引っ越し祝いと創世神話
「細かな整理は今後リーブコットとやっていくとして、ひとまずは片付いたのではないでしょうか?」
「はぁー…。こんな片付いた工房なんて今まで見たことないですよー。」
片付いた魔導工房を見回して感嘆するリーブコットが、片付いた棚から無造作に書類を引っ張り出そうとして、皆が冷ややかな視線をリーブコットに送る。ヘルミーナがコホンとひとつ咳をして、リーブコットの首根っこを掴む。
「こ、これからはわたくしがしっかり管理しますのでご安心を。」
「くくっ。ヘルミーナは私の妻ではなく、リーブコットの妻になった方が良かったかも知れませんね。」
その様子にニコニコしながらランベルトが笑えない冗談を言うので、新婚早々喧嘩になるのではと危惧したが、ヘルミーナの反応は斜め上だった。
「そうかもしれませんわね。ランベルトは放っておいても問題ありませんが、リーブコットは目を離して置けない感じですからね…。」
「ちょっと…昨日結婚したばかりの二人が何を言ってるのですか!」
サナエ様が呆れた顔で二人を窘めるが、ランベルトとヘルミーナは顔を見合わせて「なぜでしょう?」と首を傾げている。この二人には、普通の夫婦の価値観が通用しないようだ。
ヘルミーナのお陰で片付いた魔導工房の中を、エグモントに案内してもらう。片付いた部屋の中を改めて見回すと、ウチの家の工場より広く、ちょっとした体育館ぐらいの広さがある。
部屋の中には、本棚や物入れが幾つもあり、作業机もたくさん並んでいた。
気が付くとリーブコットは、いつの間にか作業机の一つに資料を広げて自分の研究を始めていた。本当に研究が大好きなようだ。
部屋の奥へと進むと書庫や書斎の他、簡易的なキッチンもあり、工房に籠って食事まで取れるようになっていた。
アンナがヘルミーナや他の側仕え達と何やら相談して、キッチンの方へ入っていく。何をするのかと思い、続いてキッチンに入ろうとしたが、アンナに「お兄様は、本でも読んでいてくださいませ。」と言われ追い出された。
仕方なく俺は、書斎の一つへと入ると、一緒に入ってきたサナエ様が呟く。
「この書斎も、昔のままなのですね。」
「この書斎はリーブコットにも無暗に立ち入らぬように言っておりますから。」
「伊澄。この書斎は、椋善が使っていた書斎なのですよ。昔使っていた時のままです。」
「ここで…じいちゃんが…。」
腰にぶら下げている鍵束をジャラリと触る。書斎の中は綺麗に片付けられた机にランプが置かれ書類仕事ができるようになっている。壁には本棚がぐるりと設置され、本がびっしりと詰まっていた。
俺は本棚の中でひと際目立つ豪華な装丁の本を取り出す。ズシリと重いその本を手に書斎のソファに腰掛ける。表紙を捲ると、サナエ様が教えてくれた。
「それは、創世神話の聖典ですわね。」
「創世神話…ですか?」
「ええ。この世界、アインファングの誕生に関する神話が書かれている本です。」
表紙を捲ったページには、一本の木を植える老人の姿が描かれていた。隣のページには、神話の内容が書かれており、一部読めない文字もあるが、カタカナに近い文字が使われている為、ある程度理解することができた。
本の内容はこうだった………。
かつて世界は草木一本育たぬ、命なき不毛の大地であった。
世界に多くの命を欲した創造神トールデンは、命が溢れる新たな大地を求め礎の樹を大地に植えた。
しかし、不毛な大地では礎の樹は育たずトールデンは憤った。すると憤ったトールデンの拳から火の女神ブリーギッドが生まれた。ブリーギッドは憤るトールデンの為に、己を包む炎を糧として礎の樹に与えた。礎の樹は糧を得て成長したが伸びた先から渇いていった。その様子にトールデンは嘆いた。
嘆いたトールデンの目から零れた涙から水の女神セドゥーナが生まれた。セドゥーナは体から溢れる水で渇いた礎の樹を潤したが、溢れた水は礎の樹を浸し根が腐り始めた。トールデンは哀れみ髪を振った。
トールデンが哀れみ振った髪から風の女神カールデアが生まれた。カールデアは、礎の樹の周りを飛び回り、渦巻く風で溢れていた水を吹き飛ばした。礎の樹はようやく枝を伸ばし大きく成長した。
喜んだトールデンの右目から闇の女神へカティアが生まれ、左目から光の女神アグライアが生まれた。へカティアは礎の樹から伸びた枝の上に新たな大地を作った。アグライアはへカティアが作った新たな大地に命の種を新たに植えた。新たに生まれた礎の樹の大地には瞬く間に命があふれトールデンは満足し、女神たちを残して時の彼方へと旅立った。
所々分からない部分もあるが、要約するとこんな内容だった。一通り読み終わったところで本を閉じると、書斎にいたのは俺と護衛のランベルトだけだった。
「随分と集中しておられましたね。」
「そうですね。他の皆はどこにいるのですか?」
「まだ、工房にいらっしゃいますよ。イズミ様が屋敷の主になられたお祝いをするそうですよ。」
「えぇっ…私のお祝いですか?」
お祝いとは何だろうと考えながら書斎の扉を開けると、鼻腔を刺激するスパイスの匂いがした。
「お兄様!今お声がけしようと思っておりました。」
工房のキッチンからパタパタと駆けてきたアンナが、自信に満ちた顔で俺の手を引いて、キッチンの隣にある食堂へと招き入れる。
「じゃじゃーん!お兄様のお引っ越しのお祝いに、カレーを作ってみましたの!」
食堂のテーブルには、側近たちを含めた人数分のカレーが並んでいた。
「これは…アンナが作ったのか?」
「もちろんです!…と言いたいところですが、ほとんどヘルミーナや側仕えの皆が作ってくれました。わたくしはスパイスを加えて鍋を混ぜただけなのです。」
アンナが少し恥ずかしそうに笑うと、ヘルミーナが「味付けは姫様がされたのですよ。」とアンナを優しくフォローする。
「お兄様。どうぞ、食べてくださいませ。」
こちらの世界ではお米があまり流通していない、主食は小麦のパンだ。なのでカレーはスープとして仕上げられていた。皆が見守る中、俺はスプーンでカレースープを掬い口に運ぶと、舌をピリッとした辛味が刺激し、コクのあるうま味が口に広がる。
「うん。美味い。」
「本当ですか!美味しいですか?お兄様!」
「美味い。美味しくできてるよ。皆も食べてみてください。」
側近たちは、食べるのを躊躇したが、アンナが「カレーを食べるときは、皆一緒に食べるのが正しい作法なのですよ。」と、促すと渋々といった感じで皆スープを口にし、その美味しさに目を丸くして感嘆する。
「お兄様と皆に喜んでもらえて良かったですわ。ね、ヘルミーナ。」
「はい、姫様。イズミ様に頂いたレシピを研究した甲斐がありましたわ。」
カレーの上場の仕上がりにアンナとヘルミーナは、顔を見合わせて満足そうに微笑む。
ヘルミーナさんは、俺が渡した一般的なカレーのレシピをこちらの世界の食材に合わせて研究してくれていたようだ。レシピを渡してからまだ数日だというのにすごい研究成果だ。魔導具研究の助手に任命したのは正解だと思う。
「ほわわわぁ…本当に美味しいです。ヘルミーナは、魔導具研究だけでなく料理の研究もできるのですね。」
「くくくっ、すばらしい!我妻は実に才能豊かな女性ですね。結婚相手に選んだのは間違いなかったようですね。」
もともと緩い表情のリーブコットは、さらに表情を緩ませてカレースープとパンを頬張りながらヘルミーナを評価すると、ランベルトはそれに同意するようにヘルミーナを褒めたたえた。この二人もどこか似た感性を持っているのかもしれない。
呆れた顔で、皆がカレーを食べる様子を見ていたサナエ様が、カレーを一口食べた後、宙を見つめて小さく呟く。
「…懐かしい味ね。…褒められたものではないですが、たまにはこういう無礼講も悪くありませんね。」
異世界アインファングの創生神話について触れるお話でした。




