかった。道路や川ではなく、家と家が接している所を通っていたり、隣の区に飛び地があったり、二つの区が入れ子になっている場所があったりした。
「これが国境だとしたらどうなるのだろう? しかも敵対する国どうしの境界だったら」
年末、光輝は自転車に乗りながら夢想する。地続きならばあり得る話だ。道路一つ隔てたお向かいの家が敵国の領地だとしたら、気軽に訪ねることさえできない。その「一歩を踏み出すこと」にはとてつもない勇気がいる。
「それでも、自分が今いる場所に満足できず、自分がいられるかもしれない場所をどうしても見つけたいと願う人なら、動くことをためらわないのではないか?」
そこまでの「命がけ」の覚悟。光輝はそれが己にあったかと自問する。答えは明白だった。きっと自分はいまだ「一歩を踏み出せていない」のだ。
1990年の除夜の鐘の音はやけに寂しく響いた。
「【第7章】命がけの一歩の意味◆第2節 帰ってきたウルトラマン」は、明日2月23日(日)19時投稿予定です




