消えた名前
案内された客間は、俺の自宅の部屋が二つ三つ入りそうな広さがあり、テーブルにソファ、キャビネットや天蓋付きのベットなど、高級そうな西洋家具が配置されていた。
「こちらへどうぞ。」
ローテーブルを挟んで設置されている二人掛けのソファに腰を下すと、キッチンワゴンに載せてあるティーセットでイルメラさんが、お茶を淹れてくれた。正直、アンナの両親に結婚を否定され、アンナに「もういい」と言われてしまい、頭の中は酷く混乱していた。
気持ちを落ち着かせる為にも、お茶はありがたかった。
目の前のローテーブルにお茶が置かれる。ティーカップを手に取り、ごくごくと一気にお茶を飲み干す。随分喉が渇いていたようだ。ふーっと、息を吐いてティーカップをソーサーに戻すと、何も言わずイルメラさんが二杯目を注いでくれた。もう一度、ティーカップを手にして一口飲むとやっと少し気持ちが落ち着いた。
「お茶、ありがとうございます。少し、落ち着きました。」
「お礼など必要ありませんよ。お世話をさせて頂くのが、わたくしの仕事ですから。」
軽くお辞儀をするイルメラさんを改めて眺める、ヘルミーナさんと同じ白と紺のメイド服を着ているが、イルメラさんは細身のわりに胸が大きく少し目のやり場に困った。濃いめの茶色い髪は編み込まれ、白いメイドキャップの中に綺麗におさめられている。少したれ目だからか、優しそうな印象の顔だ。年頃はアンナより少し上のように見える。
次は、部屋の入口に目を向ける。俺より少し身長が高い、細いが引き締まった体型のランベルトさんが、後ろ手を組み扉の脇に立っている。
ランベルトさんは、マティルデさんと似た濃いグリーンの軍服を着て、腰に剣をぶら下げている。髪はブルーグレーで少し長めの前髪をセンター分けにし、長い後ろ髪を縛ってある。ニコニコとした表情を浮かべているので、少しわかりづらいが、年齢は俺と同じぐらいか、少し上に見える。
「すいません。アンナ……アンナマリア様と話がしたいのですが…。」
俺は、アンナの呼び方に気を付けなければと思いながら、どちらに言うわけでもなく尋ねる。もう一度アンナの気持ちを確認して、傷ついて泣いているなら慰めてやりたい、ちゃんと二人で今後の事を話したいと思ったのだ。
「おそらく、今は難しいですよ。」
ランベルトさんが、肩をすくめながら答えてくれた。
「何とかなりませんか?ちゃんと会って話がしたいんですよ。」
「わかりました。一応使いは出しますが、期待しないでくださいね。」
ランベルトさんは、ニコニコした表情のまま口の端を上げると、扉を開けて部屋の外に出ていく。
「イズミ様。お返事を待っている間に、着替えをされませんか?」
「着替えですか?このままじゃ駄目ですか?」
「いえ、駄目というわけではございませんが、もし王族の方にまたお会いするのであれば、もう少し格式のある装いをされた方がよろしいかと。」
「そうなんですか…あっ。」
そこで、はたと思い出す。日本から持ってきていた着替えをヘルミーナさんの魔導工房に置いてきてしまったと。
「どうかされましたか?」
「いや、着替えを入れていた荷物をヘルミーナさんに預けたままだったなと…。どのみち格式のある着替えなんて持っては無いんですけどね。」
俺は、苦笑いを浮かべて頭をかくと、イルメラさんがニコリと微笑む。
「ご心配頂かなくても大丈夫ですよ。衣装はこちらで用意させて頂いておりますので。イズミ様のお荷物については、ヘルミーナに後ほど声を掛けておきますね。」
「ありがとうございます。イルメラさん。」
イルメラさんが、口に手を当ててふふっと笑う。
「わたくし達の名を呼ぶのに敬称は必要ありませんよ。イズミ様は、王の御客人なのですから。」
「いや、でも…。」
思いもよらない事を指摘され戸惑う。今までヘルミーナさんやマティルデさんにも指摘されなかったことだ。こちらの世界では、立場が上になると呼び捨てるのが当たり前なのだろうか?
「イズミ様は、面白い方ですね。でも、わたくし達も気にしてしまいますので、できましたら、敬称なしでお呼びください。」
「わかりました。えっと…イルメラ。」
正直、人を呼び捨てにするのが苦手というか、慣れていないので勘弁してほしいと思ったが、イルメラさんに…いや、イルメラに念を押されてしまい止む無く呼び方を変えた。
名前の呼び方一つとっても考え方がまるで違うと思い知らされる。
「では、お着換えのほうは、こちらでお願い致します。」
ベット脇の姿見がある場所に移動すると、入口の方から見えないように衝立が立てられ、イルメラさんがドクターコート風の上着を脱がせてくれた。
「イズミ様は、変わった服を着ておられますね。どのようにしてお手伝いすれば良いのでしょうか?」
「えっ、いや、あの、着替えを置いといて頂けたら自分で着替えますよ。」
「そのようなことをされては困ります。」
「いや、でも、見られるのは、恥ずかしいといいますか…。」
「着替えを手伝うのはわたくしの仕事ですから、恥ずかしがられても困ります。」
「いや、ちょっと待って、イルメラさんじゃなかった、イルメラ!」
ツナギを調べて無理やり脱がそうとするイルメラとしばらく格闘した後、俺は折れて着替えを手伝ってもらった。パンツまで脱がされそうになったが、そこだけは死守させてもらった。改めて住む世界、常識の違いを実感する。
「これで如何でしょうか?」
「あ、ありがとうございます。」
着替えが終わり、姿見で自分の姿を確認する。紺色に銀の刺繍で縁取りされた軍服のようなものを着せられている。こちらの世界では、これが貴族男性のオーソドックスな恰好らしい。
はぁーっと溜め息をつく間に、イルメラが衝立を片付ける。衝立がなくなるとランベルトが入口の脇に立っているが見えた。いつのまにか戻って来ていたようだ。
俺がソファーに戻って座るとニコニコ笑いながら声を掛けてきた。
「ずいぶん楽しく、着替えをされていたようで。」
「べ、別に楽しくはないですよ。」
からかわれているのか?この人は、常に笑っているので感情が読めない。
「そうだ、アンナと話はできそうですか?」
ランベルトが首を横に振る。
「やはり今日は無理ですね。ですが明日、王主催の昼食会にイズミ様も招待されていますので、そこであれば少しはお話しできるかと。」
「そうですか。…明日ですか。」
ある程度予想はしていたが、アンナと自由に会話することも儘ならない。明日まで待たなければならないのも、昼食会だと二人きりで話せないのも口惜しい。俺は思い通りに動けない不自由さに苛立ちを覚える。
「イズミ様。先程着られていた衣装は、洗浄に回してもよろしいでしょうか?」
「あ、ちょっと待ってください。」
綺麗に畳まれたツナギを持って来てくれたイルメラに、申し訳ないと思いつつツナギを広げる。鍵束をベルト通しからはずし、胸ポケットから、折り畳んだ婚姻届けを取り出す。
鍵束を見て、秘密の部屋でアンナに会えないかと思ったが、何時行っているかも分からないし、自分には鍵を使いこなせないと思い諦める。
はぁー、と息を吐きながら、折り畳んでいた婚姻届けを見て目を丸くする。
婚姻届けの用紙から、書き込んであった俺とアンナの名前が綺麗さっぱり消えていた。何故と考えた瞬間に、ヘルミーナの魔導工房で全身洗浄された事を思い出し、あれかと思い至る。
「アンナ…怒るだろうな。いや…泣くかな。」
イルメラとランベルトに聞こえないように小声で呟く。
名前の消えた婚約届けを見ていると、今の二人の現状を示しているような気分になり、胸が痛んだ。
新キャラ二人とイズミくんの初からみでした。
今日は後2回更新予定です。




