サナエの鍵
食堂を出てサナエ様の部屋に向かう。部屋に着くとサナエ様は「二人だけで話します。」と告げ、すべての側近を下がらせた。俺と二人だけで部屋に入り扉を閉める。
「あの、サナエ様。お話というのは…。」
サナエ様は俺の問いには答えずに、ニコリと微笑む。
「クフェイン」
サナエ様の胸元に、淡く光る本が現れる。智慧の書だ。
慣れた様子で本のページをめくる。
「インスタラシオン、アンラオフ…ミットナーム。」
サナエ様が呪文を唱えると、サナエ様の前に淡く光る魔法陣が展開し、そこから一本の鍵が出てきて、サナエ様の手に収まる。
「ハインツ」
サナエ様の前に浮かんでいた、魔法陣と智慧の書がフワッと消える。サナエ様が俺に向かって見覚えのある鍵を見せる。それを見た俺は、着ている軍服のベルトに吊るしてある鍵束に触れる。
「アンナの部屋の鍵…ですよね。サナエ様も合鍵を持っておられたのですね。」
「ふふっ、その通りです。やはり知っていましたか。」
「はい、でも一度偶然使えた以外は、使い方が分からなくて…。」
「あら、アンナは使い方を教えてくれなかったのですか?」
驚いたような表情を浮かべて質問されたので、俺は苦笑いを浮かべながら腰の鍵束からアンナの部屋の鍵を外して、サナエ様に見せる。
「あの部屋は俺にあんまり見られたくないようで、恥ずかしいからダメといって教えてくれませんでした。」
「ふふっ。アンナらしいですわね。…では、私が教えて差し上げましょう。魔力を扱えるようになったのですから、イズミにも使えますよ。」
「そうなのですか?…でもいいんですかね、勝手に教えてもらってしまって。」
「構いませんよ。鍵を持っているということは資格があるということです。それに、アンナも恥ずかしいだけで、教えたくないわけではないでしょう。素直じゃないですからね。」
サナエ様が、口に手を当ててクスクスと笑う。俺もサナエ様の言葉に『確かに』と思い笑う。
「では、はじめましょう。魔石に魔力を込めるのと同じように、魔力を鍵に込めながらアンナの部屋をイメージしてみなさい。」
サナエ様が俺に見せるように掌に鍵を載せ、魔力を込めていくと、鍵が緑色にゆっくりと光出す。
俺は表情を改め、ふーっと息を吐き目をつむる。鍵を胸元で握りながら魔力を少しずつ流し込み、アンナの部屋の扉を頭の中に思い浮かべる。鍵に魔力が入らなくなったところで目を開けると、握っていた鍵が青白く輝き、体の周りを魔法陣に囲まれる。次の瞬間強い光に包まれ、思わず目を閉じる。
次に目を開いた時には『アンナの部屋』のプレートが掛けられた扉の前に立っていた。来れたと思い感動していると、俺のすぐ横で光が瞬き、サナエ様が現れる。
「無事に来れたようですね。」
ニコリと俺に微笑むと、躊躇なく緑に光る鍵を扉の鍵穴に差し込み、カチャリと開錠して部屋の中に入っていく。少し期待していたのだが部屋の中にアンナの姿は無かった。
ただ、部屋の中はぬいぐるみや絵本が散乱し、まるで空き巣にでも遭ったかのような有様だった。
「アンナは居ませんね。でも、ここで待っていればアンナに会えそうですね。」
「それは…無理ですね。」
「どうしてですか?この荒れた感じは、アンナが最近使ったって事ですよね?」
「この空間魔法には幾つか制約があるのですよ。この部屋の基本原理は収納の魔法と一緒で、収納している空間を手元に呼び出している状態です。先程のように使用者が近くで鍵を使えば部屋に入れますが、使用者が離れた場所で使っている場合は、別の者が新たに扉を呼び出すことはできません。部屋は一つしかありませんからね。」
「つまり、俺たちが部屋を使っている間は、王城にいるアンナはこの部屋に来れないってことですか?」
「そうなりますね。鍵を使用した場所からだいたい100メートル以上離れると鍵が起動しなくなります。」
アンナに会えるのではないかと思っていた淡い期待が打ち砕かれ、俺は肩を落とす。
「では、サナエ様はどうしてここに俺を連れてきたんですか?申し訳ないですが、アンナに会えると思ったので、結構落ち込みました。」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりは無かったのですよ。ただ、この場所でアンナの事を話したかったのですよ。」
サナエ様は申し訳なさそうに俺に頭をさげると、散らかっている絵本やぬいぐるみを片付け始める。それを見て俺も手持ちぶたさで片づけを手伝う。
「アンナがこちらに戻ってきた頃を思い出しますね。」
ある程度片付けが終わったところで、サナエ様が水色のクマのぬいぐるみを抱えてベッドに腰掛けた。そして、自分の隣の場所をポンポンと叩いて、俺に座るように促す。俺が隣に座ると、サナエ様はクマのぬいぐるみを見つめながら、ゆっくりと語りはじめた。
「アンナがビルゲンシュタットに帰って来た時、あの子はまだ6歳でした。生まれてすぐに日本に行って育ちましたから、あの子にとってビルゲンシュタットは見知らぬ場所です。ただでさえ不安なのに大好きなお兄ちゃんと離れ離れになって、最初の頃はそれはもう大変でしたよ。両親も王位継承の為に奔走していて、甘えられる大人もいませんでしたから、いつもこの部屋に籠っては、泣いて、喚いて、疲れて寝ていました。合鍵を持っているのは、わたくしだけでしたから、いつも迎えに来ていたのですよ。」
俺はこの間この部屋で見たアンナの姿を思い出し、変わってないんだなと小さく笑う。
「その後、ヘルミーナが側仕えになってからは、彼女に心を許してくれたので少しは落ち着きましたが、王女としての教育や魔法の訓練で辛いことがあると必ずこの部屋を使っていました。アンナにとっては、伊澄くんとの思い出が詰まったこの部屋が、心の支えだったのでしょう。」
「そんな状態だったので、少しでも平穏に幸せに生きて欲しいと願っていましたが、情勢とあの子の才能がそれを許しませんでした。今の王は、血統のみで魔力的才能があまり無く、後ろ盾が私だけだったこともあり、求心力が足りず王位について五年も経たないうちに、反抗勢力が力をつけ国内は内乱状態になってしまいました。オーベルト家をはじめとする王家に近い貴族の協力で何とか王権を維持していましたが、国を立て直すには王にかわり力を示せる旗頭が必要でした。」
「旗頭…それがアンナだったんですか?」
サナエ様は悔しそうな表情でコクリと頷く。
「アンナは、いつか伊澄くんに会うためにと、血の滲むような努力で魔法を学び、扱いが難しい空間魔法も習得していました。12歳になる頃には、衰えたとはいえかつて英雄と呼ばれたわたくしを超える魔力と才能を開花させていました。しかし、伊澄くんのために努力して得たその力は、内乱を終結させるために使われました。」
クマのぬいぐるみの腕が、サナエ様の手で握りつぶされる。
「わたしは、平穏と幸せを与えるべきアンナを、まだ幼かったあの子を、戦場に立たせてしまいました。オーベルト家などの味方貴族から、圧力があったとはいえ、悔やんでも悔やみきれません。アンナは我儘なところはありますが聡く優しい子です。戦場で自ら手を下し多くの命が失われる悲しみを受け止めながら、一日でも早く内乱を終結させるために頑張ってくれました。この部屋で毎夜泣きながら一人でも多くの命が助かるように戦ってくれました。」
サナエ様が震える声で話す内容を聞き、アンナの今まで生きてきた道を想像すると胸が苦しくなった。
「内乱を終結できたのはアンナのお陰です。一番の功労者です。それなのに彼女の望みを叶えるどころか、王とその側近たちは国の安定の為に、アンナにさらなる犠牲を払わせようとしています。伊澄くんとの思い出が詰まったこの部屋で、アンナが泣くのを見てきた私には分かります。アンナにとって今行われようとしている婚約が、どれほどアンナにとって残酷で絶望的なものかを、わたくしにはわかるのです!」
声を荒げるサナエ様の怒りが痛いほどわかり、俺の中で沸々としたものが込み上げてくる。
「伊澄くん。あなたはわたくしの…いえ、アンナの唯一の希望なのです。…だから絶対にあなたにアンナを勝ち取って欲しいのです。」
サナエ様は俺の方を向き眉を寄せ、顔の皺を深めて目から涙を溢れさせる。俺は目頭が熱くなり何も言えず、ただコクリと頷く。
「これが私の覚悟です。」
緑に光る鍵をサナエ様が俺に差し出す。
「わたくしはもうこの部屋に参りません。これからアンナに一番必要なのは伊澄くん、あなたなのですから。」
サナエ様が涙を流しながら、俺に優しく微笑みかける。俺は、ゆっくりとサナエ様の思いが詰まった鍵を受け取り握りしめる。
「見っとも無いところを見せてしまいましたね。…わたくしは、先に出ておりますので…。」
サナエ様はそう言って涙を拭い、クマのぬいぐるみをベッドに置きながら立ち上がると、扉を開け外へと出ていった。
俺はしばらく手に持った緑に光る鍵を見つめた後、意を決して立ち上がる。必ずアンナを勝ち取ると。
部屋を出ようとしたところで、せめてアンナの気持ちを伝えておきたいと思いついた。だが、どうすればと思いつつ部屋を見回すと、子供机の上にある筆記用具が目に留まった。でも紙がないと思ったところで胸ポケットに入れている婚姻届を思い出し、婚姻届を裏返しに机の上に広げる。
アンナに対する思いを書き連ねようとして手を止め、ランベルトに言われた忠告の数々が頭をめぐる。ここで迂闊なことを書けば、計画が台無しになるのではないかと。
それでも何か残したいと思った俺は、婚姻届だけ置いて部屋を出ることにした。
アンナがこれを見れば、アンナに会う為、俺がこの部屋を訪れたと気付いてくれると信じて。
アンナの部屋を出ると、サナエ様の部屋に出た。ちゃんと部屋を出るときのイメージも出来ている。次からは一人で来れそうだ。
「伊澄くん。お帰りなさい。アンナをよろしくお願いしますね。」
「はい。」
俺はコクリと頷き、手に握る緑に光る鍵を見つめた後、決意と共に胸元で握りしめる。その途端、心臓がドクンッと大きくはねた。息がつまり膝をつく。
「伊澄くん?…伊澄くんどうしたの?」
サナエ様が俺の異変に気付いて駆け寄ってくるが、声を発するどころか座っていることすらままならず、床にバタリと倒れ込む。サナエ様が俺の名前を呼び続けているが、どんどんと声が遠ざかっていき、俺の意識は途切れた。
伊澄くんがサナエおばあちゃんから、アンナの生い立ちを聞くお話でした。
アンナちゃんは異世界でかなり大変な思いをしてきています。




