魔導工房
「ここから近いですし、わたくしの魔導工房に参りましょう。」
ヘルミーナさんの提案に従い、俺たちは転移門がある部屋から移動することになった。重厚な扉を開けて、まずマティルデさんが部屋の外に出てあたりを確認する。
「大丈夫です。誰もいません。」
部屋の外に出ると真っ直ぐな回廊があり、左右の壁に等間隔に扉が並んでいる。扉と扉の間には、ランプが設置されていて、少し薄暗くはあるが歩くのに支障が無い程度には明るい。転移門がある部屋は、回廊の一番奥の部屋だったようで、回廊の反対側に階段のようなものが見えている。
「こちらへ。」
ヘルミーナさんの案内で、回廊を階段の方に向かって歩いて行き、中央を少し過ぎたあたりで止まり、壁に並ぶ扉の一つを開ける。
「どうぞ、お入りくださいませ。わたくしの魔導工房です。」
ヘルミーナさんに続いて部屋に入り、備え付けのランプに照らされた部屋の内部を確認する。部屋の壁沿いには、本棚やチェスト、クローゼットなどが並び、本や書類、魔導具らしき物が整然と並べられている。部屋の真ん中には、大きなテーブルが設置され、椅子が並んでいる。テーブルの上には実験道具のようなものが置いてあったが、綺麗に整えられている。ヘルミーナさんのイメージにぴったり合うきっちり整えられた部屋だった。
「お城の中に工房があるんですね。」
「はい。この王城の魔導工房では、国政に関わるような重要な研究を、国王陛下直属の研究者達が行っておりますから、警備の厳重な王城は最適なのですよ。」
「じゃー、ヘルミーナさんは、王様直属の研究者なんですね。すごいですね。」
俺が何気なく言った褒め言葉に、ヘルミーナさんが顔を左右に振る。
「残念ながら、わたくしは国王陛下直属の研究者では無いのですよ。こちらの部屋は、側仕えとして城勤めをするわたくしが、趣味の魔導具研究をできるようにと、姫様が取り計らってくださったのです。」
「いつも、わたくしを支えてくれているヘルミーナの献身に少しでも報いたいと思っただけですよ。」
「俺、なんか無神経な事言っちゃってすいません。」
「大丈夫ですよ。気にしないでください。」
俺が申し訳なさそうに頬を掻いていると、ヘルミーナさんは気にしないでというようにニコリと笑顔を作った後、話題を変える。
「さて、そろそろ、イズミ様の装いを何とか致しましょう。」
「ははっ、そうですね。よろしくお願い致します。」
「それではまず、今着ているその服を綺麗に致しましょう。」
「この作業着ですか?」
「はい。今から魔法で洗浄させて頂きますわ。」
俺が、両手を少し広げ、自分の姿を見る。
一応毎日洗濯はしているが、しみついた油汚れなどが落ちずに残っている部分がある。魔法なら落とせるのだろうか?
「荷物はこちらに置いてください。」
ヘルミーナさんが、部屋の中央にあるテーブルの椅子を引いてくれたので、俺はリュックを下して椅子に乗せる。
俺がテーブルの脇に立つのを見て、ヘルミーナさんが「クフェイン」と言ってアンナが魔法を使う前に出す、淡く光る本を空中に浮かばせる。本はアンナの物より少し小さく、形やデザインが違う。
「ヘルミーナさんもその本、持ってるんですね。アンナの持ってたのとは、ちょっと違うみたいですけど、魔法を使うために必要な物なんですか?」
「魔法を使うために必ず必要なものではありませんが、魔法をより簡単に扱えるようにする為の物です。『智慧の書』と呼ばれるもので、複雑な魔法陣や呪文を記録しておき、いつでも視覚的に取り出せる魔法技術です。わたくしと姫様は、本の形をしておりますが、本以外の形にする者もおります。マティルデの『智慧の書』はカードの形なんですよ」
ヘルミーナが、扉の前に立っているマティルデさんに視線を向ける。視線に気付いたマティルデさんが「クフェイン」と唱えると、胸元に十枚ほどの淡く光るカードが並ぶ。
「私は使える魔法が限られているのでこれで十分です。」
マティルデさんが、無表情のまま、カードをさっとまとめる動きをすると、カードが消える。
「はー。…なるほど。なかなか、理解するのは難しそうですね…。」
「また、お時間がある時にゆっくりご説明させて頂きますわ。お兄様。」
俺が眉をよせて難しい顔をしていると、それを見てアンナがクスっと笑った。
「では、イズミさま、始めますよ。」
「お、お願いします。」
ヘルミーナさんが、空中に浮かべた光る本のページをめくる。目的のページを見付けると俺の体に向けて手を伸ばし呪文を唱える。
「ローギック、インスタラシオン」
俺の足元に、青と緑で構成された魔法陣が浮かび上がる。
「あっ、イズミさま。口を閉じて息をしないようにしてくださいね。」
「えっ。あ、はい。」
俺は言われるがままに、口を閉じて息を止める。
「アンラオフ」
ヘルミーナさんが、再び呪文を唱えた瞬間。足元の魔法陣から、水と風が渦を巻いて俺の体を包み込んでいく。
「うわっ!な、なんだ…がぼっ!ごぶぶぶぶばっ!
水と風に驚いた俺は、思わず口を開けて声を出してしまった。口と鼻から、風と水が一気に入ってきて、鼻の奥がツーンと痛む。渦巻きは、数秒で収まったが、俺はしゃがみ込み、涙を流して咳き込む。
「うえっ…ごほっ!ごはっ…ごほっごほっ!」
「も、申し訳ありません!イズミ様!」
「だ、大丈夫ですか、お兄様!?ヘルミーナが、口を閉じているように言いましたのに…。」
俺の様子に慌てたアンナとヘルミーナさんが、俺の背中を撫でる。
「げほっ…はぁー、びっくりした。もう大丈夫です。」
「もう。驚かさないでくださいませ。」
「ごめんごめん。ヘルミーナさんもすいません。ちょっと驚いただけで、大丈夫ですから。」
「はぁー。…私の方が驚きましたわ。浄化の魔法で溺れるなんて…。」
ヘルミーナさんの言葉に苦笑いを浮かべながら、俺を立たせてくれる。
俺は呼吸を整え自分の姿を確認する。水を被ったのに、濡れた様子は無く、ツナギの作業着にしみついていた油汚れも綺麗さっぱり無くなっている。それに、俺の体自体も風呂上がりのようにさっぱりしている。
「す、すごいですね魔法って。こんなに綺麗になるなんて、体まですっきりしてこの魔法があれば、お風呂なんていらないですね。」
「あ、いえ。今回は急ぎだったので、まとめて洗浄させて頂きましたが、本来あまり人に向けて使う魔法ではありませんから…。」
「え…。そうなんですか?」
え?それってつまり、人に向かって使わない魔法を俺に使ったって事ですか?綺麗になったのは良かったけど、なんだか洗濯機にぶち込まれて洗われたような複雑な気分になってしまった。
俺は、半眼になってヘルミーナさんを見つめる。
「あ、えーっと、綺麗なりましたし、服装を考えましょう。おほほほ。」
ヘルミーナさんは、誤魔化すような笑みを浮かべながら壁際に置いてあるクローゼットを開け、中から紺色のドクターコートのような裾の長い上着を取り出す。襟元や袖口に金の装飾が少し入っていて品のある感じだ。
「魔導研究者用の制服です。こちらを、上に着ていただけますか?」
「わかりました。」
ドクターコート風の作業着を受け取って、ツナギの上からそのまま羽織り、前を閉じるとそれなりに上品な感じに見える。
「サイズは、問題なさそうですね。…靴は…んー許容範囲内ですかね。」
上着を着た俺の姿を見たヘルミーナさんの品評によると、普段履いているミドル丈のこげ茶色のブーツは、ギリギリセーフのようだ。
「後は、少し髪の毛を整えましょうか。イズミ様、こちらにお座りくださいませ。」
ヘルミーナさんが、リュックを置いた椅子の、隣の椅子を引いて座るように指示する。俺が椅子に座ると、テーブルの上に鏡が置かれる。ヘルミーナさんは、壁際のチェストから櫛と整髪剤らしき物を取り出すと、普段何もしていない俺のぼさぼさ髪をセットしていく。耳までかかる横髪と、目元まであった前髪の左側三分の一が後ろに流され、残りの前髪がまとめられぴっちり右側に流して固められる。目元とおでこ半分が見えるように、あっという間にセットが完了する。
鏡に映る俺は、紳士風な装いになっていた。ちょっと恥ずかしいが、ヘルミーナさんの手際に感嘆する。
「なんか、俺じゃないみたい…。」
「うふふっ。お兄様、とっともかっこいいですわ。」
少し照れている俺を、アンナが冷やかすように笑う。
「さて、これでイズミ様の準備は整いました。」
「ヘルミーナさん。ありがとうございます。」
俺がお礼をいうと、ヘルミーナさんがニコリと微笑む。しかし、すぐに真面目な表情を作り俺の横にいるアンナを見据える。
「姫様。わたくしが先触れに行って参ります。よろしいですね。」
「うっ。はい。怒られる覚悟はできました…。」
アンナが、びくっと顔を強張らせる。その様子を見たヘルミーナさんは、表情を崩して苦笑いを浮かべる。
「そんなに怯えないでくださいませ。わたくしもできる限り、お力添えさせて頂きますので。」
「ほんとに!ヘルミーナ。ありがとう、大好きですわ。」
ヘルミーナの言葉に、アンナが嬉しそうに笑う。なんだかんだ言いながら、ヘルミーナさんは、最終的にアンナに甘いようだ。
「それでは行って参ります。わたくしが戻るまで、部屋から出ないようにお願い致します。マティルデ、護衛をお願いしますね。」
「承知した。」
入口に立っていた、マティルダさんに声を掛けると、扉を開けてヘルミーナさんが部屋の外へと出って行った。ヘルミーナさんが出て行った後は、部屋の中を沈黙が支配する。
俺は、ここから先に何が起こるか分からない不安から。
アンナは、この後確実に怒られる事への恐怖から。
マティルダさんは、性格によるいつもの無口から。
ヘルミーナさんが戻ってくるまでの、十分ほどの時間が永遠のように感じられた。
部屋の扉を叩く音がすると、マティルデさんが一瞬警戒態勢を取る。
「ヘルミーナです。扉を開けてくださいませ。国王陛下と王妃様が来られております。」
中央のテーブルの椅子に座り、緊張で青い顔をしていたアンナが、ゴクリと唾をのんで立ち上がると、数歩入口の扉に近づく。俺もそれに続いて、立ち上がり、アンナの斜め後ろに立つ。
「ま、マティルデ。扉を開けてくださいませ…。」
マティルデさんが、さっと扉を開けた瞬間、興奮したあごひげの大柄な男が、怒声と共に部屋に飛び込んできた。
「このおおぉー、バカ娘がああああぁ!心配かけおってええええぇ!」
「ごごごごご、ごめんなさいぃぃぃい!」
アンナが怒声に反応して、声を上げながら、素早い動作で土下座した。俺があっけに取られていると、アンナを睨みつけて仁王立ちする大柄の男の後ろから、アンナに似た金髪の女性がひょこっと顔を出し口元を抑えて笑う。
「あらあら。アンナマリアいけませんよ。そのようなはしたない恰好をしては。」
あごひげの大柄な男と金髪の女性は、俺の記憶にあるアンナの両親で間違いなかった。
洗浄の魔法と伊澄くんの衣装替えのお話でした。
次回は、アンナちゃんのパパママとのやり取りです。