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バックミラーー譲れない初恋の物語ー

作者: 村川葵

「だから、何度も言ってるでしょ。俺はもう、走りませんよ。全然、遅いんですから」

「じゃ、監督やってくれよ。な。RUから何人かひっぱってきてくれよ」

 俺は十七歳の秋を黒田さんの家で過ごすことが多くなった。この夏、俺はレースという夢を捨てた。黒田さんはレースの話しばかりである。酒を飲むとしつこいほどになる。俺はRUレーシングという小さなチームでレーシングカートを走らせた。高校は定時制を選び、昼間は酒の卸問屋で働き、その後はボクシングジムで身体をいじめるだけいじめた。初給料で買った、カート。水曜日と日曜日はレース。しかし、結果は出ない、監督とも上手くやれない、そんな日々の繰り返しだった。こんな俺がチームで唯一、腹を割って話せる相手が東日本チャンプで同い年の村瀬だった。村瀬はチームを辞めたいと言う。RUは格好だけのチーム。このままでは全日本を狙うどころか皆が監督の商業主義に操られて馬鹿馬鹿しいだけ。村瀬は俺によく愚痴をこぼす。


「藤原君よ、実際に乗ったら、速いんじゃないの。村瀬君とチーム結成なんて格好いいじゃん」

「俺、トイレ、行ってきます」

「ただいま。あれ、また、来てんの」

「美紀よ、お兄ちゃん、また、レースの話しだよ。俺、今日帰るからさ、送ってくれるか」

「たまには、バスをご利用ください。でも、結局、私が最終的には送ることになるんでしょ」

「はい」

「へなちょこレーサー藤原圭吾君よ、免許ぐらい取りなさい」

「それ、口癖になってるよ」

「藤原君よ、あんた、レーサーなの。それともナルシストギタリストなの」

「はい、はい。元レーサーのナルシストギタリストですよ」

 明後日、ライブか。この世には必然に手に入れたものよりも偶然に拾ったものが多い。村瀬がたまたまナンパしてきたのが美紀。二人には性的関係しか存在しない。俺もそうだ。村瀬とカラオケに行った時、知り合ったのが俺のバンドのヴォーカル、菊川である。俺はギターを小学生の頃から遊びがてらに弾いていた。そして、菊川が家によく遊びに来るようになり、菊川に口説かれ、俺は菊川が率いるバンド、ポラロイドクラッカーズの二代目ギタリストになった。美紀は十六歳。中学を卒業してから職を転々とし、劇団に入った。今はスーパーのレジ打ち。彼女の夢は映画監督になること。来年、映像関係の専門学校を受験する。

「行くよ」

「それにしても、お前、乳、でかいよな。一回ぐらいは触らせろよ」

「あんた、相変わらず、馬鹿だね。いいよ。減るもんじゃないし」

「冗談だよ。冗談。今日、駅まででいいわ」

「お、目覚めたね。たまには電車に乗るんだよ。坊や」

 時計の針は九時四十七分。エンジンが掛かる。また、美紀に嘘を吐いた。本当は今から村瀬に会うのに。ここから、鎌倉駅まで歩いて五分も掛からない。市川橋を渡ると、ぽつぽつと雨が降り始めた。

「お客様、お疲れ様です。鎌倉駅前、鎌倉駅前でございます」

「雨、強くなってきたな。ちょっと、雨宿りするか」

「いいよ。いいよ。私、雨の中、走るの好きだからさ。誰かさんと違って」

「余計なこと言うなよ。ああ、そうだ。ライブ、観に来いよ」

「そうそう。私さ、8ミリ、買ったんだ。ライブ、ビデオに撮ってもいいかな。カメラの勉強もしたいしさ」

「それは勘弁してくれ。何がなんでも、恥ずかしいよ」

「つまんねえの。ま、いいか。撮るもの、他にいっぱいあるしさ。それじゃ、私、帰るね」

「美紀よ、やっぱり、乳、触らせろ」

「いいよ」

「やっぱ、でかいよな」

「そうでしょ。よっしゃ。じゃ、帰るね」

「また、乳、触らせろよ」

「はい、はい。それじゃ、明後日ね」

 美紀が欠伸を一つ、残して、帰っていった。俺は自販機で缶コーヒーを買って、ぶらぶらと村瀬の家へと歩く。一度、大きなクラッシュをしてからだ。同じ夢をよく見る。夕暮れ時に俺はバスに揺られている。バスは老若男女で満席。黒猫が一匹、車内をうろつき回る。俺は外の景色を見ている。バスは市川橋を通過。すると青い地球がきらきらと光っている。そして、青い地球は沈み消える。ここで夢から覚める。げっ、雨が強くなってきた。

仕方ない、電話ボックスで雨宿り。ついでに村瀬に電話、入れとくか。

「悪い、ちょっと遅くなるわ」

「お前、今日はやっぱりいいわ」

「は、どういう意味」

「俺の勝手だろうが」

「呼び出したのはそっちだろ。馬鹿野郎が」

「お前、今、なんて言った」

「馬鹿野郎って言ったんだよ」

「あっそう。帰れ」

「この馬鹿が、家に居ろ」

 電話を切り、走りに走った。村瀬の野郎。なに、考えてんだ。俺はお前の操り人形じゃないんだよ。村瀬のアパートに着き、チャイムを鳴らす。

「おい、来てやったよ」

 扉が開き、村瀬の頬を殴った。腹を蹴り上げる。胸倉を掴み、鼻と口を殴り続けた。

「え、こら、チャンピオンよ。お前、勘違いしてんじゃねぇのか。なあ、こら」

「お前、なに、やらせても俺には勝てないんだよ。遅い奴は、なにやらかしても遅いな」

 村瀬は笑い始めた。部屋の奥には裸の女が二人。煙草とシンナーの臭いが部屋中に漂うことに俺は気付く。女、二人は俺を見ている。睨むように俺を見ている。

「ごめんな。チャンプ。俺、もうすぐ、帰るから。ね。もう少し、遊びましょう。お前さ、レースが出来ないようになりたいの。それとも、また、チャンピオンになりたいだ、なんだって、ぐちぐち愚痴るの。どっちなんだよ。こら」

「圭吾よ、どっちでもいいよ。今日は、女の裸でもじっくり見ていったら。なあ、こいつ、ギターだけはそこそこ弾けるの。そこそこしか弾けないけどね」

「カッコいい。私、ライブ、観に行きますよ、お兄さん」

「お兄さん、何なら、私達とセックス、しませんか」

 俺は完全に気が狂っていた。どっちでもいい。村瀬がまさかこんなことを言うとは夢にも思わなかった。

「はい。村瀬君。今、どっちでもいいって言ったよね。お前、もうレーサーじゃないんだね。お姉ちゃん達もちゃんと聞いたよね」

ビニール傘で村瀬の右目を突いた。顔中血まみれの村瀬はまだ、狂ったように大声を出して笑っている。

「ねえ、お姉ちゃん、こいつ、何者」

「ただのくだらないガキンチョ」

「正解。おい、村瀬君よ。今日は引退パーティー、楽しんでね。それじゃ、さよなら、お姉ちゃん達はまた、会いましょうね」

「おい、圭吾よ。いつから、そんなに、お前は、偉くなったの」

「今日からだよ。もう、顔、見せんな」

 俺は土砂降りの雨の中、一つのパズルのピースを失った。電話ボックスにテレフォンカードを入れて、親父に迎えに来てほしいと電話した。


「親父、煙草あるか」

「また、村瀬か」

「くだらねえことだよ」

 煙草に火を点けて、ギアを変える親父の左手に目をやって思い知る。人間なんて皆、馬鹿げたものだ。皆、エゴイストでありナルシストである。煙草をもみ消して、一度、深く目を閉じた。

 俺達、ポラロイドクラッカーズの本拠地。ライブハウス、ウッドペックの楽屋。俺と菊川は缶コーラを飲みながら。

「圭吾よ。ジーコンって店、知ってる」

「知らない」

「なんかよ、最近、出来たらしいんだけどよ。確か、二階がライブハウスで下がカラオケ屋で古着屋もあるらしくてよ」

「はあ。なんだそれ。菊川よ。そんなとこには、変な連中しかいないの」

「それもそうだよな。でもよ」

「お前、相変わらず優柔不断だな。それにライブ直前って時にする話じゃねえだろうよ」

弱るよ。本当。菊川の性格には。作る曲には暑苦しいぐらい情熱入れるのにライブの前になると、曲順、やっぱり替えたいとか毎度、ほざきやがる。ここ、ウッドペックで初めてライブした時も俺以上に緊張してた。あいつら、また遅刻かよ。

「なあ、菊川よ。ちょっとお前に相談したいことがあるんだけどよ。ちょっくら、出るか」

「どうせ、あれだろ」

「そう、あれ」

駐車場には菊川のワゴン車。ああ、分からん。俺には分からん。

「だから、クラッチをじわーっと踏んでだな。アクセルを同時にまたじわーっと踏んで、ギアを入れるんだよ」

「お前の説明、分かりにくいんだよ。ちょっと待てよ。あ、また止まったよ。もういいよ。車はオートマでいいんだよ。でも、もう一回やらせろ。じわーっと踏んで、ああ、めんどくさい。今、F1もオートマなんだぜ。なんで、こんなにめんどくさいの。え、エジソンは卑怯者だよ。まったく」

「お前、それもう口癖だな」

 菊川のこの笑顔がなんだか好きで、俺もバンドをやっていけてんだよな。村瀬との事も車の中で言えた。俺にしてみりゃ菊川は壊れやすいけど、優しい兄貴みたいなもんだよ。よく、考えたら俺のこと本気で心配してくれるのはこいつかもな。

「良しと。そろそろ、行くか。あいつらもう来る頃だ」

 満員御礼。ベースの一郎も、ドラムの周二も間に合った。お、美紀もちゃんと来てくれたよ。舞台裏。さて、チューニング、チューニング。深呼吸してみる。あ、そうか。一回、試したかったんだよな。

「あ、今日、俺、曲順、決めていい」

「そうだな、一回、圭吾に決めてもらうか。菊川さん、それでやってみましょうよ。俺も一郎も、その話してたんですよ」

 周二が煙草をくわえて背伸びした。菊川がペットボトルのコーラを飲み干す。毎度の如く凄い汗だ。

「あ、いいよ。圭吾、頼むわ」

「お、それじゃ、ばっと書くわ。1曲目にそうだな、『0のうた』だろ。それから、と」

 30分なんてあっという間だな。でも、すらすら書けたな。さてと、今日は良い一日にしますか。

「今日もあれか。前座のギブラブの連中、すべってるな。やりやすいな。今日も」

 4人の前には青い灰皿。出番5分前を知らせる店員さん。吸殻、もみ消して、俺は手で顔を拭う。

「よっしゃ、行こうぜ」

 ステージへと歩く4人。やっぱり美紀の乳はでかい。よく見える。周二がドラムをいじりながら言った。

「今日、MCなしにしましょう」

 菊川、頷く。そのほうがいいよ。今日からそうしよう。周二がスティック鳴らして、さあ、ライブだ。菊川も楽しんでる。今日はお客さんのってくれてるな。人間万事なんとかっていうけど、順調に進んでるよ。『0のうた』終了。おう、盛り上がってるね。今日は男が多いな。そのほうがやりやすかったりするんだよな。今日、学校さぼろうかな。仕事で瓶ビール、一箱、割っちゃって、給料引きだもんな。気分転換にやっぱり行くか。美紀が笑ってるよ。まあ、毎度のことだけど。良し。ラスト2曲だ。村瀬のことが頭に過ぎった。あいつはずる賢いナルシストだ。もう、関係ない奴だけど美紀もおそらくこの前のこと、知ってるんだろうな。良し、ラスト一曲。『夢中の空』。俺が初めて作った曲だ。恥ずかしさにも、もう、慣れた。菊川も一郎も周二も今日はいい感じ。良い汗をかいた。盛り上がりましたね。菊川が一度、お辞儀。お客さんから良い答えを貰った。俺はアンプの電源を切って、ギターを肩から降ろした。


「お疲れ、俺、学校行くわ」

「圭吾も大変だな。ジム辞めたんだって」

 周二がタオルを頭に巻きながら俺に聞く。

「さすがにな。俺もレース辞めたことだしな。体、もたないよ」

「あのさ、美紀ちゃんって毎回、来てくれるけどさ、彼女とかじゃないの」

「あ、美紀。全然そんな気ないよ。あいつもそうだしさ。じゃ、お疲れさん。俺、行くわ」

 自転車に跨って、ゆるゆると学校へと走る。もうすぐ、クリスマスか。イヴにライブだし年越しライブも控えてる。本当、免許ぐらい持っとかないとな。あれ、こんなところに美容院出来たんだ。『学生さん。髪型自由1800円也です』と記された小さな黒板に黄色いチョークが看板になっている。髪でも切ろう。気分転換に。

 校門をくぐって、自転車置き場へ愛車をしまう。よっこらしょ。それにしてもこのギター、重いな。

「おう、圭吾。悪いな、ライブ見に行けずに」

「いやいや、いいよ、いいよ」

「聞いたか。村瀬、学校辞めたらしいわ」

「ふうん。竜太郎さ。そんなことより煙草、わけてくれ」

「こら、夜間の汚れがどこで煙草吸ってんだ」

「あんた、誰」

「東高の教師だ」

「ふうん。それでさ、圭吾よ。女ってなんだ」

「俺も知らないよ。好きな人いるわけじゃないしさ」

「あの、お前等、先生の話し聞いてんの」

「ま、適当に」

「担任、誰だ」

「あんたさ、北高には関係ないだろ。消えてくれない。さっき夜間の汚れって言ったよな」

「おい、竜太郎、馬鹿につける薬は無いんだよ」

「汚れって言ったよな」

 あちゃ、このいかくさい先生。竜太郎、怒らせちゃったみたい。さて、人の不幸を見物するか。柔道初段だよ。竜君は。あっという間に一本背負い。懲りない奴だな、竜太郎も。ライターで先生の髪の毛に火を点ける。

「お前、車か」

「はい。そうです」

「車のキー貸してくれない」

「え、あの」

「出せ、こら」

「は、はい」

 とほほ。竜太郎スクラップ劇場、はじまりはじまり。と思ったら、この先生、逃げ足が速い。

「これで勘弁してください」

 財布出して土下座した。こんな先生は初めてだよ。竜太郎、嬉しそうに笑ってる。俺は苦笑い。あとでなんかおごってもらおう。

「六万と七千円。小銭が、えっと、二百円。これからもよろしく、先生」

「あ、はい。すみませんでした」


 定時制には、良い先生が多い。授業中、寝ていてもいいからと、俺の大好きな、姉さん性、飯永ちゃんが言ってくれた。授業中、竜太郎は寝ている。あいつもガソリンスタンドに勤めて、大変な仕事を頑張ってる。皆そうだ。仕事して、夜は、学校。今日は、国語の授業からか。飯永ちゃんが黒板に、難しい漢字を書いている。「實」と白いチョークで。

「これは、じつと読みます。みんな、ノートに書いてみてね」

「じつ」か。一応、ノートに書いてみる。飯永ちゃんと目が合い、俺は苦笑い。飯永ちゃんも笑っている。きれいな姉さん先生だ。腕時計を見る。あと、五分で授業終了か。すると、飯永ちゃんが言った。

「みんな、疲れてるみたいだから、今日は授業、おしまい。みんな、食堂で次の授業まで休んでね」

起立、礼。竜太郎は、まだ、寝ている。起こさないほうがいいな。他のみんなは教室から出て行った。すると、飯永ちゃんが俺に近づく。

「藤原君、頑張ってるみたいだね。なんか、ギター、やってるんでしょ。私も一回、ライブ、観に行っていいかな」

「おお、愛しの飯永ちゃん、ありがとう。来て、来て」

「ありがとう。村瀬君と色々、あったんだね」

「あいつのことは、もういいよ。忘れるよ」

「次、体育だからね。休憩して、体育館へ行くんだよ。これ、あげる。キットカット」

「あ、ありがとう」

飯永ちゃんは俺にキットカットを手渡し、教室から出て行った。すると、竜太郎が起きて、

「今、何時だ。圭吾」

「19時25分。次、体育だぞ」

「わかった」

「やった、飯永ちゃんから、キットカット、貰っちゃったよ。飯永ちゃん、可愛いよな。俺、好きだわ」

「いいなぁ。圭吾は。圭吾、煙草、持ってるか」

「おお、マイセンならあるよ」

トイレで一服。竜太郎が複雑そうな顔つきで俺に言った。

「江川、いるだろう」

「あの同じクラスの江川陽子か」

「そう。俺、江川の事、好きなんだ。でも、告白とか俺、苦手でよ。圭吾、何か、良い方法、ないか」

「そうだな。俺とお前と江川で、三人でカラオケ、行って、俺、盛り上げるからよ。そのあと、俺、帰るから。江川とお前の二人きりになった時、告白すればいいじゃん」

「ほんとに、いいのか」

「いいよ。お前には世話になってるからよ」

「ありがとう、圭吾」

 竜太郎とマイセンを吹かして、二人で体育館へと歩いた。体操服にも着替えたことだし。体育館には、卓球台が用意されていた。飯永ちゃんがジャージ姿で笑ってる。

「今日の授業は卓球ね。あんた達、悪い事したでしょ。煙草くさいよ」

「すまん、飯永ちゃん。許してくれ」

「はい、はい。困った生徒だよ、二人は。でも、卓球、頑張るんだよ」

「勿論」

「藤原君、キットカット、美味しかったかな」

「今、食べようと思って」

「美味しいよ」

「うん、飯永ちゃん、愛してるぜ」

「あ、ありがとう。卓球、楽しんでね」

すると、江川達、女子も体育館に入ってきた。何か、みんな、疲れてるよ。江川に早速、言ってみた。

「江川よ、今度、カラオケでも行こうよ。竜太郎と三人で。俺、おごるわ」

「いいの。おごりで」

「いいよ。江川とは前から仲良くしたかったんだよ」

「わかった。それじゃ、竜太郎君と三人で、次の日曜日、駅前のジャンカラにしようか。時間、何時がいいかな」

「そうだな。昼間の三時にジャンカラ集合にするか」

「うん。わかった。楽しみにしてるね。ありがとう。圭吾」


 卓球。卓球。飯永ちゃんと勝負。飯永ちゃん、卓球、上手いな。ピンポン、ピンポン。俺、負けた。横を見ると、竜太郎と江川が楽しそうに話している。良かった。竜太郎に幸あれ。

「藤原君、暴力だけはダメだよ。もう、村瀬君とは関わっちゃダメだよ」

「うん。わかった。飯永ちゃん、俺、帰るわ」

「うん。気を付けてね。バイバイ。藤原君」

「バイバイ、飯永ちゃん。キットカット、美味かったよ」

意味ありげに笑う、飯永ちゃんを見て、俺は、自転車置き場へ、走った。暴力か。確かに、よくないな。もう、喧嘩はやめよう。青春か。確かに。俺は自転車に乗って、家へと帰った。飯永ちゃん、良いこと、あったのかな。いや、俺を慰めてくれたんだ。村瀬の事を。家に着く。自転車をしまう。竜太郎と江川、くっ付けたいな。良し、カラオケで盛り上げるの、頑張るとするか。江川は、確か、極道の娘さんだ。エステでバイトしているらしい。俺も、ギター、頑張らなくちゃ。玄関の鍵を開け、すぐさま、部屋へ。ギターのチューニング。缶コーヒーを飲みながら。アンプの電源を入れて、弾いてみる。まだまだ、へたくそだな、俺。アルペジオ。コードを変えて。そして、一服していると、親父が部屋に入ってきた。

「お前、村瀬になんか、したろ」

「はっ、親父には関係ないだろうが」

「学校から電話があった。お前、一か月、停学だ。この馬鹿が」

「停学。まあ、いいわ」

「何が、まあ、いいわ。だ。お前、少しは反省したのか。煙草なんか吸いやがって」

「親父には関係のないことだよ。俺、寝るわ」

「好きにしろ。バカ息子が」

 俺が停学。なんじゃそりゃ。でも、罰は当たったな。一か月のお休みか。俺はギターを肩から降ろし、ベッドで横になった。ああ、停学万歳。煙草をもみ消して、寝た。


三日後、日曜日。バイトも疲れて、大変だ。二時五十分。ジャンカラの前で待ち合わせ。すると、竜太郎が走って、やって来た。

「お前、停学らしいな」

「そう」

「悪いのは村瀬なのにな。俺、村瀬に注意しに行こうか。金属バットでよ」

「いいよ、いいよ。そんなことより、江川が、もうすぐ来るからよ。いい日にしろよ」

「悪いな、圭吾」

江川が五分、遅れてやって来た。可愛いな、江川。所謂、猫顔ってやつだ。竜太郎が惚れるのも、わかる気がする。いい女だ。性格もよさそう。

「ごめん、遅れて。色々あって、ほんとにごめん」

「いいよ。いいよ」

そして、フリータイムのカラオケスタート。頑張ろう。竜太郎は緊張してる。江川は嬉しそうに、いろんな曲を歌う。可愛い。いい感じだ。俺は、何とか、ラブソング三昧で盛り上げた。汗だくだ。竜太郎と江川も笑ってくれた。カップル誕生か。

「ごめん、俺、帰るわ。ライブでよ。後は二人で楽しんでくれ」

「わかった。圭吾も忙しいんだね。うん。竜太郎君と歌いまくるね」

「悪いな、圭吾、忙しいのに」

「いいよ、いいよ」

 俺は嘘吐き。ライブなんてないのによ。作戦、成功してくれよ。上手く、いけよ、あの二人。俺は、清算を済ませて、祈る想いで電車に乗って、帰宅した。今日は昼寝でもするか。缶コーラを飲み干すと、お袋の声がした。

「圭吾、竜太郎君から電話だよ」

「わかった」

電話に出てみる。竜太郎、どうだったのか。江川と。

『もしもし、圭吾か』

『うん』

『ありがとな。今日は。今、江川と一緒。俺達、付き合うことになったわ。今、駅前のラブホ。ほんと、圭吾、ありがとな。恩にきるよ』

『よかったじゃねえか。おめでとう。楽しんで来いよ』

『うん、江川が圭吾によろしくってよ。ほんと、ありがとな』

『楽しんで来いよ』

 電話を切った、俺は笑う。ラブホテルかよ。いいなぁ。あいつ等。上手く言ってよかった。俺も何だか、恋というものを知りたくなった。でも、そんな、余裕は、今の俺にはない。ギターとバンドが大事だ。俺は、バスタブに漬かり、シャワーを浴びた。笑おう。笑ってしまおう。ふと、飯永ちゃんの事が頭をよぎった。まあ、いいか。そうだ、今日は、今から、黒田さんの家に行って、F1でも観るとしよう。今日はハンガリーグランプリか。セナが最近、マンセルに苦戦してるもんな。今日、マンセルが勝てば、新しいチャンピオンの誕生だ。風呂上がりの俺は、黒田さんの家に電話を入れる。出たのは、美紀だった。

『美紀よ、今日、遊びに行っていいか』

『絶対、そう言うと思ったよ。いいよ。お兄ちゃんも、朝から、マンセル、マンセルって。うるさくてさ。圭吾。どうせ、私が迎えに行くことになるんでしょ』

『すまん』

『わかった。迎えに行くね。家に着いたら、チャイム鳴らすから』

『すまん、美紀』

『しょうがない奴だな、圭吾は。でも、いいよ。私もバイク、久々に乗りたかったし、待っててね』

『本当にすまん』

 俺は、美紀を待つ間に、ギターの練習と作詞をしてみた。でも、うまくいかない。なんでだろう。美紀には毎度、悪い事をしてるな。何か、プレゼントでも用意するか。美紀の胸、ほんと、デカいよな。黒田さん、マンセルのファンだもんな。俺はセナのファン。1992年、ワールドチャンピオンは、おそらく、ナイジェルマンセルのものだろうな。俺は着替えて、迎えに来てくれた、美紀のバイクに乗った。美紀は笑顔だ。

「行くよ」

「ありがとな」

「今日は飛ばすからね」

「おお」

 凄い速さで美紀はバイクを飛ばす。いつもと違って、信号も無視する勢いだ。俺をびびらせたいのか。

「美紀、ちょっと、コンビニがあったら、寄ってくれ。トイレだ」

「うん、わかった」

 

 コンビニのトイレで小便を済ます。そうだ、美紀にプレゼントしないと。俺は、赤ワインを購入。そして、缶コーヒーも買った。駐車場で待つ、美紀は俺を見て、笑ってる。

「美紀、ちょっと、これ、日頃の感謝のつもり、ワイン」

「ありがとう、圭吾。成長したね」

 そういうと、美紀は何故だか、泣きだした。思い切り、泣いている。何があったんだろう。

「美紀、何か、あったのか」

「いや、なんでもない。ねえ、行こう」

「うん」

 美紀は顔を拭き、バイクに跨った。エンジンをかけて、俺は美紀の後ろに乗った。何で、美紀は泣いたんだろう。俺にはわからない、嫌なことでもあったのか。俺はヘルメットをかぶり、美紀のバイクは走り出した。今日は、美紀が、かなり、飛ばす。次から次へとほぼ、信号も無視。ワイン、大丈夫かな。俺は複雑な想いの中、美紀のバイクに乗っているだけの男。そのうち、バイクは黒田さんの家に到着した。

「圭吾、着いたよ。さっきは泣いてごめんね」

「何か、あったのか、ほんと」

「いや、なんでも、ないよ。今日はワイン、みんなで飲もうね」

「うん」

 

黒田さんが嬉しそうに、リビングのソファーに座る俺にお茶を入れてくれた。絶対、F1の話だよ。この後も。俺は黒田さんのマンセルへの想いを聞き入れた。美紀がワインを開けて、グラスに注いだ。三人でワインを飲む。美紀は笑ってる。良かった。美紀が幸せそうに。俺は、煙草に火を点けて、黒田さんはテレビをつけた。

『F1グランプリ。インハンガリー』

始まった、始まった。セナ、頑張って。今日もセナは予選三位か。二位にはシューマッハ。ポールがマンセル。ウィリアムズもベネトンも、このところ速いからな。今年のセナが乗るマクラーレンホンダは、あきらかに遅い。

「圭吾君、賭けようか。もし、マンセルが勝って、チャンピオン決定なら千円で、どう」

「いいですよ。じゃ、セナが勝ったら、二千円、くださいね」

「いいよ、勿論」

 黒田さんは、ワインに酔っているのか、本当に楽しそうだ。俺もF1が癒しだからな。もう、レースをすることはないけれど。村瀬の事は、もう、本当に忘れよう。その方が絶対、いいに決まってる。

「圭吾もお兄ちゃんもほんと、F1好きだね。私には理解できないよ」

そう、言って美紀は、俺の横でそのうち、眠ってしまった。美紀の夢が叶えばいい。映画監督か。美紀に幸せがあればいい。竜太郎にも、江川にも。飯永ちゃんにも。黒田さんにも、俺達、ポラロイドクラッカーズのメンバーにも。

俺も酔っ払い、テレビに夢中。セナかマンセルか。それとも、シューマッハか。レースは始まった。やった、セナが1コーナーでマンセルを押さえた。ガンバレ、アイルトンセナと思ったら、マンセルは速い。すぐさま、2コーナーでセナを抜き返し、トップへ。俺は、また、ワインを一口。黒田さんは嬉しそう。黒田さんもワインを飲む。レースについて、黒田さんと語るに語った。そうすると、美紀が起きて、欠伸を残して、テーブルの上にあった、8ミリビデオカメラを手に取って、俺達を撮りだした。

「圭吾、笑ってよ」

「あいよ」

照れくさく、俺は笑った。美紀は嬉しそうに、俺や黒田さんや、テレビ、部屋中を撮っている。美紀の夢よ、叶え。

『ナイジェルマンセル、最終コーナーを立ち上がった。悲願のワールドチャンピオン、ナイジェルマンセルに今、チェッカーフラッグです。おめでとう、ナイジェルマンセル、1992年、ワールドチャンピオンの誕生です』

 テレビの中は熱狂。マンセルが勝った。チャンピオンだ。黒田さんは嬉しそうにガッツポーズ。セナが二位か。三位にシューマッハ。嗚呼、千円がとんだ。まあ、いいわ。美紀は、意味ありげに笑っている。

「よかったね、お兄ちゃん。圭吾、残念だったね」

「うるさいよ」

俺も笑顔で美紀に応えた。嗚呼、青春ここにあり。確かに、テレビの中のナイジェルマンセルは嬉しそうだ。二位、表彰台のセナと三位のシューマッハはマンセルに拍手を贈る。イギリス国歌が流れる中、マンセルは感動し、泣いている。F1か。俺の夢だった。レースか。まあ、いいか。今日は黒田さんの家に泊めてもらうとしよう。美紀は、ワインを飲み干して、

「私、寝るね。圭吾、私をおかしちゃ、ダメだよ」

「誰が、そんなことするかよ」

「おやすみ、圭吾」

「うん、おやすみ」

美紀は階段を上り、部屋へと消えた。俺も、さすがに眠い。嬉しそうな、黒田さんに千円札を手渡して、俺もソファーで眠りに就いた。


「圭吾、おはよう。今日のお目覚めいかがでしょうか」

「おはよう、美紀。今、何時」

「十時半丁度だよ。バイト、今日は休んじゃいなよ。完全に遅刻だよ」

「う、うん。電話貸してくれ。会社に電話するから」

「うん、わかった」

 俺は会社に、風邪で休みます、と嘘吐き電話を入れた。美紀は笑ってる。俺は、美紀の笑顔に救われて、美紀が入れてくれた、コーヒーを飲んだ。それから、トーストも美紀は焼いてくれた。

「美紀も今日、休みなのか」

「うん。そうだよ。それがどうかした」

「江の島、行かないか。勿論、美紀に、また、バイク出して、もらわなきゃなんねえけど」

「うん、いいよ。私も走りたいし。江の島ね」

「俺、ガソリン代、払うわ」

「ありがとう。お昼になったら、行こうか」

「うん、わかった」

 美紀と食卓を囲む。お昼ご飯は、美紀が作った、カップラーメン。二人で食べる。嗚呼、俺も忙しいな。ギターにバイトに学校。まあ、幸せな証拠だ。やることがあるのは。美紀といろんな話をしながら、カップラーメンを食べ終わり、また、二人、バイクに跨った。エンジン音。俺がこの世で一番、好きだったもの。今は違う。ギターだ。ギターの音が、この世で一番、好きだ。

「行くよ、圭吾」

「悪いな」

 二人を乗せたバイクは、東へ。江の島へ。今日の美紀は、ゆっくり走ってる。昨日の涙は何だったんだろう。俺も美紀に尽くさなきゃな。途中で、コンビニに寄って、煙草と缶コーヒーを買う。喫煙所で一服。

「圭吾、あんた、未成年でしょ。こら、煙草、吸っちゃダメだよ」

「だって、他に吸うものないもん」

「あんた、馬鹿だね」

「すみません、美紀さん」

「よろしい。私、トイレ、行ってくるね」

美紀は店内へ。俺は、煙草の火を消して、さっき、買った、缶コーヒーを飲む。嗚呼、今日は、のんびり、いい天気。空を見上げると飛行機が飛んでいた。自由ってなんだろう。平和って何だろうか。そうこうしていると、美紀が言った。

「行こうか、圭吾」

「うん。悪いな。俺、免許なくて」

「いいの、いいの。人生、適当で。じゃ、行くよ」

 美紀と国道を東へ、江の島、江の島。途中で暴走族とすれ違う。うるさいなぁ。俺も、うるさい奴だけど。美紀は、バックミラーを見つめて、青信号の交差点を通過した。ほんと、免許ぐらい、取らないとだめだな。そうこうしているうちに江ノ電ともすれ違う。もうすぐ、到着だ。我らが江の島。美紀のバイクは、国道沿いのスーパーの駐車場へ入る。駐車場にバイクを停めて、美紀は言った。

「ここ、私の店の姉妹店なんだ。だから、無料でバイク、停められるの。ここから、歩こうか」

「そうだな、運転、お疲れ様」

 今日の美紀は嬉しそう。何かいいこと、あったのかな。スーパーから江の島へと歩く俺と美紀。そうだな、人生、適当でいいかも。俺は、完璧を求めすぎているのかも。二人でバイクの話をしながら、歩いた。江の島海岸に到着。今日は人が多いな。観光スポットだなもんな、ここ。家族連れが多い。二人で砂浜に座る。美紀はペットボトルの水を飲みながら。聞いてみるか。

「美紀よ、嫌なことでもあったのか」

「はっ。なんで」

「なんで、昨日、泣いたんだ」

「じゃ、聞くけど、圭吾は誰が、一番、大事なの」

「そりゃ、一番も二番もないよ。皆が大事だよ」

「そんなの、卑怯だよ」

「なんだよ、何、怒ってるんだよ」

「ねえ、私のおっぱい、触って」

「はっ。なんだよ、こんな時に」

「いいから、触って」

 俺は美紀の胸を触った。すると、美紀は泣きだした。何で。何故。

「私、圭吾の事、愛してる。ずっと、前から。ずっと、二人でいたいんだ。だから、バイクに圭吾を乗せて、走るの。ずっと、二人でいたいよ」

「ほんと」

「ほんとだよ。本当は村瀬の事なんて、大嫌いだったんだ。ずっと、圭吾に抱かれたかった。でも、でも。圭吾に悪いと思って。でも、でも」

 俺は美紀にキスをした。長いキスを交わした。初めてのキスだ。美紀、俺を想ってくれていたのか。

「圭吾。これ、本当のキスなの」

「本当だ。今日から俺が美紀の彼氏だ。ずっと、二人でいよう」

「いいの、信じて」

「いいよ」

俺達は手を繋いで、キスを何度も交わした。晴天の江の島海岸。俺と美紀に恋をした。美紀が流す、涙の意味が、今、わかったような気がする。


そして、俺は美紀を抱いた。二人のずっとを、俺達は誓う。




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