かけ離れた常識
窓から差し込む光で、目を覚ます。
久しぶりにぐっすり眠れた気がする。俺は背伸びをしてベットから降りると、寝間着を脱いで、いつものツナギの作業着に着替える。ベットの枕元に置いていた鍵束を腰にぶら下げて、部屋の扉を開けようとしたところで、ふと寝る前に考えた事を思い出す。
「…本当に、夢だったらどうしよう。」
俺は急に不安になってしまった。
腰の腰束をジャラリと触り、意を決して扉を開けると、アンナの部屋に入ろうとするヘルミーナさんが居た。夢じゃなかったことに安堵する。
ヘルミーナさんは、突然扉が開いて驚いた様子だった。
「すいません!驚かせてしまいましたね。」
「いえ、大丈夫ですよ。」
頭を搔きながら謝る俺に、ヘルミーナさんは、ニコリと笑って返事をしてくれた。
「あー…今から簡単に朝食を作るんですが、みなさん食べますか?」
「はい。ご一緒させてください。お嬢様の支度をしておりますので、整い次第、食堂に向かわせて頂きます。」
「じゃー、下で待ってますね。」
「あの、イズミ様。」
階段を降りようとしたところで、ヘルミーナさんに呼び止めらる。
「大変申し訳ないのですが、マティルデがお庭で朝の訓練をしていると思うので、お嬢様の部屋に来るように、伝えて頂けませんか?」
「いいですよ。伝えておきます。」
「よろしくお願い致します。」
一階へと降りて、玄関からサンダルを履いて外に出る。
工場のある方から、シュッシュッと音が聞こえるので、そちらに向かっていくと、細身の直剣を上下に振る、マティルデさんの姿があった。
真剣な表情で、直剣を振るたびにポニーテルがふわりと揺れ、額にかいた汗が飛び朝日でキラリと輝く。絵になるなと思って見ていると、マティルデさんが、こちらに気付いた。
「イズミ様。おはようございます。」
「おはようございます。マティルデさん。護衛騎士というのは、すごいですね。正直僕には、良し悪しは分からないですが、かっこ良かったです。」
「いえ、私はまだまだ未熟者です。昨日も少々食べ過ぎてしまいましたし…」
マティルデさんが、恥ずかしそうに目を落とし肩をすくめる。
「ヘルミーナさんが、アンナちゃんの部屋に来るように言ってましたよ。」
「ご伝言ありがとうございます。あ、イズミ様、そこにある木材は不要なものでしょうか?」
マティルデさんが、工場の入り口脇にある廃材置き場を指さした。そこには、大小様々な木の廃材が置いてある。
「ああ、これは、使わない廃材ですよ。」
「そうですか。よろしければ訓練の仕上げに使いたいので、一本それをこちらに投げて頂けませんか?」
「ええ、いいですよ。」
俺は、厚さ10センチ、長さ50センチほどの大きさの角材を手に取り、マティルデさんに届くように高く放り投げる。一体これをどうするんだろうと考える間も無く、両手で剣を握るマティルデさんの正面に、ゆっくり縦に回転しながら角材が落ちていく、次の瞬間―
「はああああああっ!」
マティルデさんが鋭い掛け声とともに、素早い手の返しで角材に対して直剣を左右に数度切り返す。
50センチほど合った角材が、10センチの正方形の切れ端になって、バラバラと地面に落ちる。俺はその様子に唖然とする。
「ふぅっ!まずまずの仕上がりですね。イズミ様、ご協力ありがとうございました。それでは、失礼致します。」
マティルデさんは剣を腰の鞘に納め、軽くお辞儀をすると、足早に家の方へと掛けていった。
その場に残された俺は、地面に落ちていた角材の破片を拾い、その断面をみる。
のこぎりなどで引いたものとは違う、つるりとした綺麗な断面だった。
背中がひやりとして、ゴクリと唾を飲む。
マティルデさんが持っているあの直剣、間違いなく真剣だよね。
キッチンで朝食の準備を進めながら、さっきのマティルデさんの訓練の様子を思い出す。あれはまずい。いくら田舎町で人通りが少ないとはいえ、ご近所さんもいるのだ、訓練の様子を見られる可能性もある。真剣を振り回しているなんてバレた日には、銃刀法違反で大騒ぎになってしまう。
訓練をするのは、仕方がないとしても、せめて木刀か何かに、持ち替えてもらはねばと考えていると、アンナ達がキッチンへとやってきた。
マティルデさんを見ると、やはり腰に剣をぶら下げている。今まで意識して見ていなかったので、気付かなかったが、常にぶら下げているようだ。
はぁーっと、息を吐いて気を取り直し、食卓にロールパン、オムレツとソーセージ、ミニサラダを並べていく。飲み物は何にしようかと考えていると、ヘルミーナさんが紅茶を入れてくれた。
朝食を四人で一緒に食べるにあたり、またヘルミーナさんとマティルデさんからの抗議があるかと思ったが、昨日の夕食で理解してくれたようで、特に抵抗も無く一緒に食事を取ってくれた。訓練についても。、きっと理解してくれるはずだ。
「マティルデさん、朝の訓練についてなんですが…。」
食後のお茶タイムに入ったところで、意を決してマティルデさんに声をかける。
「はい、なんでしょうか?」
マティルデさんが、こちらを向いて首を傾げる。
アンナとヘルミーナさんも、俺に視線を向けてくる。
「あの、訓練に使っていた、その腰にぶら下げている剣、本物ですよね?」
「本物と言うのは、どのような意味でしょうか?」
あれ?質問に質問で返されちゃったよ。
マティルデさんは、ヘルミーナさんと視線を合わせると、何を言ってるのだろうと言う感じで、もう一度首を傾げる。ダメだ、全然伝わってない。
「えーっと、その剣は模造品じゃなくて、殺傷能力のある本物の剣ですよね。」
「はい。剣は戦う為の武器ですから、殺傷能力が無いと困ります。モゾウヒンというのは、よくわかりませんが?」
「模造品と言うのは本物の剣とは違い、形だけ似せて作られた殺傷応力の無いものです。」
「なるほど、理解しました。つまり、モゾウヒンとは形だけの張りぼての剣ですね。」
よし、前段階の問題は理解してもらえた。ここからが本題だ。
こほんとわざとらしく咳をして、三人の顔を見回す。
「マティルデさんの国では、どのような扱いか知りませんが、この国では剣のような武器を所持することが、法律で禁じられています。」
「なんと!それでは、いざという時どうやって主の身を守るのですか?」
俺は首を横に振る。
「この国では先ほど申し上げたように、武器を持つこと事体を禁止しているので、誰かが武器を持って襲い掛かってくるような事は極稀です。そもそも治安が良いので、この国は犯罪も少ないです。」
「噂には聞いておりましたが、武器の携行が必要ないほど平和な国なのですね。」
驚いた様子で、ヘルミーナが答える。
マティルデさんは、腕を組み眉間にしわを寄せて、うむむと唸っている。
「というわけで、剣を持ち歩くのはやめてください。後、訓練するときは、剣を使わないでください。」
「それは、できません!剣がなければ、いざという時お嬢様をお守りできません。」
「その、いざというのが、ほとんど無いんですよ?」
「ほとんどと言うことは、少しは可能性があるということです。であれば、やはり剣は手放せません。それに、剣を使わぬ訓練など訓練とは呼べません。」
腕を組んだまま、目をつむり聞く耳は持たないといった感じで、俺に抗議する態度をとっている。さすがに、ちょっとイラっとする。
仕方がないので、昨日と同じように主から一言言ってもらおうと思い、俺はアンナに視線を向ける。
アンナはピクッと反応して、困ったなという顔をした後、ふーっと息を吐いて首を横に振る。
「お兄様。騎士にとって、剣と言うのは指名を果たす為に必要な命の次に大事な物なのです。わたくしを守るためにここにいる、マティルデに剣を持つなとは、わたくしは言えません。」
アンナの予想外の返答に、俺は困惑する。アンナは解ってくれると思ったのに、どうやら住む国の常識がまったく違うようだ。
俺はどうしたものかと考え、ため息を付く。
「じゃー、仕方ないですね、剣を手放せないというのであれば、絶対に外に出ないでください。庭で訓練するのもやめてください。」
「なっ!困ります!それでは、体が訛ってしまいます!」
ガタっと音を立てて、マティルデさんが立ち上がり、俺に向かって抗議する。
「マティルデ、はしたないですわ。」
「だが、ヘルミーナ!」
笑みを作ったヘルミーナさんが、マティルデさんに向かって首を傾げる。座りなさいという圧力だ。うっと呻いた後、マティルデさんがおずおずと椅子に座りなおす。
その笑顔のままヘルミーナさんが、俺に顔を向ける。
「イズミ様。もう少し、譲歩して頂けないでしょうか?」
「お兄様。わたくしからも、お願い致します。」
二人にお願いされ、俺は腕を組んで「うーん」と、考え込む。
一番問題なのは、誰かにマティルデさんの剣を見られることだ。日々の訓練が大事なのは、なんとなくわかる。幸いにしてこの家には、人目に触れず剣を振ることができる場所がある。
「わかりました。剣を持って出歩くのは、人目に触れる可能性を考えるとやはり許可できないです。でも、訓練については工場の方を使っていいですよ。あそこの中なら人の目に触れることは無いので。」
「お兄様。ご譲歩頂きありがとうございます。マティルデもそれでいいですわね。」
「はい。承知いたしました。」
はー、何とか落としどころが見つかって良かった。
しかし、こうも常識が違うものなのか?いつまで、この家に居るつもりか知らないが、先が思いやられる。
朝食の後片付けが終わると、俺は昨日できなかった作業をするために工場へと向かう。アンナは、暇なので見学したいと言って、従者の二人を連れて俺に付いてくる。
工場の中に入って照明を点ける。
マティルデさんは工場の中を見渡しながら「ここなら問題なく訓練ができますね」と頷いている。
アンナと、ヘルミーナさんは、幾つかある工作機械を「何に使うものでしょう?」と、言いながら不思議そうに見ている。
「危ないから、機械には触らないでね。」
「わかりましたわ。お兄様」
二人に注意を促した俺は、工場の壁際にある机の上からメモを数枚手に取る。メモには数字と図面が幾つか書いてある。このメモは今はもう販売されていない、古い精米機の修理に使う代替え部品の設計図だ。知人から受けていた祖父の最後の仕事だ。
メモを持ったまま、金属を削る機械の元へと向かう。メモに書かれた図面沿って、金属の棒を加工していくのだ。
俺は腰にぶら下げた鍵束を、ジャラリと触る。
よしっと、気合を入れ、金属の棒を機械にセットし電源を入れる。セットした金属の棒が高速で回転しだす。防護用のゴーグルをつけて、軍手をはめる。金属を削る刃の部分に、全神経を集中して慎重に見極めながら、加工を進めていく。
祖父と一緒に働きたいと思って始めた仕事だが、俺はこの仕事が好きだ。物を作るのが好きで、機械と素材に集中して、思い通りに仕上がった時の達成感が気持ち良い。
「よし、できた…。」
俺は機械の電源を落とし、精密定規で部品の各部を図って問題ないか確かめる。
ふと視線に気付いて横をみると、パイプ椅子に腰かけたアンナが、楽しそうにニコニコしながら俺を見ていた。
「ずっと見てたの?」
「はい。お兄様、すごい集中力ですね。」
壁にある時計を見ると、作業開始してから1時間近く経っていた。
「見てても詰まんないだろ?何が楽しいだ?」
「そんなことありませんわ。お仕事に集中されているお兄様の横顔は、とてもかっこ良かったですわ。」
「騎士の私から見ても、尊敬に値する集中力でした。」
「あ、お兄様。こちら、使ってくださいませ。」
額にかいた汗を袖で拭おうとすると、アンナがスッと立ち上がって、手に持っていた薄いピンクの花柄のタオルを差し出してくれた。高そうなタオルだったので、俺は一瞬使うのを躊躇ったが、断った時のアンナの反応を想像し、面倒くさそうと思い、ありがたく受け取り顔の汗を拭う。
タオルはフローラルな香りがして、とてもいい匂いだった。仕事の緊張が一気に溶けていく。匂いの力ってすごいな。
俺は一通り汗を拭いた後、タオルを首にかける。これは洗って返そう。
視線をアンナに戻すと、加工した金属部品が気にるようで、作業台をじっと見つめている。
「お兄様が作った物は、何に使うのですか?」
「これは、壊れてしまった古い機械を、もう一度使えるように修理するための部品なんだ。」
「まあ、お兄様のお仕事は、壊れたものを使えるように直すお仕事なんですね。とっても素敵ですね。」
アンナのお言葉に、祖父とやってきた仕事が認められているようで、素直に嬉しくなった。にやけてしまいそうなので、明後日の方向に顔を向ける。
ふっと息を吐いて立ち上がり、さっき作った部品と今までに作っておいた部品を並べて、注文書の内容と照らし合わせていく。数も内容も合っている、問題なさそうだ。
部品を箱に詰め、幾つかの工具箱と一緒に工場の中に止めてある軽トラの荷台に乗せる。軽トラが珍しいのか、ヘルミーナさんが軽トラの各部を面白そうに眺めている。
「イズミ様。こちらは、荷車ですか?」
「そうですよ。軽トラっていう便利な車です。」
「軽トラ…便利な車…ですか。」
運転席に乗り込みエンジンを掛けると、ヘルミーナさんが、ビクッとして後ずさる。少し離れたところでマティルデさんも、怖い顔して腰の剣に手を伸ばしていた。エンジン音で、驚かせてしまったようだ。古い軽トラだから、ちょっと音がうるさいんだよな。
「お兄様、お出かけになるのですか?」
アンナが運転席の窓ごしに尋ねてきたので、窓を下げる。
「さっき作った部品を、依頼主に届けに行ってくる。」
「わたくしも、連れて行ってくださいませ。」
「いや、でも、これ二人乗りだし…」
ヘルミーナさんとマティルデさんに視線を送ると、コクリと頷く。アンナが行くなら、二人とも付いて行くよという意思表示だ。軽トラに、4人乗せるわけにはいかない。それに、剣の事もあるので、マティルデさんを外に連れ出すことはできない。
「ごめんよ、アンナちゃん。君だけならともかく、この車に全員は乗れないんだよ。それに、マティルデさんの剣の事もあるしね。」
「そんなー。わたくしだけでも連れて行ってくださいませ。お兄様が、お仕事をされているところをもっと見たいのです。」
「なりません!お嬢様、お一人でなど!」
ヘルミーナがアンナの肩を抑える。アンナがヘルミーナさんを、むっと睨む。
「嫌です。わたくし、一緒に行きます。」
「自重してくださいませ、お嬢様。イズミ様、どうぞこのまま出発してくださいませ。」
「じゃ、じゃー行ってきますね。夕方までには戻りますので…」
俺はアクセルを踏み、軽トラを前に発進させていく。
工場の外に出たところでバックミラーを見ると、ヘルミーナさんとマティルデさんに捕まえられたアンナが「お兄様ー!」と叫んでいた。
軽トラの中でもう一度「ごめんよ。アンナちゃん」と、ひとり呟く。
田園の中の農道を15分程走らせ、依頼主の家に到着する。依頼主は初老のおじいさんで、代々このあたりの田んぼで米作りをしている農家さんだ。玄関で依頼主に挨拶をして、壊れた古い精米機が置かれた倉庫へと案内してもらう。
俺はシートを広げ、その上に必要な工具と部品を並べて行く。修理を開始すると依頼主が声を掛けてきた。
「おじいさん、亡くなって大変だっただろ。」
「ええ、まあ。でも皆さんに助けて頂いて、無事に葬儀も終わったので、こうして仕事も再開できました。」
「君は、えらいなー。おじいさんの仕事を受け継いで、なかなかできることじゃないよ。」
「そんなことないですよ。」
「うちのせがれなんか、都会に働きに出て帰ってきやしねぇ。米作りも俺の代で終めーだ。まー、時代の流れってやつなのかね。こいつの修理もこれが最後かもしれねーなー。」
続けたいけど続けられない、あきらめを含む依頼主の言葉に作業の手を止め、腰の鍵束にジャラリと触れる。
「そうなんですか。なんか、ちょっと寂しいですね。」
「しょうがねーさ。じゃー、よろしく頼むわ。終わったら声を掛けてくれ。」
「はい。」
その後は修理作業になかなか集中できず、思った以上に修理に時間が掛かってしまった。依頼主に作業完了の報告をした時には、もう日が沈んでいた。
軽トラを工場に戻し、工具を片付けて工場のシャッターを閉める。
アンナ達を待たせてしまったなと思い、小走りで家の玄関へと向かった。玄関を開けると、ヘルミーナさんが申し訳ないといった表情で立っていた。
「イズミ様。大変申し訳ありません。すべてわたくしの責任です。」
家の中は何かが焦げたような、何とも言えない匂いが漂っていた。玄関を上がりキッチンへ向かうにつれ、匂いがきつくなっていく。
キッチンの中を見て、愕然とする。IHのコンロは鍋ごと焼け焦げた状態になっており、電子レンジは爆発したように扉が吹き飛んでいた。床には炊飯器などの調理器具や食器が散乱し、火を消す為に使ったと思われる水で、びしょびしょに濡れていた。マティルデさんが黙々と水を拭きとっている。
被害の少ない食卓の一角に、アンナが背中を丸め俯いて座っていた。
「なんだよ、これ…」
俺に気付いたアンナが、涙を一杯に溜めた赤い目でこちらを見上げてきた。
「お、お兄様。ぐずっ…ごめんなさい。わ、わたくし、お戻りが…遅いので、ずびっ…夕食を…ご、ご用意しようと思って…ずずっ…喜んで…欲しくって…ずびっ」
「なんで、夕食作ろうとしただけで、こんなことになるだよっ!」
あまりの有様に怒りがこみ上げ、アンナをギロリと睨みつける。慌ててヘルミーナさんが、俺とアンナの間に立ち、片膝をついて頭を下げる。
「イズミ様。お嬢様は、悪くありません。お叱りを受けるべきは、主の願いを叶えることができない、不甲斐ない従者のわたくしです。」
イルミーナさんの後ろで、アンナは目から大粒の涙をポロポロと零していた。
その様子に気付いたマティルデさんが、床拭きをやめサッと立ち上がり、懐からハンカチを取り出し、アンナに差し出す。ハンカチを受け取ったアンナは、目の下にハンカチを当て涙を拭う。
俺はその様子を見ながら、こみ上げていた怒りを吐き出すように大きく息を吐く。
「いったい何をしたら、こんなことになるんですか?おかしいですよ!」
「大変申し訳ありません。イズミ様の見よう見まねで、お嬢様と調理器具を使っていたのですが、相性が悪かったのか、上手く制御できず色々と不具合が発生してしまいまして…」
「相性ってなんですか?少し、操作を誤ったぐらいじゃ、こんなこと起こりませんよ!」
「本当に申し訳ありません。」
相変わらず、常識が噛み合わない感じでイライラする。
「はぁー、もういいですから、とりあえずここを片付けましょう。」
俺は壊れた調理器具や食器をまとめて、工場の廃材置き場まで持っていく。ヘルミーナさんとマティルデさんには、濡れた床を拭いてもらい、食事がとれるように食卓を整えてもらった。片付けの間、アンナはずっと椅子に座ったまま、ヒクヒクと泣いていた。
お嬢様だからかもしれないが、お前も手伝えよと正直思った。
こんな状態では料理などできないので、俺は無事だった電気ケトルでお湯を沸かして、キッチンストレージからカップラーメンを四つ取り出し、お湯を注いで食卓に並べる。
「すいませんが、今日の夕食はこれで我慢してください。」
「とんでもございません。ご用意頂きありがとうございます。」
ヘルミーナさんは俺に向かって何度も頭を下げる。
マティルデさんはフォークで麺を掬って食べながら、無理にニコッと笑ってアンナにしゃべりかける。
「お嬢様。このカップラーメンというのも、とても美味しいですね。」
「はい。…そうですね。」
「お湯を入れるだけで、こんな美味しいものが出来てしまうなんて、まるで魔法のようですね。」
「はい。…魔法のようですね。」
ヘルミーナさんとマティルデさんが、なんとか空気を変えようとしているのが痛々しい。アンナは表情なく沈んだ目でカップラーメンを見つめるだけで、ほとんど手を付けていない。食べたくなかったら食べなければいいと思いながら、俺は一言もしゃべらず、手早くカップラーメンをお腹に流し込んだ。
さっさとカップラーメンを食べ終えた俺は席を立つ。今日は疲れたからと言って、先にお風呂を使う。ツナギの作業着を脱ぎながら、首に掛けていた花柄のタオルに気付く、アンナに借りたままだった。どのみち汗まみれのタオルをそのまま返すわけにはいかないと思い、作業着と一緒に洗濯物の籠に投げ入れる。
簡単にシャワーを浴びて自室にへ向かっていると、階段を上がったところでアンナが待っていた。
「おやすみなさいませ。」と言うアンナの顔は、明らかに作り笑いで気持ち悪い。俺はそれを不快に感じた。
突き放すように「もう寝るから」と告げ、部屋に入りベットに寝転んで天井を見上げる。
昨日と同じように見上げた天井なのに、アンナの態度や作り笑いを思い出し、胸の奥がざわざわとイラついて気分は最悪だ。枕元にある鍵の束を手に取り、部屋の扉に背を向けるように寝返りを打って、無理やり目を閉じた。
アンナちゃん、大失敗で、落ち込んでいます。
伊澄くんも、かなりネガティブマインドです。