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「大変だったようね」
「いつもよりは、面倒な案件だったな」
ヴィヴィアンお師匠様の問いに答えながら、リュシアン様はソファーに座ると長い足を組む。部屋に漂う匂いがきついせいか、鼻の頭に皺を寄せた。
今回の討伐は当然耳にしていると、ヴィヴィアンお師匠様はお会いしてすぐその話をしてきた。お仕事で出掛けていたため話を聞いたのは少し遅かったようだが、大体の事情は知っていると、リュシアン様と私を魔術師が集まる建物の一室に呼んだ。
お城の中でも端の方に建てられているこの建物では、魔術師が実験をしたり魔法を試したりするのだが、研究員が魔獣を解剖したりすることもあった。
「あっはっは。リュシアン様がぶっ倒れるとか、私も見たかったわ~」
「うるさいぞ、ブリジット嬢」
リュシアン様はその声にむすっとして不機嫌顔になった。リュシアン様をからかうようにして大きく笑うのは、ブリジット・フォーレ様。
あの、ベルトランの婚約者である。
ベルトランとは一つ違いの年上で、癖のある赤毛をポニーテールにした、目鼻立ちがはっきりしている女性だ。
ガーネットのような深緋色の瞳は珍しく、黙っていればとても美しい女性なのだが、マスクと手袋、前掛けをし、ノコギリを片手にウヌハスの頭を踏んで押さえて楽しそうに切断している姿を見て、私のベルトランの婚約者のイメージは消え去った。
「レティシア様って言ったっけ。リュシアン様を守れるなんてすごいじゃない」
「そ、そんな。恐縮です」
「レティシアちゃんは優秀なのよ。レティシアちゃんの暗黒を祓う力がなければ、リュシアンも今頃ベッドの上だったでしょうね」
私は推しを守るのに一役買えたようだ。少し安堵しつつ、しかし、私も眠ってしまったので、まだまだ精進しなければならないと思い直す。確実にリュシアン様を守れたわけではないのだから。
「でも、もっと頑張らなければですよね……」
「そんなことないわよ。ちょっと、リュシアン。何か言うことはないの?」
「レティシア嬢のおかげで助かった。謙遜することはない。入団してまだそう間もないのに、討伐ではかなりの活躍だったからな」
お優しい言葉に私はジンとする。この方のためにももっと努力しなければ。
私が心の中で手を擦り合わせて拝んでいると、ブリジット様がにやけ顔をしてシシシと笑った。
「ブリジット嬢、さっきから一体何をやっているんだ?」
からかわれたと思ったのか、リュシアン様が目くじらを立ててブリジット様へ視線を向けた。
ブリジット様は異様な匂いを発するウヌハスの頭部を前にして、拳くらいの大きさの目玉を慣れた手つきで取り出して神経を切り落とすと、その目玉をトレーに乗せた。
どうやら解剖ができるらしく、手際が良い。ヴィヴィアンお師匠様もマスクと手袋、真っ白な前掛けをしており、トレーに乗せられた目玉を受け取った。
「レティシア嬢がいるのに、そんなものをここで出さなくてもいいだろう」
「あら、レティシアちゃんは魔術師になるのよ。これくらい見慣れないとダメなんだから」
リュシアン様は私が魔獣の死体で気分を悪くしないか気にしてくれているようだ。
「大丈夫です。我が家では鹿の解体を私が行うこともありますので!」
「そ、そうなのか……」
どーんと胸を叩いて言ってみれば、リュシアン様に哀れむような視線を向けられた。ブリジット様は大口で笑ってくれるが、ヴィヴィアンお師匠様は残念な子を見るような顔をしてくる。その顔はなんでしょうか。
「これを鹿と一緒にするとこがあれよね……」
そんなことを呟きつつ、私にトレーに乗った目玉を差し出してくる。しっかり見ろということだろう。それをじっと見ているとうごめいているものが目に入った。
「見えるわね。目の中に残滓がある。暗黒の気が残っているわ。前にも見たでしょう? 雄鹿の目の中よ」
白目の部分に黒い糸が脈打つように動いている。暗黒の気がまだ消えておらず、そこに残っているのだ。
「魔獣は暗黒の気をまとうのは普通で、こうやって残滓があるのは当たり前のことなのよ。けれど、これを力として使う魔獣は数が限られているの。あなたも知っている通り、ウヌハスは暗黒の気を力として使うことはしない。力を使う個体は見たことがないわ」
「サイズも大きいですし、特別ということもないのでしょうか?」
「私もこのサイズは見たことないし、暗黒期でもウヌハスが暗黒の力を使うなんて聞いたことないなあ。暗黒の気は取り込んだりするけど」
ブリジット様は手袋とマスクを解剖台に投げ捨てて、椅子に座るとふんぞりかえる。そしてその手で机の上にあったジャーキーを噛みちぎった。肝が据わっているというか、豪快だ。
ヴィヴィアンお師匠様もリュシアン様も見慣れているのか、気にもしていない。
「まだ見つかっていなかった可能性もあるけれど、この個体が巨大化した理由は他にあると思うのよ」
「どういう意味だ?」
リュシアン様の問いに、ヴィヴィアンお師匠様は目玉を取り出した頭部に手をかざした。目玉をくり抜いた部分から、にょろにょろと黒い糸が出てくる。
「レティシアちゃんが見たのは、これね」
「はい。リュシアン様を襲った、暗黒の気と同じです。うねうね集まってリュシアン様を繭みたいに包んでしまったんです!」
「町であった、雄鹿を使った儀式は覚えているわね? この中に同じ力を感じるのよ」
「それはつまり、暗黒の力を得た者がウヌハスを操ったということか?」
「そう。暗黒の力を使い、このウヌハスを操った可能性があるわ」
ヴィヴィアンお師匠様は、集まってきた暗黒の気をさっと散らした。さらさらと砂が舞うように黒の糸が消えていく。
「巨体化したのは暗黒の力で操る際、暗黒の気を多く含んだせいかもしれないわ。暗黒期は魔獣を成長させるのだし、影響を受けてもおかしくない。燃えてしまったという体に傷でもあったかもしれないわね。弱らせないと操るのは難しかったでしょうから」
「ウヌハスは力の強いオスに群れる性質がある。あの巨体のウヌハスを操り、他のウヌハスを集めたのか……」
「そうね。それで、何をする気なのかというところだけれど」
雄鹿を儀式に使った者はまだ見付かっていない。あの家に鹿を搬入した者は分からないが、馬車で鹿を運んでいたという情報はあった。ただ、それを誰が行ったかは目下調査中だ。
「レティシアちゃんの報告書を読んだけれど、倒れたリュシアンを覆った暗黒の気を引きちぎろうとしたら、突然暗闇の中にいたのでしょう?」
「あの時は、リュシアン様の体が真っ黒に覆われてしまったので、急いで暗黒の気を散らそうと思ったんです。でも消えなかったので、包まれる中をほじるようにしてリュシアン様に触れました。そうしたら、暗闇の中で……」
「リュシアンは夢を見ていたと報告していたわね」
リュシアン様は何を見たかは覚えていないそうだ。ただぼんやりと、夢の中にいたような気がしただけで、はっきりはしなかったとか。
「ウヌハスの呪いがぶつかったので、そのせいだと思います。だから、私が見たのもリュシアン様の夢だったのではないかと」
首を斬られてもウヌハスは呪いを掛けてきた。暗黒の気をまといリュシアン様を襲うまで執拗に。
ウヌハスが暗黒の力で操られていたとしたら……。
「リュシアン様を狙ったんじゃないの?」
ブリジット様の問いかけに、リュシアン様は眉間にしわを寄せた。リュシアン様は気付いていたのか、何も言わず拳を握る。
「暗黒の力を得た者が、ウヌハスを使い、聖騎士団をおびき出す。群れを作り聖騎士団と戦わせ、疲れた頃にこの個体でリュシアンを狙った。リュシアンが勝つことは想定済みでしょう。でも、暗黒の力を使えば話は違うわね」
呪いを掛けても魔術師がいれば呪いを消せるが、暗黒の力を払う魔術師の数は少ない。呪いを消す魔術師だけを連れてくると考えて、暗黒の力を使って封じようとした。
リュシアン様は暗黒の気に弱い。呪いに掛かり夢の中に入った後、暗黒の力で覆われては、リュシアン様でも夢の中から出られなかったかもしれない。
「普通の人でも、暗黒の気で身体中覆われて呪いで眠れば命に関わるわ。それが、精霊だとしたら、もっと危険でしょう。ウヌハスの夢は人を無防備にさせるの。夢の中でとどまり戻れなくなるように。眠っている無防備な状態で、暗黒の力を掛けられればどうなるか……」
「リュシアン様は、幼い頃の姿をしていました。まだとても小さくて」
「子供の頃の方が御し易いのよね。夢から覚めないようにするための呪いなのでしょう。人間に対するだけの呪いではないのだけれど、どんな種族でも幼い頃であれば抵抗しにくいんだわ。どちらにしても、今回の犯人はウヌハスではなく、人間の手によるものよ」
リュシアン様はやっかみを受けることが多い。呪いの掛かった贈り物をアナスタージア様に渡した者もいた。王の信頼を受けている若い聖騎士団団長を邪魔に思う者も多いのだ。
「暗黒期に行ったのも、きっと暗黒の力の影響を強めるためですよね」
「レティシアちゃんの考えている通りだわ。暗黒の気を扱いやすい時期に行ったと考えられる。ただ、リュシアンを狙ったのは個人だと思うのよ。身分のある者が何者かに行わせたとかではなく、個人的な恨みのある者じゃないかしら」
「町にある家を使っていたからな。陰謀であればもっと分かりづらい場所を使うだろう」
リュシアン様は小さく息を吐くとソファーにもたれた。何者に狙われたのか考えているのか、視線を床に下ろす。
個人的な恨みで魔術師のように暗黒の力を使うとは大それているが、だからこそ、匂いで気付かれるような町中で生贄を使用するのは、随分と不用意だといえる。
それに、儀式は素人だろうと推測されていた。
「リュシアン様を恨む者をリスト化した方がいいんじゃない? 聖騎士団は誰もがうらやむ憧れの騎士の集まりだし、リュシアン様はそこの団長だしね」
ブリジット様の言葉に、私は腸が煮えくり返る気がした。