嫉妬
ヴィヴィアンお師匠様に借りた本を読みながら、私はぷっくりと頬を膨らませる。
暗黒の力。
この力を持つ者は元々暗黒の気を体内に持ち、それを魔法のように操ることができる。
(暗黒の力を持つ者は自分の中にある暗黒の気を使ったり、取り込んで自らの力にすることができるのね)
暗黒の力を持つ者は、自分の中にある暗黒の気の扱いが分からないため、負のエネルギーである暗黒の気の多さに耐えきれず死んでしまうことが多い。暗黒の気に引き寄せられた怨霊などに体を奪われることもあるそうだ。
ヴィヴィアンお師匠様のような暗黒の力を扱える魔術師に助けられて生き延びることができるが、大抵は子供の頃に死んでしまう。
「エミールは、ラッキーだったんだわ……」
ヴィヴィアンお師匠様は暗黒の気を持つ者で、暗黒の力が使えるうえに、私と同じく祓う力を持っていた。つまり、暗黒の力を操りながら、暗黒の気を消すことができる異端児なのだ。
これは極めて稀な力の持ち主で、お師匠様がどれだけ特別な魔術師なのか分かる。
暗黒の力を持つ者は危険をはらんでいるため、暗黒の気を持っていると分かった時点で国に登録がされた。今回お師匠様によってエミールが暗黒の気を持つ者だと分かったので、お師匠様が登録をしてくれるそうだ。
(後々に危険な力を使用されても犯人が分かるように登録する。って嫌な感じだけれど、これを読んでいれば仕方ないと分かるわ……)
普通魔法を使うには魔力が必要だが、暗黒の力を持つ者は魔力がなくとも暗黒の気を使い攻撃することができた。
魔法を行うには呪文が必要で、熟練であったり、簡単な魔法であったりすれば必要ない時はあるが、基本は呪文を唱える。しかし、暗黒の力を操る者は暗黒の気を使うため呪文が必要ない。
魔術師ならば欲しい力だな。と思うが、暗黒の力は悪用しやすい。
「暗黒の気を与えて呪いを強くしたり、魔獣を強くさせたりすることができる。暗黒の気に影響されやすいものの力を増幅できる」
そして、暗黒の力で弱った者や幼い子供など意志の弱い者、動物などを操ったりもできる。
「個体の大きさによって操りやすさが変わる。意志が弱く小さいものは操りやすく、意志が強く大きいものは操りにくい。つまり、赤子は操りやすく大人の男性などは操りにくいのね。赤子を操っても動くことができなければ意味はないでしょうけれど」
動物であれば個体の大小によった。人間も病気になっていたり、心が弱っていたりする時は操りやすいと言われている。それでも動物を操るよりずっと力がいるそうだが。
兎にも角にも、暗黒の力を悪用する者は危険なのだ。
前に獣を生贄にした儀式は、その暗黒の気を扱うための力を得るためだった。悪用することを前提とした儀式。聖騎士団が出るわけである。
一体何をする気なのか。まだ聖騎士団は犯人を見付けられていない。
私は勉強不足に顔を歪めた。私の力はそれらを祓い消すことができる。暗黒の力に対抗するための、唯一の力なのだ。
もっとちゃんと勉強していれば、エミールの状況も分かったかもしれない。
そして、暗黒の気に弱いといわれる精霊の血を持つリュシアン様から、暗黒の気を祓うことができるのだ。
それを言ったら、もの凄く嫌そうに怒られたけれども。
「聖騎士団に入ったばかりの私に守られるなんて、嫌なのは分かるわ」
だからって、本を読むなら書庫で読んでいろ。などと言われて追い出されるとは思わなかった。私はしょんぼりしながら書庫にいる。
ギーには、本を読みながら独り言が多いからうるさいんだよ。と罵られたが。
声には出して読んでいないつもりである。
「さて、そろそろ書類仕事の時間だわ」
私は本を読み終えて、お師匠様の本を片手に聖騎士団の部屋へと歩む。もうすでに外は暗闇で覆われているが、王宮の中はランプがいくつも設置されていて明るい。
これも魔術師の仕事だ。下っ端魔術師が一気にランプに火を付ける。
(魔術師になったら、私も行うようになるのかしら)
魔術師になるには、アカデミー卒業と魔術師になるための実地試験、日頃の態度など、クリアーしなければならない項目があるのだが、師匠が得られるとそれらは必要ない。
師匠の推薦状を得て王に提出し、認可が出れば終わりである。その師匠の推薦状がいつもらえるかは未知であるが。
やる気はいっぱいである。貧乏暇なし。魔術師になるべくたくさん勉強するのだ。
そう意気込みながら歩いていると、一瞬リュシアン様の名前が耳に届いた気がした。
「————精霊の血を引いているからって、ひいきにされて————」
耳を澄ましていると、どうにも良いことを言っているように聞こえない。
(リュシアン様の悪口?)
外向きの廊下を歩いていると、内庭の木立の隙間から男が三人歩いているのが見えた。その声がこちらに届いているようだ。
「王に気に入られているからって、いい気になってるんだろっ、てっ、なんだ!?」
三人のうち一人が頭を押さえた。何かが当たったと、飛んできた方向を見て、私と目が合う。
「はっ!? 私は、一体、何を!?」
「何をじゃないだろ!!」
気付いたら、手に持っていた筆入れを投げていたようだ。おかしいなあ。と思いつつ、男たちの側に落ちている私の筆入れを見遣る。一体いつの間に投げてしまったのだろうか。
「手が滑りました」
「はあ!?」
「いやいや、お前、投げた後のモーションになってるだろうが!」
「いえ、手が滑って飛んでいってしまっただけです。おかしいですね」
「おかしいのはお前だよ!」
「こいつ、リュシアンの追っ掛けだ。名高い変態ストーカー!」
「失礼な! 私は純粋に推しを追い掛ける。ただの一介のファンです!」
「やっぱりそうだ。こいつ、聖騎士団に入った、自称魔術師のストーカーだ!」
なんと失礼な。男たちは私を指差し、変態やらストーカーやら叫んでくる。
彼らは似たような短めの髪型で、左から金髪、茶髪、赤髪をしており、その内の金髪に筆入れが当たったようだ。金髪の男が私の筆入れを拾って握りしめる。
「聖騎士団のマントを使ってるのか!? こんなストーカーが!?」
金髪の男は怒りのこもった声音で言いながら、私を睨み付けた。
男たちは深い緑色の制服を着ており、それが宮殿を警備する騎士だといっていた。聖騎士団がうらやましいのか、私の羽織っているマントが気に食わないようだ。
「その割に、リュシアン様の文句? なるほど、妬みですね!」
「はああぁっ!?」
「あら、私また口に出してましたか? つい、うっかりですね。あまりにも分かりやすい嫉妬で、あっ。また言っちゃいました」
「お前、ふざけんなよ!?」
「いやですね。ふざけてんのはどちらさまでしょうか? 推しのリュシアン様に対し、しょうもない嫉妬心で反感を持つとは、言語道断! お粗末にも程があるのではないでしょうか?? そのようなレベルの男に、リュシアン様が相手になる必要もありませんけれど」
「こ、この野郎!」
金髪の男が私の筆入れを地面に叩き付けた。私の手縫いの筆入れになんたること。
このような場所で剣でも抜く気か、目を吊り上げて私の胸ぐらを掴みかからんと向かってきた。
著しく歪んで引き攣った顔を私の前に近付けて、私の首を締めんとブラウスを掴んでくる。剣を使わず何かするならば、私の伝家の宝刀が振り抜かれる。
大事なところに向かって私の膝が繰り出される瞬間、響く声が轟いた。
「何をされているの! 聖騎士団に喧嘩を売るつもり!?」
「あ、が、こ、この……っ」
届いた声は少々遅かった。私の膝が金髪の男の股間に収まりよく入ると、男はへなへなとそこを押さえながら地面に座り込む。
私は筆入れを拾い、くるりとアナスタージア様に向き直った。
「アナスタージア様。どちらにいらっしゃるんですか?」
「……書類を出しに行っていたのよ。あなたの声がしたからこちらに来たの」
「まあ、私を迎えに来てくださったんですね。では、聖騎士団の執務室に戻りましょう」
「……そうね」
アナスタージア様は何も言うまいと、こめかみを抑えながら走り寄った私を受け入れる。座り込んで涙目の金髪の男をちらりと横目で見つつ、小さくため息をついてその場を背にした。
金髪の男はその視線に耐えられず顔を真っ赤にして地面に視線を落としたが、アナスタージア様が後ろを向いた時には私を恨み顔で睨み付けていた。
「推しに見られて恥ずかしいみたいですね」
「何を言っているの。男性の急所を躊躇なく狙って、その笑顔よ。驚いちゃうわ」
「私は常々、自分の身は自分で守らなければならないと思っており……」
「それは同感だけれど、他の騎士たちに喧嘩を売るなんて」
「リュシアン様の悪口を言っていたんですよ。法界悋気とはみっともない。推しと推しがくっつくことを嫌がるとは。推しを推す者として風上に置けません!!」
「ちょっと、何言ってるのか分からないわ……」
「推しだからこそ、推しの気持ちを敬い見守るのがモブの役目」
私は力説する。推しに推しがいたからといって、その推しを恨んでは推しを不幸にする。
推しの幸せを祈ることが、真のファン。
「はいはい。そういうのは、できる人とできない人がいるのよ。相手はまったく気にしていないから、すごく腹立つんでしょうね」
「それを逆恨みというのです。許しません!」
「お相手の人のライバルにもならない。むなしさだけで、それが怒りに変わる人もいるってことよ」
アナスタージア様は自分のことのように言うが、だからといって行動に移す方ではない。
「それでお相手に嫉妬し悪口をたたくなど醜いものです。そんな男の股間の一つや二つ、大したことはありません!! あの男ども、私は顔を忘れたりしませんから!!」
「まったくもう……。変に恨みを買っても知らないわよ?」
「そうですよね。武器をすぐに使えればいいですけれど、簡単な攻撃魔法もすぐに使えるよう、特訓しておきます!」
「……ああ、もういいわ。あなたならきっと大丈夫な気がしてきたから。案外喧嘩っ早いのを忘れていたわ。そうでなかったら借金取りを脅すような真似をしないものね」
アナスタージア様は諦めたように言いつつ、でも気を付けるようにと忠告する。アナスタージア様のお言葉に私は当然のごとく頷いた。
「リュシアン様は妬まれやすいのよ。陰口を叩く陰湿な男どもは多いわ。あの顔で王の信頼を受け、女性にモテて、精霊の血を引き、聖騎士団の団長。隙がないのだから、文句の一つも言いたいのでしょう」
「だからって、悪口を言われる筋合いはありません!」
「それはその通りだわ。精霊の血が入るのは珍しいし、ひいきされているように見えるのでしょうけれど、リュシアン様が今の地位にいるのは実力で、王から信頼されているのも、何事にも真摯に向き合い、それなりの結果を出してきたからよ」
「そうですよね!!」
さすが推しと信頼関係を築いている方である。リュシアン様と恋人のふりをしているだけあって、アナスタージア様はリュシアン様の性格もよく知っている。
リュシアン様を庇うというより、その功績を知っているからこそ、はっきりと真実を口にしてくれるのだ。
「まあ、本人は精霊の血を気にされてはいるけれど。幼い頃は女の子みたいだったから、すごい容姿コンプレックスがあるのよ」
「幼い頃ですか。私が知った時は男の子でしたけど、もっと前でしょうか」
「すごくちっちゃい頃よ。私は女の子だと思ってたもの。だって、二つ結びしてリボンもされていて。それは、お母様のいたずらなのだけれど、その時に一緒に遊ぶ男の子たちに笑われたのが尾を引いているのよね……」
それは何とも言い難い。リュシアン様のお母様よ、なぜそんなことをされたのか。
「女の子が欲しかったみたい」
「ですよね……」
なまじ中性的な顔をしているので、幼い頃は女の子に間違われやすかっただろう。リュシアン様のお母様は自分が思うままにリュシアン様を着飾っていたようだ。
「だからって、あんなアホどもを相手にする必要はないけれど。でもそのせいで脳筋になっちゃったのよね」
「えーーーっ」