神殿からの誘い
結婚式が無事に終わり控室をアンナと一緒に訪ねると、ランベルトとヘルミーナがグレゴールとハイデマリーに怒られていた。
「ランベルト!お前は何を考えているのだ!誓う神が光の女神アグライア様ではなくアンジェラ様だったのはまだよいが、あれでは伴侶への誓いではなく、主であるイズミ様への誓いではないか!この馬鹿者が!」
「ヘルミーナもヘルミーナですよ!ランベルトに合わせるように貴女までイズミ様に誓わなくても良いでしょうにっ!」
ランベルトとヘルミーナの誓いの言葉は、やはり一般的な誓いの言葉とは掛け離れていたようだ。本来であれば身と心を捧げるのは結婚する者同士であり、誓う神も普通は婚姻を司る光の女神アグライアに行うらしい。
俺はジワリと嫌な汗を搔きながら、アンナの顔を見ると苦笑いを浮かべながら「そういう事ですよ、お兄様。」と言い、とんでもない誓いに俺が巻き込まれたことは理解した。
二人ともなんてことを!結婚式での二人の誓いの言葉を思い出し、これでは結婚式ではなく、まるで俺への忠誠式じゃないかと頭を抱えた。
「正直な気持ちで誓いを立てたのですが、怒られてしまいましたね、ヘルミーナ。」
「そうですわね。どうしてでしょうか、ランベルト。」
不満そうな顔でランベルトとヘルミーナは顔を見合わせ首を傾げた。
納得いかない様子の新郎新婦にグレゴールとハイデマリーが懇々と説教をしていたが、我関せずといった感じでアンナの護衛に立っていた新郎の妹であるマティルデに矛先が向いた。
「はぁー、マティルデ。お前は兄のようなことはしてくれるなよ。」
「大丈夫です、父上。私にはまず相手がおりませんので心配いりません。それに私は姫様の護衛の為に身も心も捧げておりますので、結婚の必要を認めません。」
「はぁー。…妹はそれ以前の問題であったか…。」
「兄が片付いたと思いましたが、妹の方が大変そうですわね。」
毅然とした態度で結婚を不要と言い切ったマティルデの様子に、両親は頭を抱えている。
グレゴールとハイデマリーの気苦労はまだ続きそうだ。
グレゴールとハイデマリーのお説教が終わったのを見計らったように、控室の扉が叩かれ、結婚式の進行を行っていたひょろりと背の高い中年の神官が部屋に入ってきた。神官は部屋に入ってくるなり俺に視線を向けニコリと微笑んだ後、今日の主役に祝いの言葉を贈る。
「ランベルト様、ヘルミーナ様、本日はおめでとうございます。」
「大神官ホルスト殿。滞りなく式を進めて頂き感謝を。」
親族を代表してグレゴールが、ホルストに謝意を述べる。
「いえいえ、とんでもございません。急ぎの結婚式ということで準備が少々大変でしたが、オーベルト家の方にはご事情があるようですからね、理解しておりますとも。」
ホルストがニヤリと笑いながらヘルミーナに厭味ったらしい言葉を吐いたので、部屋の空気が重くなる。ヘルミーナが顔を曇らせる様子を見て俺は不快感を募らせる。アンナやグレゴール達も露骨に嫌な顔をする。
空気を変えようとランベルトが、コホンと咳払いをする。
「我妻を気にかけて頂いたようでありがとうございます。大神官ホルスト殿。是非、人生の先輩に結婚について伺いたのですが…ああ、大神官殿は未婚でございましたね。これは飛んだご無礼を。」
さすがランベルトというべきか、空気を変えるつもりではなく、露骨な嫌味を返したかったようだ。ホルストは目を丸くして顔を赤くする。
「なっ!。私は神に仕える大神官です!結婚など不要と考えているのですよ。結婚できないのではなく、しないのですよ!なんと失礼な!」
「なるほど、崇高な精神に感服いたします。ですが、結婚を知らぬ方にはご理解いただけないと思いますが、結婚式の後というのは色々と忙しいのでどうぞお引き取りを。」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら退出を即すランベルトに、ホルストは敵意をむき出しにする。
「ふん。別に最初からあなた方には用は無いのですよ。私は女神アンジェラ様の子孫にして生ける聖人、イズミ様にお会いしたくて参ったのですから。」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった俺に向かって、ホルストが跪く。
「聖人イズミ様。あなたは女神アンジェラ様の血を引かれ、王国に巣食う病巣であったオーベルトの者共を聖なる力をもって取り除いた聖人様です。聖人たるあなたに相応しい場所は神殿です。どうか我らと共に国と民をお導きください。」
俺を聖人として持ち上げようとするホルストの恍惚とした表情に、恐怖を感じ背筋がゾクリとする。ハッキリ言って気持ち悪い。
「ホルスト殿。イズミ様は、王配候補となられる方ですぞ。神殿に入ることなどありえませんぞ。」
「ふん。まだ正式な婚約者として宣言されていない以上は、神殿にお迎えしても問題ないでしょう。それに私は聖人様に聞いているのであって、グレゴール殿、あなたの意見は聞いておりませんよ。」
グレゴールとホルストが睨みあうのを見兼ねて、アンナが溜め息をついて仲裁に入る。
「グレゴール、ホルスト控えよ。」
「姫様。ご無礼を。」
「申し訳ございません。」
アンナの言葉に、グレゴールとホルストが睨みあいをやめて頭を下げる。
「イズミ様とわたくしの婚約については、じきに国王より宣言が出されます。イズミ様が神殿に入ることは無いと心得なさい。」
ホルストの願いをアンナが否定しながら、俺に目配せをする。俺からもはっきりと否定しろという意味だろう。
「ホルスト殿。私が神殿に入ることはありません。それに私は確かにアンジェラ様の血を引く者かもしれませんが、聖人などではありません。ただの人です。」
「私は諦めません。聖人様は神殿にあるべきお方なのです。」
王女であるアンナに窘められ、俺からも拒否されたにも関わらず、ホルストは恍惚な表情を再び浮かべ食い下がった。
「ホルスト下がりなさい。ここはビルゲンシュタットで新たな夫婦となった二人を祝う場です。あなたは不要です。」
「……失礼いたしました。アンナマリア様。」
王族であるアンナに下がれと言われれば引き下がるしかなく、ホルストは不服そうな顔で部屋を出ていく。
「姫様。イズミ様。不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。」
ホルストが退出したのを確認すると、グレゴールと共にエーブナー家の一同が、俺とアンナにに頭を下げる。
「謝るのはわたくしの方ですわ。お兄様も申し訳ありません。」
「姫様のせいではありませんぞ。神殿はオーベルト家によって虐げられていましたからな、嫌味の一つも言いたいのでしょう。それに今が好機と思って王政に影響力を持とうと必死なのでしょう。アンジェラ様を神聖視する神殿にとってイズミ様はまたとない存在でしょうからな。」
グレゴールは苦々しい顔で、ホルストが出ていった扉を睨みつける。
俺としては全くもって、ホルストの要望に答えるつもりは無かったが、グレゴールとランベルトから用心するように促された。何よりあの恍惚とした表情には思い出しただけで虫唾が走る。
俺の隣で一緒に話を聞いていたアンナが大きな溜め息をついた。
「これが王家が軽んじられている現状なのでしょうね。」
ビルゲンシュタットの神殿は、宗教的な場所ですが、
病院を兼ねる場所でもあります。




