アンナマリア姫
俺は、呆然としながらくるりと部屋の中を見渡す。中世ヨーロッパのお城の中のような雰囲気だ。
部屋の壁にはいっさい窓が無い。それなのに部屋の中が明るいのは、壁に幾つか明るく輝くランプのような物が設置されているからだ。
ランプに照されている部屋の中は、天井も壁もすべて石に覆われていて少し湿っぽい感じがする。
よく見ると俺の前に立つアンナの向こう側に、重厚な木の扉がある。おそらくこの部屋の入口だろう。
「はぁー、なんか…異世界っぽい感じ、する。」
アンナが、握っていた俺の手を離し、口元を抑えてクスクスと笑う。
「お兄様。異世界っぽいじゃなくて、まごうことなき異世界ですわ。」
「そ、そうだったな。」
もう一度、部屋の中を見ていると、俺の背中側にあった光の板から、ヘルミーナさんとマティルデさんが、ぬっと姿を現し、俺はびくっと驚く。
「お嬢様。イズミ様。お待たせ致しました。」
二人が光の板から離れると、アンナが光る板の前へと歩み出て、光る板に向かって手をかざす。
「ハイツン」
アンナが発した言葉に反応して、光の板が消える。光の板が消えた場所には、木製の扉が現れた。どうやら、今の言葉で、転移の扉が閉じたという事なのだろう。
アンナが、かざしていた手を握りしめる。アンナは、くるりと俺の方に振り向くと握りしめた手を俺に差し出し、掌を開く。
「お兄様。お返ししますね。」
開いた掌には、仄かに光るじいちゃんから貰った鍵があった。
俺が「ああ」と言って鍵を受けとると、アンナは、差し出していた手を頬に当てて、ふーっと息を吐き、部屋の入口と思われる重厚な木の扉に目を向ける。
「さて、無事に帰って来たわけですが、これからどうしましょうか?」
ヘルミーナさんも頬に手を当てて、どうしましょう?といった表情を浮かべる。マティルダさんは表情を変えないまま、こてっと首を傾げる。
「そうですねー。一週間ほど、誰にも告げず姫様が行方をくらませていたわけですから、城の者たちは大騒ぎだったでしょうから…。」
ん?姫様?城の者?ヘルミーナさんの言葉に、俺は首を傾げる。
「姫様は、国王陛下と王妃様に怒られると思いますよ。」
「お、怒られるのは嫌ですわね…。」
あ、また姫様って言った。それに国王陛下と王妃様って言った。
「そこは、甘んじて怒られてくださいませ、姫様。」
「ちょっと、ヘルミーナ。そんな事言わずに一緒に怒られてくださいませ。」
「嫌ですよ。黙って出ていったのですから、帰ってきたら怒られるのは分かっていらしゃったでしょ。」
「それは、…そうですけど。」
俺は、背中に冷や汗を掻きながら、恐る恐る片手をあげる。
「あの、…ちょっといいですか?」
「なんでしょう?お兄様」
「さっき、お城とか姫様とか国王陛下とか王妃様とか…聞こえたんですけど、…どういうことですか?」
アンナが、はっとして口元を手で押さえた後、しかめ面で口を尖らせてヘルミーナさんとマティルデさんを交互に睨む。
「ヘルミーナ、マティルデ、お兄様の前では、ビルゲンシュタットの姫ではなく、楠アンナというお嬢様として、わたくしを扱うように言っておいたのに!」
「ですが姫様。もう王城に帰って来てるのですから、おのずと分かってしまわれますよ。むしろ今のうちに、ご説明した方がよろしいかと思いますよ。」
「うっ。それは…そうかもしれませんが。」
俺は、苦笑いを浮かべながら、混乱する頭の中を整理するために言葉を作る。
「えーっと、確認ですが…つまりアンナは、ビルゲンシュタットのお姫様で、ここはビルゲンシュタットのお城って事で合ってますか?」
「お兄様。正解ですわ。」
「しかも、何も言わずに俺のとこに来たって事は、…家出同然じゃないか?」
「うっ、えーっと、それはですね。…それも正解ですわ。」
くらっと眩暈がして、俺は頭を抱える。異世界に来て早々、衝撃の事実を聞かされた。さらにヘルミーナさんが、俺に追い打ちをかける。
「アンナ姫…いえ、アンナマリア王女は、ビルゲンシュタット王国の王位継承権第一位を持つ姫君であらせられます。つい先日、転移門の開きかたを知った姫様は、イズミ様にお会いしたい気持ちを抑えられず、この王城の地下にある転移門を使って、あちらの世界に向かわれたのです。姫様を思いとどませる事ができなかったわたくし達には、必要最小限のお荷物を準備してお供するのが精一杯でした。」
「ヘルミーナさん。…ご丁寧なご説明、ありがとうございます…。」
姫様っていうか、王位継承権第一位って事は、次期女王って事じゃないですか?ただでさえ、住む世界が違ったのに、俺が好きな幼馴染が本物のお姫様だったなんて、結婚をしようとしている相手が、次期女王だなんて、工場の一職人だった俺には荷が重すぎると思うんですけど!
確かに昨夜、ヘルミーナさんが言っていたように、アンナは確かに難しい立場にいるようだ、王族だもん。そんな人と結婚しようと思ったら、俺が嫌な思いをすることなんて一杯あると思うよ。王城の中でツナギの作業着なんて着てたらそりゃ珍妙でしょうね。
その上、家出同然で出てきていたなんて、俺の立場かなり悪くないですか?
俺が、頭を抱え蹲っていると、アンナが俺の頭をそっと撫でながら、心配そうに顔を覗き込む。
「お兄様。その、驚かせてしまって申し訳ありません。やはり、あちらの世界に戻った方が良くありませんか?わたくし、…お兄様に嫌われてしまうのだけは耐えられません。」
アンナが、申し訳なさそうに眉を寄せ、赤い瞳を潤ませる。俺は、その表情を見て、己を奮い立たせる。
俺の頭を撫でていた、アンナの手を取り立ち上がり、口の端をくいっとあげる。上手く笑えてるかは分からない。
「俺は帰らないよ。確かに驚いたし、家出同然は良くないけど、お嬢様が姫様に変わったぐらいじゃ、俺はアンナの事を嫌いになんかならないよ。えーっと…こういう時は、頑張れって言ってくれって言ったろ?もう忘れたのか?」
アンナは、潤ませていた目を丸くする。そして、少し恥ずかしそうに視線を泳がせてから口を開く。
「えっ?あ…その…お兄様は、わたくしの為に、頑張ってください?…ますか。」
アンナのお願いのような疑問のような言い方に、俺は、ぶふっと吹き出す。それを見たアンナが「恥ずかしい事を言わせるお兄様は、ひどいです!」と言って、顔を赤くしながら頬を膨らませる。
「はははっ、アンナと約束したんだから俺は頑張るよ。」
こっちに来て早々、確かに驚いたけどこの程度のことで挫けてたまるもんか、まだ始まってもいない。アンナが頑張れって言ってくれたんだ、俺は頑張るよ、俺だって英雄って呼ばれた男の孫なんだろ、じいちゃん。
アンナちゃんはお姫様でした。
伊澄くんの悩みは増えるばかりですね。




