ヘルミーナの相談
アンナを秘密の部屋から連れ戻して、三日が経っていた。この三日間、俺は仕事に明け暮れていた。
自室の作業机に向かって座っている俺は、椅子の上で胡坐をかき机の上に置いてある婚姻届に目を落とす。これの事を考え無いようにする為、仕事に逃げていたのだ。お陰で依頼されていた仕事は、昨日ですべて片付いた。
今日は、一日かけて依頼品を届けて回った後、相変わらずキッチンが壊れて使えないままなので、夕食用に弁当屋で弁当を買って帰り、食べ終えてから自室に籠りずーっと婚姻届けを前に頭を抱えている。
夕食のお弁当を嬉しそうに食べていたアンナの事を思い出す。申し訳ないような情けないような気持ちになり、はぁーっと溜め息を吐く。
机に向かい頭を抱えている理由は、アンナとの約束を果たすための言葉がまったくまとまらないからだ。
アンナとの思い出が甦り、どれだけ彼女のことを大事に想っていたかを自覚した。それに、10年間離れていたにもかかわらず、俺の事を想ってくれていたアンナの気持ちに報いたい。それをちゃんと言葉にして伝えたいと思っている。
だが、恋愛経験もなく、人付き合いも苦手な俺は、この想いを上手く伝えられる言葉を見付けることができない。ましてや結婚を申し込む愛の囁きなんてものは思い浮かばないし、上手く伝えられるとも思えない。自分の無能さと意気地のなさに自己嫌悪している。
俺は、腰にぶら下げている鍵束を外し目の前にかざす。青白く光っていた鍵は、いつのまにか元通りに戻っている。光を失った鍵は、なんだかみすぼらしく今の自分のように見えた。
「はぁー。大見得きっといて、情けねー。」
座っている椅子の背もたれに体を預けながら、大きく溜め息を吐いた。ちょうどその時、俺の部屋の扉を誰かが叩いた。
俺は鍵束を腰に戻して椅子から立ち上がり扉を開けた。そこには、ニコリと微笑むヘルミーナさんが一人立っていた。
「ヘルミーナさん、何かありましたか?」
「イズミ様。こんな夜更けに申し訳ありません。少しお話しする時間を頂けないでしょうか?」
俺は、部屋の壁にある時計を見る、夜11時を回ったところだった。夕食を食べてから随分と時間が経っていた。またアンナが機嫌でも悪くしているのだろうかと、向かいの部屋の扉を見る。
「あー、アンナがまた何か?」
ヘルミーナさんが、目を閉じ首を横に振る。
「いえ、お嬢様は、お休みになられました。わたくしが、イズミ様とお話をさせて頂きたく参りました。」
「はぁー、別に構いませんけど。なんでしょうか?」
すっと、笑みを消し真剣な表情になったヘルミーナさんは、掌を返して廊下の奥にある自室を示した。
「少々込み入ったお話になりますので、わたくしのお部屋でお茶でも如何でしょうか?」
俺は、こんな時間に女性の部屋に入るのは如何なものかと思いつつ、ヘルミーナさんの真剣な表情に気圧され、彼女の部屋へと向かった。
ヘルミーナさんの部屋は、アンナの部屋に有った物に比べると少し豪華さで見劣りするが、西洋の貴族が使う高価そうな家具が備えられていた。
ヘルミーナさんに勧められ、小さな丸テーブルに並ぶ椅子に腰掛ける。俺が席に着くと、サイドボードの上にある、ティーセットを使ってお茶の準備をする。
「夜も遅いですから、気持ちを落ち着かせるハーブティーは如何でしょうか?」
「はい、なんでも大丈夫です。」
紅茶やハーブティーの事は、良く分からないので適当な返事をする。ヘルミーナさんは、優雅な手つきでティーポットに茶葉を入れ、ケトルでお湯を注いでいく。部屋の中に、少し青臭さがありつつも甘いリンゴのような匂いが広がる。なるほど、確かに気持ちが安らぐ匂いかも知れない。
ふと、お茶を淹れるヘルミーナさんを見ていて気付いたことがあった。ケトルの取っ手部分に二つの宝石のような物があり、それぞれが淡く赤と青の光を放っていた。
「あの、そのケトルの取っ手部分にある宝石は何ですか?光ってるように見えますが?」
「魔石の事でしょうか?そういえば、イズミ様はご存知ないのでしたね。」
ヘルミーナさんは、ティーポットにお湯を注ぎ終えると、ケトルの取っ手部分が見易いように俺の方に向けてくれた。
「これは、魔導ケトルという魔導具です。取っ手部分に付いているのは、火の魔石と水の魔石です。この二つの魔石に魔力を込めて、ケトルを傾けると注ぎ口からお湯が出るという優れモノです。」
「ま、魔石に魔導具ですか…。さすが、魔法のある世界ですね。」
俺は改めて目の前にいる人が、魔法の存在する世界から来た人なのだと実感する。
「わたくしからすれば、イズミ様が使っておられるデンキ?でお湯が沸くケトルや、火を使わずにお料理ができるアイエイチコンロの方が、まるで魔法のようでしたわ。…コンロについては、わたくしどもの不手際で壊してしまいましたが…」
ヘルミーナさんが、眉を寄せて申し訳なさそうな顔をする。
「あー、いえ。コンロの事は気にしないでください。もう終わったことですから。」
「そう言って頂けると痛み入ります。てっきり、わたくし達の世界にある魔導コンロと同じようなものだと思って、お嬢様が火の魔力を込めたのですが、コンロごと燃え上って慌ててしまいましたわ。すぐに水の魔法で火を消して、お嬢様がお怪我を為さらなかったのは幸いでしたけれど…本当に申し訳ありません。」
「はははっ、本当にもう謝らないでください。」
あのキッチンの惨状について、ようやく理解が及んだ俺は、苦笑いを浮かべた。ヘルミーナさんは、軽く頭を下げた後、ティーセットを俺の前にある丸テーブルに運び、二つのティーカップにハーブティーを注ぐと、向かいの椅子に腰掛けた。
俺は、目の前に置かれたティーカップを手に取り、口元に運びコクリと一口飲む。少し癖のある感じだが不快ではない。さわやかな甘い香りが鼻から抜け、優しく喉を潤してくれる。俺は、もう一口、ハーブティーを飲み、ソーサーにティーカップを戻す。
「それで、お話というのは何でしょうか?」
向かいに座るヘルミーナさんが、ティーカップを置いたのを見て俺は、本題について尋ねた。ヘルミーナさんが、少し難しそうな表情を浮かべる。
「イズミ様は、お嬢様とのご結婚を望まれているのでしょうか?」
俺は、ヘルミーナさんのド直球な質問にどきりとした。動揺を隠せないまま俺は答える。
「の、望んでいます。子供の頃の約束でしたが、俺はアンナの事が、す…好きです。結婚というものが、どういうものかまだ解ってないかもしれません。でも、それでも守ってやりたいとか、ずっと一緒にいたいとか、俺の隣に居てほしいと思っています。」
動揺しつつも、俺は自分なりに、今の気持ちを誠実に言葉にした。
ヘルミーナさんは、安堵したような、それでいて困ったような複雑な表情を浮かべる。
「イズミ様の言葉を聞いて、お嬢様のお気持ちが報われ、従者として嬉しく思います。」
ヘルミーナさんは、目を閉じ優しく微笑んだ後、スッと笑みを消し鋭い眼差しを俺に向けた。
「ですが、わたくしは、お嬢様の従者として、幸せを願う者として、この結婚に反対させて頂きます。」
まさかヘルミーナさんに結婚を反対されるとは。
次回は反対の理由です。
予定より早く更新することができました。
今日から週末にかけて随時更新していきます。