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ウルトラマンになりたかった君に  作者: 伊丹剛志
【第6章】有頂天が招いた悲劇
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◆第3節 好きなことがあるならバカになれ!

 失意のまま迎えた1987年、昭和62年の正月、光輝は帰阪する気になれず三が日を悶々とアパートで過ごした。

 「もう一度バンドを立て直そう」

 3日間さんざん迷った末、そう決意した。メンバーを招集しミーティングを開く。だが、時すでに遅し、だった。ライブの場を失ったことで皆の気持ちはもうバンドから離れていた。ドラムのセイちゃんは、これを機に渡米し、夢だったニューヨーク生活を始めるという。

 「本場でジャズの修業をして、向こうでプロのミュージシャンを目指すつもりなんだ」

 ベースのイケリョウさんは今年29になる。30までに絵描きとして一人前になる道をつけるため、ベースを一旦やめようと決意していた。キーボードのクニは、ギタリストとして誘われているバンドに入るつもりだと打ち明けた。ギター、ベース、ドラムス全てをこなせるマルチプレイヤーのクニは、ジミヘンの熱狂的なファンでもあった。

 「方向性の違う者どうしが一緒にいると、両方が不幸になると思うよ」

 ギターのオトさんは大人の判断を下していた。

 4人の話を聞きながら光輝は、草野球に夢中になっていた小学校時代を思い出していた。自分勝手に振る舞い仲間外れにされそうになったこと、内緒でチームを掛け持ちし周りに糾弾されたこと……知らないうちに、また我を通そう、欲望のままに動こうとしていたことに気付かされた。

 「あれほどわがままに振る舞うことの怖さが体に刻み込まれたというのに、同じ過ちを繰り返してしまった。そして、あの頃のように孤立感に苛まれる羽目に陥っている」

 光輝には返す言葉はなかった。

 約4年続けた「キングビスケッツ」の活動に終止符が打たれた。


 一人になった光輝は音楽からしばらく遠ざかった。自分を見つめ直す必要があると思ったからだ。短い正月休みが終わり、会社とアパートを往復するだけの生活が始まった。本来の自分を解き放つ場を失い、「校正マン」に徹している毎日は味気なかった。ギターにも触らず、レコードやこの頃普及し始めたCDも聞く気になれなかった。せっかく買ったCDラジカセも宝の持ち腐れだった。

 時間を持て余した光輝は本屋を冷やかしに行くようになる。そこで出会ったのが『ドッグデイ・ブルース』という本だった。著者は、あのウエスト・ロード・ブルース・バンドのボーカリスト永井隆、通称ホトケ。2年前に少年社から出版された自伝だ。

 「買おうかどうしようか?」

 光輝は迷った。自分のルーツともいえるバンドの人間が書いた本に興味を持たないわけがない。一方で、大好きなホトケもまた「業界の俗物」にすぎないと知る結果になるのではないか、という不安も覚えていた。だが、好奇心には逆らえなかった。手に入れるとすぐにアパートに戻り読み始めた。抱いた心配は杞憂にすぎなかった。そこに描かれている男の姿は痛快だった。

「そうそう!」

「その通りやで!」

「メッチャ言えてるなぁ!」

 思わず声に出して相槌を打っていた。

 肉体労働者ばかりが集まる居酒屋で安いチューハイをぐびりと飲んでは、当時流行っていたカフェバーに通うチャラチャラした若者を皮肉り、好きなミュージシャンと全く同じファッションに身を包んで得意になっている奴を「お前バカなの」とあざ笑う……世間に迎合することを嫌って自分の美学を貫く、不器用で頑固な生き様が格好良かった。

 とりわけ共感できたのは、貧乏な学生時代、同居する友達と一つの缶詰をきっちり半分ずつに分けて食べていたという話だ。光輝もドロップを手伝っていた頃にマサさんと一つ100円の「サバの味噌煮」缶をよく分け合って食べたものだ。なぜかそれは、ホトケが書いているようにとても美味かった。そして、この本で最も心に突き刺さったのは、全編に溢れるこんな叫びだった。

 「好きなことがあるなら、バカになってそれをやれ!」

 それが光輝の背中を押した。


 「バカになる」

 それは、「最悪のことを想定してそれに備える」という生き方を放棄することを意味していた。「減点主義の神様」との決別だ。光輝はもう一度音楽の世界に戻ろうと覚悟を決めた。手始めに、音楽中心の生活にするために4年勤めた会社を辞め、フリーランスになった。以前なら考えられない行動だった。目をつぶって後先を考えず一歩踏み出す。おそらく人生で初めての決断だったろう。不安に押しつぶされそうになったが、やるしかなかった。

 光毅は腹を括り、再びバンドのメンバー集めに奔走する。情報誌での募集ではなく、積極的にセッションに出かけ「これは」と思える人間に声をかけた。ライブの経験を積むことで、セッションで初対面のミュージシャンを前にしても、もう怖じ気づかなかった。

 出会いとスタジオ入り、試行錯誤を繰り返し、新しいバンドを結成できたのは9月に入ってからだった。光輝は28になっていた。名前は「アンチェインド・ソウル(Unchained Soul)」、「何物にも縛られない(自由な)魂」という思いを込めた。新たな仲間は5人。同い年で1950年代のオールディーズを演奏するハコバンでドラムを叩いている西優二(ニシ ユウジ、通称ニシやん)、そのニシやんが連れてきたベーシスト深田清(フカダ キヨシ、通称キヨシ)は、2歳年下の音楽学校の講師だ。キーボーディストは一番の若手、21歳でまだ学生の梅上啓介(ウメガミ ケイスケ、通称ケイスケ)、パチプロで食っているという異色のギタリストは27歳の加納伸広(カノウ ノブヒロ、通称ノブ)だ。そして、歌謡曲からフリージャズまでなんでもござれの寡黙な高原寛(タカハラ ヒロシ、通称ヒロ)は25歳になる孤高のサックスプレイヤーで、運送のアルバイトで生計を立てている。

 落ち着きがあり、お父さんのようにバンドサウンドを支えるニシやん、1拍が深く、上物が気持ちよくプレイできるよう気配りをするキヨシのベースは母性を感じさせた。幼少のころからオルガンを習っていたケイスケは絶対音感を有し、突拍子もない発想でユニークなフレーズを生み出した。ノブはギャンブラーよろしく、自由奔放に感性の赴くままにギターをかき鳴らした。ヒロはそれに敏感に反応し、絡みつくような迫力満点の熱く官能的なソロを吹いた。

 彼らは、キングビスケッツ時代につまずいたモータウンサウンドもジャズのスタンダードナンバーも満足のいく出来に仕上げてくれた。

 「よし、これならもっともっと幅を広げていけるぞ」

 そこで光輝は、さらにそうしたブラックミュージックをベースにしたオリジナル曲もレパートリーに加えようと考えた。最初の試みとして、あのイーストウェスト予選でベストボーカル賞を受賞した曲を復活させた。6年前はストーンズ風ロックンロールだった曲を、テンポも落とし、横ノリを意識したアーシーなサザンソウル・テイストで蘇らせ、歌詞を書き換えタイトルも「スウィートドリーマー」と改めた。


 「OH! 今夜もロンリーナイト 

  いつまでも このままじゃ嫌さ 

  OH! 甘い夢でも

  このままで 終わりたくはないさ」


 夢見る人への賛歌のつもりだった。

 入念にリハーサルを繰り返しバンドサウンドを固めながら、光輝は積極的にデモテープをいろいろなライブハウスに送った。「落ちたらどうしよう」と傷つくことを恐れる自分を「バカになれ!」と叱咤する。立ち止まることなく全速力で走り続けた。

 時間はあっという間に過ぎていき、1987年も終わりを迎えた。この年の4月には国鉄が分割・民営化され、JRが誕生していた。世の中は本格的に「バブル景気」へと突入していった。


【第6章】有頂天が招いた悲劇◆第4節 アンチェインド・ソウル:自由な魂の挫折」は、明日2月21日(金)19時投稿予定です



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