◆第1節 俗物たちの「常識」に背を向けろ!
練習を積み重ねた甲斐もあり「グルーヴ・ジャンクション」での初ライブは好評で、店からは月に1回の「マンスリーライブ」をやらないかと声をかけてもらえた。当然断るという選択肢などない。喜んでその申し入れを受け入れた。
問題は「仕事」だった。「プー太郎」でいるわけにはいかない。音楽でプロになろうとは思っていなかった光輝は、ライブが終わると就職活動に精を出した。新聞の求人欄を見て、新入社員を募集している小さな編集・校正プロダクションの面接を受けた。本音を言えば「本作り」にさほど興味があったわけではない。自分は「営業マン」には向いていないし、好きでもない。「モノを作る」というところに音楽に通じるものを感じ、応募したのだった。面接には無事合格し、学習参考書やドリルを扱っているその会社で働くことになった。週に1度のバンドのリハーサル、月に1度のグルーヴ・ジャンクションでのライブをこなしながらの社会人生活がスタートした。
会社は、50代前半の社長と新たに入った2人の社員の3人体制だった。もう一人の新入社員は女性で、既に学生時代からバイトで校正を経験していた。何事もてきぱきと卒なくこなす有能さを見て光輝は唸った。
「自分とはレベルが違う! こりゃ気合い入れて働かないとついていけなくなってしまうぞ」
焦って、地に足が着いていない状態で仕事に向き合うことになり、ケアレスミスを連発した。社長は短気なうえにアル中気味だった。夕方4時を過ぎると、机の引き出しからウイスキーの小瓶を取り出し飲みながら原稿を書く。酔いが回るほどに機嫌が悪くなり、失敗を繰り返す光輝を罵倒した。
「おい、お前、何回間違えれば気が済むんだよ。やる気あんのか?」
「申し訳ありません。気を付けますから」
父に一挙手一投足をつぶさに観察され、容赦なく「ダメ出し」を食らっていた小学校時代の記憶が蘇った。あの時と同じだ。始終見張られている気がして、社長の前で何かをするときには常に緊張してしまい、かえって失敗するケースが増えた。それがさらに社長の怒りに火を注ぐという「負のスパイラル」に陥った。
ベストボーカル賞受賞やグルーヴ・ジャンクションのオーディション合格で芽生えた自信も、あっけなく砕け散った。マイナス思考に支配され、自己肯定感はどんどん低下していく。社長の怒鳴り声に「減点主義の神様」の叱責の声が重なり、光輝を二重に責め立てた。
「お前、この仕事に向いてないよ。校正は重箱の隅をつつくくらい細かい性格じゃないと無理。辞めた方がお互いのためだと思う」
結局、社長に「適性なし」とのレッテルを貼られ、光輝はわずか3カ月でその会社を去る羽目になった。自尊心をズタズタに引き裂かれ、「俺は社会不適合者なんじゃないか」と思い詰めるほど追い込まれた。だが、自分の殻に閉じこもっているわけにはいかない。生活があるからだ。社会に出た以上、親を頼るつもりはなかった。
光輝は次の就職先を求めてすぐに動き始めた。あえて同じような編集・校正の仕事に就くつもりだった。
「負けたままでは終われない。自分を無能呼ばわりした社長を見返してやりたい」
そんな意地に突き動かされていた。2週間後、当時の「アルバイトニュース」で見つけた別のプロダクションの入社試験を受ける。結果は合格、新たな職場で社会人として生きることになった。就職を機に、光輝は6畳一間の新中野のアパートから赤羽の1DKのアパートに引っ越した。
再スタートするに当たり、本音は、あくまで「音楽」に重心を置きたかった。しかし、ここでまた失敗すればもう社会に自分の居場所はない。光輝は覚悟を決めて「背水の陣」を敷き、必死に校正の仕事を覚えた。自ら残業を申し出てスキルアップを図ろうと努力したほどだ。その甲斐あって2年が過ぎる頃には、社長が実力を認めるまでに成長した。
どちらかと言えばひらめきやイメージを大切にする光輝にとって、論理的思考の方が重視される「校正」は正直好きな分野ではなかった。そこで実績を挙げたことで、光輝は自分の力をもっと発揮できそうなレイアウトやデザインの仕事にも携わってみたいと社長に申し出た。ところが、社長はその願いを一笑に付した。
「今までの経験からすると、校正に合ってる人はデザインとかクリエイティブなものには向いてないよ。華原君は見た目から言っても校正タイプだからなぁ、格好も普通だし」
そう言うと、社長はそばを通ったテクノカットのデザイナーを目で追いながら言葉を継いだ。
「ほら、彼みたいに個性的なファッションしてる人間がクリエイティブな仕事に向いてるんだよ」
そのデザイナーは「社会に出るまでのモラトリアム、楽しいキャンパスライフを送りましょう」と、ファッション雑誌やおしゃれアイテムに夢中になっていた大学時代のクラスメイトにそっくりだった。彼が手がけたというデザインも全て「どこかで見たことがある」ようなものばかりで、ファッションもただ奇抜さが人目を引いているだけとしか思えなかった。
「一体、彼のどこがクリエイティブで、どこが個性的なんだろうか」
光輝には、さっぱりわからなかった。
「そういえば、誰かが業界人を気取る奴ほど陳腐な発想をするって言っていたな」
この社長も、マスコミの垂れ流す情報を真に受け、得意になってステレオタイプの発言をする「俗物」にすぎなかったのか。試しもしないで決め付けられたことで失望し、光輝は心の中で会社を見限った。
「生活のためにここでは割り切って校正マンに徹し、本当の自分は音楽の場面で解き放てばいい」
そう思い定めた。
次の日から、光輝は改めてバンド活動とライブにより力を入れるようになった。そして、時間を見つけては、失敗を繰り返してきたダイエットに挑んだ。一体何度目だろうか。今度こそ、「太っていることへのコンプレックス」を払拭したかった。自己肯定感を低くする要因を一つでも減らそうと始めたダイエットは、5年をかけて17キロの減量に成功することになる。
週に1度のリハーサルと月に1回の本番をがむしゃらにこなしていく中で、1985年、昭和60年は幕を下ろした。世の中はこの後「バブル景気」へと突き進んでいくが、光輝はその気配すら感じていなかった。
「【第6章】有頂天が招いた悲劇◆第2節 「承認欲求」が生んだ亀裂」は、明日2月19日(水)19時投稿予定です




