白い花
リュシアン様に、一体何があったのだろうか。
(分からないわ。何が分からないのかよく分からないくらい、なんだか何も分からないわ)
私は混乱した頭を抱える。
「リュシアン様が、変!!」
「レティシア様、急に大声上げないでください」
「あ、ごめんなさい。ケリー」
「そろそろ着きますよ」
私は今日、お休みを使い町にやってきたのである。エミールのために白い花の種を購入しにきたのだ。暗黒期は終わっても白い花が咲き続ければ暗黒の気を避ける効果がある。少しでも暗黒の気を減らすために、白い花だらけにしたい。庭園という名の畑ではあるが、花を植えるスペースはある。
(種を買って、無心で庭を耕したいわ。何も考えずに。全てを忘れて)
そうじゃないと、思い出してしまう。
リュシアン様が、私の髪を耳に掛けて、微笑んだり、微笑んだり、微笑んだり!!
あまりに慣れない姿を見て、私はどうしていいのか分からない。
毎日リュシアン様の暗黒の気を消すといっても、私のお休みの時は他の魔術師様が受け持った。
(それに安心しているのもおかしいけれど、昨日の今日でリュシアン様を直視する勇気がないわ!)
「私に色気を振りまいてどうしようというのかしら。暗黒期というのは、色気を振りまくようになっているの??」
「何をおっしゃっているのか分かりませんが、色気を振りまかれたんですか?」
「分からないのよ、ケリー! リュシアン様が急になんだかとっても、とおっても、冷静でいらして、いつもなら、ちょっとぷりぷり怒ったりされるはずなのに、ずっと手を握っていても怒らなくて、それなのに、耳に、髪を!!」
私は顔に熱が帯びるのを感じた。私から行くのは平気なのに、リュシアン様から近寄られると、どうしていいのか分からなくなる。その上、普段ならば表情を変えるはずのリュシアン様が、頬を染めることなく、私をじっと見つめたりしたのだ。私の顔になにかついていましたでしょうか??
「レティシア様、落ち着いて全てお話しください……」
「だからね、ケリー、私はとても混乱しているのよ!」
私は今までのことを事細かくケリーに話した。推しのリュシアン様が突然態度を変えたような気がして、私はどう対処していいか分からないとまで。
「もしかして、暗黒期の暗黒の気は、性格を変えるような作用があるのかしら?」
「違うと思います」
「なぜ、そう思うの??」
私が問うと、ケリーは一瞬顔を無にして、すぐにニコリと笑った。
「ご自分でお考えください」
「分からないから聞いているのよーっ!!」
「演技などされる方ではないのでしょう? ありのままに受け取られたらいかがですか?」
「ありのままに……」
リュシアン様が私を見て、朗らかに笑みを湛え、穏やかに話をして、私に触れ……。
「鼻血が出るわ……」
「鼻血は耐えてください」
それは約束しかねる。抱きしめられた時は本当に危なかったのだ。
「私が、目が腫れるほど泣いたのがいけなかったのかしら。可哀想な子として扱われているのなら、納得がいくわ」
これから毎日。今日はお休みだが、お休み以外は毎日、私がリュシアン様の暗黒の気を探ることになる。鼻血に耐えられるかは疑問だ。
(暗黒の気を消すのはいいのだけれど、原因は分かっていないのよね……)
リュシアン様はそれについては何も口にされなかった。暗黒の気を取り除くという任務を得て舞い上がっていたけれど、原因については話題に上がっていない。
犯人がいるのか、それとも暗黒期のせいなのか。しかし、それについて聖騎士団で問題にされなかった。ウヌハスを操った者が何かしている可能性はないということだ。
「レティシア様、到着しました」
ケリーに呼ばれて私は外へ出る。混乱した頭で何か考えても混乱が深まるだけだ。一度頭を空にしよう。
私たちは町の広場で行われる市に訪れた。今日は月に一度の大きな市が開いている。
「お金の余裕もできてきたし、庭園を花にするのもいいけれど、新しいお野菜の種を買うのもありよね……」
白い花の咲くお野菜はどうだろうか。ジャガイモ、ピーマン、いんげん、ゆうがお。白い花も見られてお野菜も食べられて、ほくほくである。
庭はそこまで広くないのだし、お花もお野菜も同じ種で良いのなら、野菜園も植物園もできて一石二鳥。
「お野菜のお花はお屋敷に飾れませんよ」
ケリーの鋭い突っ込みにより、お野菜は却下された。
「大きなお花がいいかしら。鉢植えでベランダに飾るのはどう? 匂いが強すぎて気分が悪くなっても困るし、窓から見えるようにプランターで飾るのも素敵よね」
花には興味がなかったが、エミールのためとなれば話は別だ。市で売られているものを横目で見ながら、私たちは花の売っている場所を探す。
広場に作られた市には、肉の加工品やお菓子などの食べ物から、家具などの大きな物まで色々売っている。小物の修理を請け負ったり、その場で木を加工して置物を作ったりと、様々なもので溢れかえっていた。
「いいお肉が売っていますね」
貧乏貴族には安く物が売られる市が大好物である。ケリーが目ざとく鹿肉に照準を絞る。
馬車で鹿肉は持って帰れない。流石に首を切り落とされた鹿を馬車に入れるわけにはいかない。
「荷台がいるわね……」
「誰か屋敷から連れてきて買わせましょうか」
そんな算段をしていると、ふと見遣った先に知っている顔が見えた。向こうもこちらに気付いて軽くて手を振ってくる。
「店主さん、今日は出張販売ですか」
「月一の市で暗黒期ですからね。不思議な物を売りにくる人がいるかもしれませんから」
いつもお世話になっているお店の店主が店を出していた。呪いが掛かった怪しげな置物は持ってきていないようだが、ちょっぴりグロテスクな絵本や、夜中見たら寒気がしそうな人形など、不思議な物を店に出している。
買いにくるお客様より売りにくるお客様を目当てにしているようだ。
「本日は食料でも買いにこられたのですか? 肉屋をじっと見ていましたけれど」
「良いお肉だったので、荷台があれば良かったと話していたところなんです」
「でしたら、後で僕が運びましょうか?」
「いえ、そんなこと、店主さんにさせられません。今日はお花を買いに来たんです」
すぐにそんな手伝いを買って出てくれるのだから。ありがたいが、そこまで甘えることはできない。店主は笑って、その気になったら教えてくださいと言いつつ、お花ならば、と店のある方向を教えてくれる。
「ただ、最近白い花を買い占める方がいらっしゃるようなので、物は少ないかもしれません」
「まあ、暗黒期ではそんなことが多いのかしら。私もこの間行ったお店で白いお花が少なかったのですけれど」
前にエミールのために買いに行ったお花は売り切れ寸前だった。仕事帰りだったのでもう終わりなのかと思っていたが、大量に購入するお客様がいるようだ。
「不吉なことがあると、この時期は花を欲しがる人が増えるのでしょうけれど、買い占めるまで買う方は珍しいですね。あちらに行ってみてください。花屋が固まって店を出していますから」
私たちは店主と別れて、花屋の方へ進んだ。まだ明るい時間なので、今売り切れていたら相当な数を購入したことだろう。
「本当に数が少なそうですね。そんなに買い占めるなら、貴族が買って行ったのでしょうか」
「そうよねえ。お花といえどもこの時期はお高いのだし」
「暗黒期は花が咲きにくい時期でもありますからね」
暗黒期は夜が長いため花が咲く時期とは少しずれている。そのためお花は少し高めに設定されていた。町の人が買い占めるには金額がかかりすぎる。
行ってみると確かに花の数は少なく、花が置いてある水桶は空な物が多かった。
「お花はもう終わりですか?」
「ごめんなさいね。さっき大量に買って行った人がいたんですよ。最近まとめて買う人がいてねえ」
お店の女性が申し訳なさそうにする。既に空になった水桶を片していた。隣のお店は全て売れてしまったのか、もう帰る用意をしていた。
「種は売ってます? 白のお花の種は」
「種だったらありますよ。ええ。どうぞ、こちらに。球根もあります」
「では、それをお願いします」
種や球根があってホッとするが、しかし白い花は買い占められていた。
(誰か、亡くなりそうな方がいて、それで買い占めたのかしら)
私ももっと早く白の花が重要だと聞いていれば、エミールのために買い占めるくらいしていたかもしれない。暗黒の気のことは詳しく知らずとも、苦しむエミールが暗黒期に体調を悪くする可能性があると知っていれば、間違いなく屋敷中を白い花でうめるだろう。
貴族でお金があれば、白い花を買い占めてもおかしくはない。
「その方にもね、球根から育てて長く花を見られるようにされたら、とお勧めしたのよ。けれど今すぐに欲しいからと言って、花だけを購入されてねえ。よほど切羽詰まっているのか、最近になって急に購入されるようになったんですよ」
「暗黒期が始まってからではなく、ってことでしょうか?」
「ええ。何日くらい前だったかしら。ああそうそう、この間、向こうの空き家で獣臭いからって、聖騎士団が呼ばれたのは知っています? それよりは少し後だった気がするわ。獣の死体を使って、何かをした跡があったって噂を聞いたから、みんな怖がって花を買う人が増えたんですよ。それから少しして、買い占める人が現れたの」
雄鹿を使って暗黒の力を得るための儀式を行った話だ。警備騎士たちが周囲に雄鹿の搬入について聞き込みをしているので、空き家で何があったのか漏らした者がいたかもしれない。
暗黒の力を得る儀式などと耳にすれば、白い花を買いたくなるのは当然か。そんな近所で不気味な儀式を行っているのを知れば、恐ろしくて何かにすがりたくなってもおかしくない。
「でも、その買い占めた方は貴族だったのではないのですか?」
「貴族だとは思いますよ。荷台いっぱいにして持って帰ったからね。買いに来たのは貴族じゃなかったけど。その人の格好からは考えられないほどの花を買って行ったから、ただの使いでしょう」
では、雄鹿の儀式を耳にして購入したのではなく、やはり何か不幸があったのか、誰かが病で倒れているのか、祈る気持ちで花を購入しているのだろう。
「でも、その人、花を買いにくるたびに傷が増えているですよ。だから少し怖くて」
「傷? ですか?」
「顔やら腕やらにね、鞭みたいな、跡を付けて。花を買わないと折檻でもされるのかっていうくらい」