姉弟
「お師匠様、お忙しいところありがとうございます」
「いいのよ~。丁度空いたからって、こんな時間に連絡もせず来ちゃってごめんなさいね」
夕飯を終えてお風呂にでも入ろうとしていた頃、借金の取り立て以外に訪れることのない客がやってきて何事かと思ったら、仕事帰りのヴィヴィアンお師匠様がエミールのために訪れてくれた。
お疲れだろうに。リュシアン様が、時間が空かなければ別の魔術師様を呼んでくださると言っていたのだが、お師匠様はできればエミールを確認したいとやってきてくれた。
「あなたの弟ちゃんだもの。気になるでしょう。姉は独学で呪い返しもできちゃう異端レベルなんだし、弟ちゃんも何かあっておかしくないんだから」
そう言われると心配になってくる。独学で呪い返しを学べるのは珍しいと聞いて、寝耳に水だったほどだ。私に魔術師の素質があれば、エミールもそんな素質で暗黒期に体調を悪くすることもあるだろうか。
「親戚などに魔術に詳しい方はいらっしゃらないの?」
「聞いたことないです。といっても、うちは親戚とは関係が希薄なので」
幼い頃に会ったことはあるかもしれないが、母と弟の葬式に親戚は来なかった。誰も来なかったことを問うたことはなく、今でも特に気にしたことがない。
親しい親戚が一人でもいれば父親の愚行は止めていただろうし、エミールの見舞いにもくるはずだからだ。
「どこかで魔術師の血でも入っているのなら、あなたの才能も納得なのだけれどね。さて、弟ちゃんはどちらかしら?」
「こっちです。もう眠っているんですけれど、起こした方がいいですよね?」
「大丈夫よ。そのままで診れるわ」
エミールの部屋に案内して、私はランプに火を入れる。エミールは寝息を立てて眠っているが、少しだけ浅い息をしていた。
「ちょっと、調子悪そうです。前もこんな風に急いで息をしていて……」
嫌な夢でも見ているのか、エミールは少しだけ顔を歪めていた。私は髪の毛をなでてやる。
パチン。なでようと髪に触れたら、前のように何かが弾けた。エミールはすやすや寝息を立て、荒かった浅い息がゆっくりになっていく。
「この部屋、乾燥してるのかしら……」
桶に水でも入れて置いておいた方が良いだろうか。この間も静電気のように指を弾いたのだ。
「違うわよ。あなたたちは何と言うか、まあ面白い姉弟ねえ」
ヴィヴィアンお師匠様はどこか呆然として目を瞬かせると、困ったように笑う。
そうして、ゆっくりエミールに近付くと、顔の上に手のひらを広げ何か呪文を唱えた。
すると、エミールの体から糸のような黒い線が何本か伸びてきて、お師匠様の手の中に入っていく。
「それは、前の、獣の目の中にいた……」
「そうよ。暗黒の気ね。あなたの弟ちゃんに、暗黒の気が混じっているのよ」
「な、なんでですか!? エミールに、なんで!!」
「落ち着きなさいよ。ちょっとこれを消して、加護を付けてあげるから」
言いながらお師匠様は両手を広げ呪文を唱える。黒い糸はもう出てきていないが、代わりにお師匠様の手のひらから淡い光が放出されて、エミールを包み込んだ。
淡く光る温かな光だ。その中でエミールの歪んでいた顔が、いつもの天使の寝顔に戻っていく。
「さてねえ、どこから説明しましょうか。あなたの見た通り、この子は暗黒の気を体に入れてしまっていたのね」
「暗黒の気を? どうして……」
「そこが姉弟なんだわ。あなたの弟ちゃんは暗黒の気を元々持っているのね」
「持っている? そんなことがあるんですか?」
「あるのよ。特異体質ね。元々持っているために体が弱いのかもしれないわ。ここで体調が悪くなったのは、暗黒期に暗黒の気をさらに吸収したからでしょう」
「暗黒の気を、吸収……?」
お師匠様はため息混じりに、私に説明をしてくれた。
「弟ちゃんは、一定の暗黒の気を持ったまま生まれたうえに、暗黒の気を体に集めやすい珍しい体質なのよ。知らず暗黒の気を体に入れてしまうから体調が悪くなるのね。もちろん元々の体質で体が弱いのかもしれないけれど、それをさらに悪くさせてしまっているんだわ」
「そんな……、エミールが……?」
暗黒期は数年に一度。それは四年に一度であったり三年に一度であったりまちまちだ。まだ十歳なのだから、二度三度暗黒期に重なり、暗黒の気を体内に取り込んでいたことになる。
「気付かなくても仕方ないわ。暗黒の気は表面に出にくいのだし。体内に入ってしまえば、中々気付けないでしょう。前に獣を生贄にした儀式で暗黒の気を見たわね? あれは獣の目の中に残っていたから見えただけなのよ。暗黒の気を感じられるようにならない限り、気付くことはないわ。修行すればあなたなら気付けるでしょうけれど」
「修行します!!」
「そう言うと思ったけれど、まあ最後まで聞きなさい。さっきあなたが弟ちゃんに触れようとした時、何か弾けるような感覚があったでしょう?」
「はい、乾燥中みたいです。静電気みたいに弾けて」
「違うわよ。レティシアちゃんは、暗黒に嫌われやすい体質なの」
「暗黒に嫌われる??」
ヴィヴィアンお師匠様は苦笑いを浮かべると、指先に先ほどの暗黒の気を集めだした。人差し指にくるくると糸が巻きつき、小さな鞠のようになる。それはあくたにも見えるし、糸くずの塊にも見えた。
「これに触れてごらんなさい」
私は恐る恐るその暗黒の気に触れようとする。すると、パチリと音を立てると、途端に絡んだ糸くずがほぐれるように、薄くなって消えてしまった。
「これは……」
「弟ちゃんが集めた暗黒の気を、あなたが祓っちゃったのよ。面白いわあ。弟ちゃんは暗黒の気を持ち集める力があって、姉のあなたは暗黒の気を祓う力を持っているのね」
「わ、私がですか??」
「そうよ。いつも気付かずに祓っていたのではないの。不思議ねえ。やっぱりレティシアちゃんは魔術師の才能があるわ。あるどころか、相当力のある魔術師になれるわよ。私の下くらいにはね」
ばちり、とウィンクをしてくるが、再び寝耳に水で、私はヴィヴィアンお師匠様の説明を呆然としながら耳にしていた。
「暗黒に嫌われやすい体質? なんだそれは……?」
問われても、私も困ってしまう。リュシアン様に昨夜のことを報告すると、リュシアン様も呆然と私の話を聞いていた。
エミールは暗黒の気を集めやすい体質で、そのため体が弱かった可能性がある。その暗黒の気は体を弱らせるだけでなく、量によっては死に至る可能性があった。それだけでなく、死霊や怨霊を引き付けやすいため、それらに取り憑かれてもっと早く死んでいたかもしれないそうだ。
しかし、私が暗黒の気を消す力を持っており、エミールに触れることによってその暗黒の気を消していた。
最近まで静電気のような感覚はなかったのだが、魔術師になるべく修行をしているので、そのおかげで暗黒を祓う力が増えているのではないかとヴィヴィアンお師匠様は推測している。
「暗黒の気が近寄らないようにヴィヴィアンお師匠様が加護を与えてくださったんですけれど、長く持たないそうなので、これから私がエミールに集まる暗黒の気を祓うことになりました。暗黒期の間は特に気を付けて、頭をなでなでしながら暗黒の気が消えるように祈るだけなんです。体の中の暗黒の気が薄くなれば、体調も治りやすくなるのではと」
触れるだけでも暗黒の気は消せるようだが、祈って消すとより効果があるそうだ。それついては、練習する必要がある。
「暗黒期でなければ、医者の治療だけで治っていた可能性もあったのか?」
「そうですね。暗黒期がなければ、今ほど悪くはなかっただろうと」
「なんと、けったいな姉弟だな」
「でも、私がなでてやるだけで消せる程度で良かったです」
「そうだな。それは良かった」
リュシアン様は安堵するように笑ってくれる。その笑顔を見るだけで私は元気が出ます。
「それと、エミールは暗黒の気を一定量体内で作っているらしく、体力を戻して元気になれば、暗黒の力を操る魔術師になれるかもしれないそうです」
「は?」
「あと、私は真面目に修行すれば暗黒の力を持つ者に対抗できるらしいので、その力を伸ばすようにお師匠様から言われました。無意識に暗黒を祓うことができるのは珍しいそうで、素質があるみたいです」
「……なんとも、異端だな。君は一体どこを目指すんだ……?」
リュシアン様は驚きつつも呆れるような息を一つついて、苦笑いをする。
アカデミーも出ておらず、独自で魔法を学ぶ者が、ヴィヴィアンお師匠様に近いレベルになれるのはとても珍しいどころか、相当特異だそうだ。そして、エミールまでも特別な魔術師になれる可能性が出てきた。
「なので、これからお勉強が増えることになってしまいました」
「成程。呪いの有無だけ分かれば良いと思っていたが、珍しい魔術師になれるのならば目指すといい。ヴィヴィに学べるだけラッキーだからな。まあ、それで、奇異の目にさらされることも、妬まれることもあるだろうが……」
「エミールのためにも、私は頑張りたいです。あの子に何かあったら、私は生きていけません」
仕事から帰れば毎日エミールの部屋に覗きに行っていたが、エミールの頭をなでてやるのは眠っている時が多い。起きている時に触れることがなければ、暗黒の気を集めてしまう。
これから毎日エミールをなでなでするのだ。
そして、修行をしてお師匠様のように、不思議な結界を作ってエミールを守らねばならない。
「私の天使は、私が守ります!!」
私の決意にリュシアン様が細目にして暖かく見守ってくれたが、リュシアン様もお守りします! と宣言したら、怒られてしまった。