討伐②
「なんだか嫌な予感がするわ。この感じ、なんなのかしら……」
「下がれ! 近寄りすぎるな!!」
再びリュシアン様の声が森に響く。その方向へ走ると、黒い巨体が立ちはだかっているのが見えた。
黒の巨体はウヌハスで間違いないのだが、大きさが他のウヌハスに比べて一回り以上大きい。ヘラのような角は私の身長くらいあり、首や胴体は太く厚く、馬車のように大きかった。
いなないて前足を上げ、聖騎士たちを踏み抜くように足を下ろす。大きな体から降りた足が、どごん、と土を削った。
それを避けて聖騎士の一人がウヌハスの足を斬り付けたが、鋼鉄に当たったような金属音が聞こえただけで傷も付かず、ウヌハスは踊るように足を上げ、後ろ足で蹴り上げようと暴れ始める。
聖騎士たちは魔法でウヌハスに衝撃を与えるが、勢いで下がっただけで傷はほとんど付いていなかった。
ウヌハスが睨み付け、呪いを発動しそれを飛ばしてくる。狙われた魔術師がそれを退けるが、ウヌハスは大きくいなないて突進した。魔術師は逃げる暇なく防御の魔法を掛けたが、それでも弾かれて飛ばされた。
「なんて力なの……」
「お前たちは下がれ! 俺から離れて攻撃しろ!」
リュシアン様が魔法攻撃を繰り出しながら、ウヌハスを引き付けるようにして皆から離れていく。他の聖騎士たちはリュシアン様が何をするのか分かっているのか、攻撃をしながら少しずつ距離を空けた。
リュシアン様一人で攻撃する気なのか。しかし、あの気配を感じているだろうか。リュシアン様は暗黒の力と相性が悪い。
「リュシアン様! お気を付けください!! 暗黒の気が————っ」
私が叫んだその時、ウヌハスはリュシアン様が一人になるのを狙っていたかのように、暗黒の力を放出した。
「リュシアン様!!」
ウヌハスから溢れたぼやけた糸のようなものが、リュシアン様の手足に掴み掛かるように飛んでいく。私は防御魔法を掛けたが、暗黒の力には通じず弾かれた。
腕や足に絡み付いてくる暗黒の力を、リュシアン様は銀の剣で斬り刻む。その隙にウヌハスは突撃し、リュシアン様の動きを邪魔してくる。
「ちっ。ふざけたことを!」
ウヌハスが突き出した角を避けると、リュシアン様はウヌハスの背中を斬り付けた。
勢いで木々に突っ込んだウヌハスに、雷のごとく鋭い光がほとばしる。目が眩むほどの光に、誰もが目を眇めさせた。
バングルから発せられた力はウヌハスを痺れさせた。その瞬間、リュシアン様は大きく剣を振りかぶり体ごと回転すると、ウヌハスの首を斬り抜いた。
頭部が体からずれてそのまま傾くと、大仰な音を立てて地面に倒れ込んだ。
聖騎士団の皆がわっと声を上げる。
「リュシアン様!!」
「レティシア嬢。今、何をしたんだ!?」
「バングルの力です。魔力で痺れさせました! ご無事ですか!?」
「俺は無事だが……。その力は、普通の魔法より威力があったぞ……」
思いっきり魔力を注いで飛ばしたのだ。相当な衝撃だっただろう。リュシアン様が攻撃する隙ができて安心した。
「この巨体の首を切断してしまうなんて、すごいです!」
「ウヌハスの動きが止まったからだ。動いていてはあの太さは難しい。助かった。ありがとう」
推しが私に礼を言ってくれる。舞い上がる気持ちが強くなって浮きそうになるが、まだ森の中だ。私は落ち着かなければと、先ほど気になっていたことを思い出す。
「ウヌハスは暗黒の力を使うのですね。呪いを掛けることは知っていましたが」
「俺も聞いたことはない……。とにかく、皆、周囲にまだ魔獣がいないか確認をしてくれ。怪我をしている者は治療を……」
「リュシアン様!!」
首が取れたウヌハスから呪いの気配を感じて、私は叫んだ。それを防御する魔法が一歩遅れ、リュシアン様にかすった。
ふらつくリュシアン様に駆け寄ろうとすると、今度はウヌハスから暗黒の力が飛び出し、リュシアン様に覆い被さった。
「リュシアン様!!」
騎士たちが、首が取れたウヌハスの頭部を突き刺し、体に攻撃を繰り出した。炎の攻撃を受けた体は燃え始め、暗黒の気が地面に染み込むように消えていく。
「リュシアン様!!」
駆け寄った私はリュシアン様に絡んでいる糸を外しにかかった。ウヌハスは燃えてもリュシアン様に絡んだ暗黒の気は残っている。触れれば弾けて消えるはずの暗黒の気はそのままだ。
私は繭を破るかのように指を突き刺して、その糸をこじ開けようとした。
(精霊は暗黒の力に弱い)
「リュシアン様っ!!」
糸の中にあるリュシアン様の頬に触れた瞬間、周囲から光が消えた。
誰もいない暗闇が遠くまで続いている。触れていたリュシアン様はおらず、近くにいた騎士たちや、側に生えていた木々や草も何もない。
「これは……」
暗黒に包まれているかのように、何も見えない。
「リュシアン様!? リュシアン様!!」
闇より暗い。一寸先も何も見えない黒の世界だ。
すると、ぽっ、と青白い光が見えた。幼い子供がそこにいて、体を抱くように小さくなって座っている。
「あれは、リュシアン様……?」
二つ結びの、小さな女の子。けれど耳が尖り、紫色の瞳をしていた。
「か、かわゆ、リュシアン様?」
そっと触れようとしたら、その前に姿が消える。
すると、また別の場所で青白い光が灯り、別の人の姿が見えた。
男の子に石を投げて逃げていく子供たち。子供の頃のリュシアン様が石を投げ返す。
顔を歪ませて頬にかすった傷を拭う。先ほどの女の子の姿より、少し大きくなった姿だ。そしてすぐにその姿が消えた。
『精霊の血を色濃く継いでいるの。人には見えない世界が見えるでしょう』
女性の声が暗闇に響く。また現れた光の中に、女性とリュシアン様が見えた。
『おいで。こっちに』
再び光は消え、木々の中で小さな光と戯れるリュシアン様が見えた。その光に促されるように、私に背を向ける。
「リュシアン様! ダメです!」
走って手を掛けたリュシアン様の肩は小さく、振り向いた幼い顔には、私が初めてリュシアン様に出会った頃の面影があった。
「レティシア!!」
ばちん、と何かが弾けて、私を呼ぶ声に目を覚ます。
「リュシアン様! レティシア! ああ、目が覚めないからどうしようかと思ったのよ……」
「アナスタージア様? 私、一体……」
夢でも見ていたのか。いつの間にか横になってしまったようだ。ゆっくりと起き上がると、白皙の肌を持つ紫の瞳と目が合った。
「大丈夫か……?」
「リュシアン様? あれ、私、どうしたんですか? ————リュシアン様、大丈夫ですか!?」
先ほどのことを思い出して、目の前にいたリュシアン様に、私は掴み掛からんと近寄った。いや、掴み掛かっていた。鼻がくっつきそうなくらい近付いてその顔を確かめようと思ったが、後ろから首元を引っ張られて顔が離れる。
「いい加減どいたらどうだ! リュシアン様が重いだろう!!」
私のマントを引っ張ってリュシアン様から引き離そうとしたのはギーだ。睨み付けようかと思ったが、リュシアン様が重いとはどういうことかと疑問になって、ふと自分がどこにいるか確かめた。
「レティシア嬢、立ち上がれるか……?」
「も、申し訳ありません!!」
私が座り込みべったりとすがっていたのは、なんと、リュシアン様の胸元。お腹に座り込み、その胸筋にしがみついていたのだ。急いでその体から降りて立ち上がる。
なぜ私がリュシアン様にしがみついていたのか分からないが、触れていた体はとても温かく、離れた瞬間その温度が消えてしまい、ちょっとがっかりする。
「リュシアン様、暗黒の気は、どこにいっちゃったんでしょう。私、夢でも見て……」
いや、夢を見ていたのは私ではない。ウヌハスの呪いは夢を見せること。
見ていたのは、リュシアン様の夢か。
「……レティシア嬢が祓ったようだ。もう違和感はない。気が付いて良かった。俺も気を失っていたようだから」
そう言って立ち上がるリュシアン様にもう暗黒の気は見えない。怪我もなさそうで安心したが、私は心配が残った。
「暗黒の気はまだ……」
私は感じる力がまだ少ない。ヴィヴィアンお師匠様に診てもらった方がいい。そう言おうとしたら、リュシアン様が私の頭をゆるりとなでる。
ばっとその頭を抑えると、リュシアン様は一度小さく笑って見せて、視線を変えた。
「そのウヌハスの頭部は持って帰る。他に気になる物があれば運んでくれ。城に戻ろう」
暗黒の力を操ったウヌハスは持って帰り、魔術師に調べさせるのだ。頭部が切断されていながら呪いを掛けられたのも気になったのだろう。
聖騎士団たちは各々荷物を持って転移ゲートへと戻っていく。治療班がいるため大きな怪我は治されたが、小さな怪我が残っている者は多かった。
あの大きなウヌハスは特別強かったのだろう。聖騎士団の制服が汚れている人が多い。討伐に行ってここまでボロボロなのを見たのは初めてだ。いつも帰ってくるのを拝見していたが、こんなに汚れているのは見たことがない。
(暗黒期だから魔獣が強いのでしょうけれど、こんなに違ったりするのかしら……)
私は一抹の不安を抱えつつ、リュシアン様の背を追いながら城へと戻ったのだ。