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ウルトラマンになりたかった君に  作者: 伊丹剛志
【第6章】有頂天が招いた悲劇
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◆第4節 アンチェインド・ソウル:自由な魂の挫折

 1988年、昭和63年春、アンチェインド・ソウルは満を持して本格始動した。「何物にも縛られない(自由な)魂」達が奏でる「夢見る人」への賛歌は多くの人の心を引き付け、様々なライブハウスから出演オファーが相次いだ。

 「最低月に1度はライブをしよう」

 光輝はそう心に誓っていたが、週に1度どこかのステージに立っていることも珍しくなくなった。嬉しい誤算だ。メンバーだけでは手が回らなくなり、アマチュアバンドであるにもかかわらずマネジャーを募集した。もちろんギャラなど払えない。それでも、一人の男が引き受けてくれ、彼がブッキングをはじめ、スケジュール管理をしてくれるようになった。

 一方、仕事では会社時代に面識のあったフリーランスの先輩校正者のツテで、中堅どころの教育出版社との付き合いが始まった。当初は校正だけを請け負っていたが、ある日、編集長がこう声をかけてきた。

 「校正だけじゃお金にならないでしょ。レイアウトやデザイン、あと書評なんかの原稿もやってみる気ない?」

 願ってもない誘いだった。

 「もちろん、喜んでさせていただきます」

 光輝はその話を受け入れ、前の会社では試されることもなく申し出を却下された仕事を任せてもらえることになった。原稿書きも編集長の指導を受けながらコツを把握していく。もともとイメージやひらめきを大事にしてきた感性が花開き、仕事の幅を広げることができた。

 「いいね、じゃあ、こっちもやってもらおうか」

 光輝の実力を認めた編集長は、自社で発行している月刊誌の編集業務をサポートする仕事も回してくれた。月に1度定期的にお金が入るようになるのは大きかった。何より生活が安定する。さらに、度量の広い編集長は知り合いの編集者も紹介してくれ、一気にクライアントが増えることになり収入もどんどんアップしていった。


 仕事も音楽も順調すぎて怖いほどだった。光輝は改めて一歩踏み出すことの大切さを嚙みしめていた。失敗することを考えず勇気を出して行動に移したことで、道は開けた。以前のように、弱気になって立ち止まっていたら決して今の状況は生まれなかっただろう。傷つくことを恐れてはいけない。「バカになって突き進む」ことの尊さが身に染みてわかった。

 光輝は、思い切って「クビを切られた」グルーヴ・ジャンクションにもデモテープを送った。返事はすぐに来た。

 「久しぶり。新しいバンドで活躍してるのは風の噂で聞いてるよ、テープありがとう」

 懐かしいオーナーの声には親しみが感じられ、光輝の胸は高鳴った。

 「お久しぶりです。で、どうでした、テープ?」

 送ったのはオリジナル曲の「スウィートドリーマー」だ。

 「いい曲だね! バンドの音もいいけど、何よりミツキの歌が良くなったと思う。またウチでもやりなよ、歓迎するぞ」 

 「ありがとうございます。是非よろしくお願いします!」

 アンチェインド・ソウルのグルーヴ・ジャンクション出演が決まった。そのことをメンバーに伝えると全員が喜び、今まで以上にリハーサルにエネルギーを注ぐようになった。

 再びグルーヴ・ジャンクションでのマンスリーライブが始まった。やはり老舗のライブハウスに出演することの意味は大きかった。駅のホームで電車を待っていると、見知らぬ若者から声をかけられた。

 「アンチェインド・ソウルの方ですよね、次のライブはいつですか?」

 ライブは、さほど集客の努力もしていないのに、毎回満員御礼となり大盛況だった。何もかもがうまく回転していた。充実感と満足感に満ちた日々を送る中、光輝は29歳になった。ゴルバチョフ書記長が主導するソ連のペレストロイカで幕を開けた激動の1988年も、まもなく終わろうとしていた。


 年が明けるとすぐに大事件が起きた。昭和天皇が1月7日(土)午前6時33分に皇居・吹上御所で崩御されたのである。享年87歳。翌1月8日(日)に元号が「平成」に改められ、皇太子明仁親王(現在の上皇明仁様)が即位された。

 こうして時代が新しくなっても、アンチェインド・ソウルの「快進撃」は続いた。東京だけでなく、地方からの出演オファーがくるようになり、週末はツアーに出かけることが多くなった。旅の途中、たどり着いた見知らぬ街で音楽を奏でながら全国を巡る。

 「自分が憧れているのは、プロミュージシャンというよりそんな旅芸人だ」

 そう思っていた光輝には理想的な展開だった。

 仕事面でも進展があった。新たに、医療系新聞を発行する編集プロダクションの外部スタッフとして働くことになった光輝は、そこのトップに仕事ぶりを気に入られ大幅にギャラをアップしてもらえたのだ。

 全てにおいて順風満帆な日々に、いつしか光輝は浮かれていた。マイナス思考は影を潜め自分にも自信を持ち始めたが、それは慢心や油断も招いていた。それを「減点主義の神様」は見逃さなかった。

 秋、光輝が30歳になってからの初ライブ。会場はグルーヴ・ジャンクションだった。2時間余りのステージを締めくくる最後の曲「スウィートドリーマー」を歌っているときのことだ。シャウトしギターを高く掲げた瞬間、左の腰に衝撃が走った。

 「うっ、なんだ、コレは!」

 激痛が腰から脳天へと突き抜ける。思わずしゃがみ込みそうになるのをこらえ、脂汗を流しながら光輝はエンディングまで歌い続けた。中学生の頃、ドッジボールでオッくんに股間を蹴り上げられ、それを我慢することで友達として認めてもらえたことを思い出しながら。

 だが、幕が下り楽屋に戻るまでが精いっぱいだった。いきなり倒れ込んだ光輝にメンバーが驚いて駆け寄る。

 「おい、どうしたんだ!」

 ニシやんがしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。その後ろに心配そうなキヨシ、ケイスケ、ノブ、ヒロの顔がある。

 「ちょっと腰をやっちゃったみたい。大丈夫だよ、単なるギックリ腰だ。1週間も寝てれば治るよ」

 光輝は強がりでもなくそう答えた。実際、大したことではないと楽観視していた。

 ところが、事態はそんなに甘くはなかった。


【第7章】命がけの一歩の意味◆第1節 境界に響く寂しい除夜の鐘」は、明日2月22日(土)19時投稿予定です


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