◆第1節 縛られない自由な心
1975年、昭和50年。光輝は高校1年生になった。4月、入学式に出席し周囲を見回すと、どこもかしこも自信に満ちた笑顔にあふれていた。学区一の進学校に受験戦争を勝ち抜いて合格した喜びに、多くの新入生が誇らしげに胸を張っていた。輝かしい未来を頭に思い描いているのか、心の底から嬉しそうだ。
「これで将来の成功は約束されたも同然。そう考えているのかもしれんな」
光輝は冷ややかに彼らを眺めていた。しかし、少なくとも新入生達の大半は自ら望んでこの学校に来たのだろう。何か達成したい目標があり、そのために必死に勉強して合格を勝ち取ったにちがいない。そして、次は一流大学を目指し努力を積み重ねるのだ。
改めてそう思い直すと、光輝は自分が何か場違いな所にいるような気がして居心地が悪かった。
「僕はここに来たいわけでもなく、ここでやりたいことがあるわけでもない」
ただただ残飯を漁るような将来が怖くて、親に怒られたくなくて、親を安心させるためにこの学校を受験したにすぎない。そして、たまたま運良く合格した。
「何が何でも受かるぞ、という切羽詰まった気持ちがないことで、あがり症の自分がリラックスでき、持っている力を出し切れたんや」
光輝はそう考えていた。だから、学区一の進学校の生徒になれたプライドなど、持ちようがなかった。この3年間どう過ごしていけばいいのか。そんな不安ばかりが心を占めていた。
光輝は高校に行ったら運動部に入ろうと決心していた。中学1年生の時に、バスケットボール部を1日で辞めてしまったことを後悔していたからだ。
「いつもいつも、できないとすぐに諦める自分では情けない」
さすがにそうした自覚が芽生えつつあった。彼が選んだのはソフトボール部だった。本音を言うと大好きな野球部に入りたかった。ところが、ここでまた「一番を目指したくない」という悪い癖が出る。
「野球部に集まる人間はきっと運動神経も良くて、自分なんか勝つことはできへんやろな」
勝手にそう決め付け闘いから逃げたのだ。「負けて傷つきたくない」「厳しい現実を知って挫折感を味わいたくない」。ここ一番というところになると、マイナス思考で自己肯定感の低い性格が顔を出した。
ソフトボール部には、幼稚園からずっと一緒の北原優二(キタハラ ユウジ、通称キータン)と竹森進(タケモリ ススム、通称タケちゃん)に誘われて入った。2人は、小学校時代の草野球仲間だ。中学に入って一時疎遠になったが、部活動で共に汗を流すことになり再び親しく付き合うようになった。
キータンは幼稚園の頃には虚弱体質で牛乳を飲むとすぐ吐き気を催すような子だったが、小学校時代に出合ったプロレスに夢中になり、中学生になると本気でプロレスラーを目指してトレーニングに励んだ。おかげで、今では筋骨隆々の見事な体をしている。彼の憧れは「アントニオ猪木」だった。
タケちゃんは、小柄でポッチャリしていたが俊敏で、何よりもリーダーシップに富んでいた。物知りで、勝負勘と決断力に優れたところがある。小学校時代、あのオッくんが一目置くほどの気の強さも持ち合わせていた。
放課後の練習にはOBがよく顔を出した。体育会系の上下関係の洗礼を受けた光輝だったが、逃げずに我慢することができた。進学校ということもあり、それほど理不尽な「しごき」はなかったし、キータンやタケちゃんも頑張っていることで耐えられたのだ。やがて3人にポジションが与えられた。左利きの光輝は望み通りのファースト、俊敏なタケちゃんはショート、そして、キータンはなんとピッチャーに選ばれたのだ。きっと見事な肉体と地肩の強さ、無尽蔵のスタミナをOB達は買ったのだろう。しかし、光輝とタケちゃんはそっと目を合わせて口の形だけでつぶやいた。
「ほんまかいな」
「嘘やろ」
キータンは、かつて「草野球界隈」では知らない者がいないノーコンだった。彼がピッチャーをやるとフォアボールを連発するので皆が嫌がり、いつも無理やり他のポジションに付かせていたほどだ。光輝はそのことをOBに知らせようかと思ったが、嬉しそうにしているキータンを見たら何も言えなかった。
練習が始まると、キータンはバッテリーを組むことになるキャッチャーと遠投やランニングに一生懸命取り組んだ。キャッチャーは地味な繰り返しに文句タラタラだったが、キータンは黙々と汗にまみれながら必死に頑張っていた。その姿に光輝は心打たれるものがあった。
「俺、あそこまで頑張れるかな」
何事もすぐに諦めてきた自分が恥ずかしくなり、初めてキータンに尊敬の念を抱いた。
「キータンて、めっちゃ根性ある奴やってんな、凄いわ」
タケちゃんも同じ思いを持ったようだ。2人は期せずして、共にピッチャーのキータンを盛り立てていこうと決心していた。
ところが、2年生でレギュラーになってもキータンのノーコンは直っていなかった。試合はフォアボールから失点を重ねるというお決まりのパターンを繰り返し、連敗に次ぐ連敗。光輝は負ける悔しさを存分に味わった。相手チームは、こちらが進学校だから「頭は良くても運動は下手糞」とバカにしていた。その通りの結果になることにも腹が立った。
もっと許せなかったのは、チームの中に「こんなん、勉強の余暇や。勝とうが負けようが関係あらへん。人生で勝つことが大事なんや」と公然と言い放つ人間がいたことだ。進学校の生徒というだけで、まるで自分が既に「選ばれた人間」であるかのように振る舞う傲慢さが鼻についた。中学生時代に「サブカル」の影響を受けて覚えた「権威あるものへの反発」がさらに強まっていった。
日が経っても、キータンのノーコンは直るどころかどんどんエスカレートする一方だった。夏の公式戦で1回表から1球のストライクも入ることなく4者連続フォアボールで1点を失ったとき、さすがに内野陣がマウンドに集まった。
イライラが募っていた光輝は思わず声を荒らげた。
「キータン、お前、ちゃんとキャッチャーの構えたとこ見て投げてるんか?」
「いや、見てへん」
「えっ!」
キャプテンになったタケちゃんが後を継いで尋ねる。
「ほんならバッター見てるんか?」
「いや、見てへんよ」
光輝とタケちゃん2人が同時に叫んだ。
「そしたら、どこ見て投げてんねん?」
「せやから、どこも見てへんて。俺、目つぶって投げてるから」
一瞬の沈黙の後、思いもかけない言葉に内野陣は怒るより先におかしくてたまらなくなり、我慢できずに大爆笑した。監督としてベンチにいるOBは事情を知らないのだから無理もない、顔を赤く染めて怒鳴った。
「お前ら、なに試合中に笑ろうとんのじゃ! 点取られてんぞ、真剣にやらんかい」
結局試合は5回コールド負けで惨敗だった。腹に据えかねたOBに罰としてグラウンド10周のランニングを科されたが、チームのみんなは走りながらまた思い出し笑いをした。
「初めて見たわ、目つぶって投げるピッチャー」
「キータン、おもろい。お前、吉本行けよ」
サードの海苔問屋の息子・辻本満(ツジモト ミツル、通称ツジやん)がからかう。
「お前、ご飯食べるときも目つぶってんちゃう?」
剣道部から途中転部してきたセンターの平川裕(ヒラカワ ユウ、通称ユウ)が茶化すと、キータンはびっくりしたように目を見開いた。
「普通、つぶってるもんちゃうのん?」
「そんなんしたら、メシこぼすわ!」
また大爆笑が起きる。
光輝は試合に負けたことは悔しかったが、キータンの「自由すぎる発想」に舌を巻いていた。「目をつぶると集中力が高まる」と思っているのだそうだ。
「何物にもとらわれず、直感で勝負するのも案外ええんかもしれんな」
ふとそんなふうにも思えた。
「自由すぎる発想」という意味では、同じクラスの清田浩一郎(キヨタ コウイチロウ、通称キヨ)も負けてはいなかった。教室の一番後ろの席に陣取っては、授業中にもかかわらず彫刻刀で「仏像」を彫っていた。よく先生に見咎められなかったものだ。サッカー少年の彼は読書家でもあり、その頃ふざけ半分に発行されていたクラス新聞によく投稿していた。自分と同じ名前の官能小説家・宇能鴻一郎を真似た「エロ小説」だ。〈あたし、~なんです〉という独白体で書くところまで一緒だった。
「人生、腰やで」
彼の口癖はクラス内で大流行りした。
キヨはほかのクラスメイトと違い、あまり「進学校の生徒」という雰囲気がなかった。いつも飄々としており、おかしなプライドを振りかざすこともなかった。光輝はそんな一風変わった彼に共感を覚え親しく付き合うようになる。しばらくして、2人は遠い親戚であることを知った。保護者会で母親同士が顔を合わせたことでそれがわかったのだ。
「キヨと僕、親戚らしいな」
「おお、聞いたで、オカンから。なんや、ミツキのとこのおじいちゃんとウチのバアサンがいとこどうしとかいう……まぁ、ほとんど他人やな」
そう言って笑うキヨに、光輝はさらに親しみを感じるようになった。
「【第4章】翼よ、羽ばたけ! 未知の世界へ◆第2節 17歳、音楽と恋の「俺たちの旅」」は、明日2月11日(火)19時投稿予定です




