アンナの説得
「ごちそうさまでした。お兄様。」
「お粗末様でした。」
翌朝の朝食後、ヘルミーナさんが淹れてくれたお茶を飲みながら、ヘルミーナさんに目配せをする。ヘルミーナさんが、飲んでいたティーカップをテーブルに置き、コクリと頷く。
俺は、ごくりと唾を飲み、腰の鍵束にジャラリと触れてから、正面に座るアンナを見る。
アンナは、いつものようにハーフアップにまとめた腰まである長い金髪を、ふわりと揺らしながら、小さな口にティーカップを当て、ゆっくりと優雅にお茶を楽しんでいる。
今日は、オフショルダーの淡いピンクのドレスで、アンナの首から肩口まで丸みを帯びた白い肌が見えており、ちょっと大人っぽい感じに見える。
アンナが、俺の視線に気付いて、ニコリと微笑む。
「どうかされましたか、お兄様?」
「いや、あー、今日のドレスちょっと大人っぽい感じだけど、アンナに良く似合ってるなーと思って。」
「ふへ、あ、ありがとうございます。お褒め頂いて…。」
アンナが、自分の服装をチラチラと確認した後、両手を頬に当てて、顔を赤らめながら恥ずかしそうに唇を噛んだ。
アンナの隣に座る、ヘルミーナさんがコホンと咳払いをした。早く話を進めろという事だろう。
「えーっと、家に来てからしばらく経ったわけだけど、こっちでの生活には慣れたかな?向こうの世界と違うところも多いだろうから結構大変なんじゃないか?」
「確かに、少し不便な事はありますけど、ヘルミーナとマティルデが居てくれるので問題ありませんわ。強いてあげれば、お兄様とお出かけできないのが残念なくらいでしょうか?」
「ヘルミーナさんとマティルデさんはどうですか?何か不満や困っていることがあれば教えて下さい。できることがあれば改善していきたいので。」
俺は、ヘルミーナさんとマティルデさんに向かって順番に顔を向ける。
「そうですわね。不満というわけではありませんが、お嬢様のお世話をするのに少々お部屋が狭いのと、お家の外に出れませんので運動不足を感じているぐらいでしょうか?」
「マティルデさんは、何かありますか?」
「そうですね、わたしも訓練する場所は与えて頂いているので、運動不足とまでは言いませんが、屋内だけでは物足りなさを感じております。あと、こちらの家では、お嬢様をお守りするにあたり、堅牢さ、視野の確保の点で問題があると思います。」
なるほど、セキュリティ面で不安があるというのは、護衛のマティルデさんらしいと思った。まー、この国の治安の良さを考えると特に問題があるとは思えないが、まずはそれぞれに、不満や問題点が少なからずある事を認識してもらうのが目的だったので、あえてここは反論しないでおく。
俺は、ヘルミーナさんをチラリと見ると、視線に気付いたヘルミーナさんがコクリと頷く。俺は、昨夜ヘルミーナさんと組み立てた説得の流れを思い出す。
まずは、アンナだけではなく、異世界から来た三人にそれぞれ不便や不満がある事をアンナに自覚してもらう。これは先程の話で概ねクリアだ。
次のステップは、その問題を解決していくには、俺の負担が大きいという事を、理解してもらう。そして最後に、アンナに気負わせないように、アンナの為では無く、あくまで俺の為に異世界に一緒に帰るように納得してもらうのだ。
「なるほど、皆さんそれぞれ、こちらでの生活に少なからず不便を感じていらっしゃる部分がやっぱりあるんですね。家の広さについては、お金の問題もあるので今すぐどうにかすることはできませんが、行動できる範囲を増やすのは、頑張ればなんとかなるかなー。」
俺は、わざとらしく腕組みをしながら、うーんと考え込むふりをする。
「ほんとうですか?それは、お兄様とお出かけできるということですか?」
「行動できる範囲が広がれば運動不足の解消にもなりますね。」
アンナが嬉しそうに目を輝かせ、マティルデさんもそれは良いといった風にこくこくと頷く。ごめんね二人とも、今からぶった切ります。
「あーでも、直ぐにとはいかないよ。家の外に連れていくとなると、こちらの世界での常識をある程度覚えてもらわないといけないし、今の皆の恰好だと悪目立ちしちゃうので、こちらの服を用意しないといけません。それに、マティルデさんの剣をどうするかも考えないといけません。」
「お兄様、この格好のままではいけませんか?」
「わたしの剣については、目を瞑って頂けませんか?」
アンナと、マティルデさんが縋るような視線を俺に向ける。
「お嬢様。マティルデ。イズミ様を困らせてはいけませんよ。それに、わたくし達がこちらの世界で暮らして行くには、まずこちらの常識を知る必要があると思いますわ。」
マティルデさんが、頬に手を当て、アンナとマティルデさんを誘導するように、壊れたコンロや電子レンジなどに視線を向ける。
「そうしませんと、ただでさえ衣装など色々と揃えて頂かなければならないのに、何か失敗する度にイズミ様の大事な時間やお金を、わたくし達が消費してしまいますわ。」
ヘルミーナさんが、実例をそれとなく指摘しながら上手くアシストしてくれる。予定通りだ。
「まー確かに、俺にもできる限界というものはありますからね、そう言ってもらえると助かります。」
「そうですわね。このままでは、お兄様だけに大変な思いをさせてしまいますわね。何か良い方法があればいいのですが…。」
よし、俺の負担の大きさについては、理解してもらえたので最後のステップだ。俺はわざとらしく手をポンと叩き、今思いついた風を装う。
「あ、そうだ、ここで暮らすのが難しいなら、アンナ達の世界で暮らすのはー」
「それはできません!お兄様」
ちょっと予想外の早さでアンナが、食い気味に俺の言葉を遮った。俺は、慌ててヘルミーナさんに視線を向けるが、キッと俺を睨んで小さく首を左右にふる。負けるなという事だろう。
俺は、アンナの方に視線を戻し、口の端を上げながらニコリと笑ってみる。
「でも、向こうの世界で暮らす分には、俺が、生活に慣れればいいだけだから、俺の負担も減ると思うんだよね。」
「それは、そうかもしれませんが…やはりいけませんわ。わたくしは帰りたくありません。」
「えー、でも、この前喧嘩した時は、帰るって言ってたじゃん。」
「あ、あれは、売り言葉に買い言葉で本心ではありません。揚げ足を取らないでくださいませ。お兄様。ひどいです。」
アンナが、ぷーっと頬を膨らませて、眉間にしわを寄せ俺を睨む。やばい、まずったかも…。
「ごめん。ごめん。でも、どうしてそんなに帰りたくないんだ?俺は、アンナが育った場所を見てみたいし、アンナの両親にまた会いたいと思ってるんだけど。」
アンナが、困った表情を浮かべ視線をそらす。
「それは、その…やっぱり言えません。それに、わたくしは、お兄様と一生を添い遂げる覚悟で、こちらの世界に来ました。お父様とお母様にはもう会うつもりはありません。もう死んだものと思ってこちらでお兄様と暮らします!」
「お嬢様。それはー。」
アンナの言葉に焦った表情を浮かべ、ヘルミーナさんが俺とアンナを交互に見ながらアンナを窘めようとしたので、言葉を遮るように掌をかざす。
「大丈夫ですよ。ヘルミーナさん」
「ですが…。」
「アンナ。アンナがすごい覚悟をして俺に会いに来てくれたのは嬉しいし、帰りたく無い理由があるのは仕方ないと思うけど、ご両親を死んだ風に思うのは良くないよ。俺は、もう自分の両親には、絶対に会えないから、アンナに似たような思いはして欲しくないかな。」
アンナが、ハッと目を丸くした後、顔を青くしながら、眉間に皺を寄せ口をへの字にして俯く。
「も…申し訳ございません。ぐすっ…わたくし、また、お兄様に酷いことを言ってしまいました…。」
「大丈夫。気にしてないよ。」
「ほ、本当ですか?ぐずっ…怒ってませんか?」
「怒ってないよ。」
俺は、立ち上がって向かいに座るアンナに向かって手を伸ばし、頭をポンポンと叩いてから優しくなでる。ゆっくり顔を上げたアンナは、赤い目に涙を貯めて今にも泣きそうな表情だった。その表情を見て俺は、また泣かせてしまったなと思い眉間に皺を寄せる。
「で、どうする?俺は、アンナの世界に行ってみたいし、アンナの両親にも会いたいと思ってるんだけど?」
「あちらに行けば、きっと…お兄様はたくさん嫌な思いをすると思いますよ。」
「アンナは俺のことを心配してくれてるんだな。嫌な思いしても、アンナが側に居てくれるなら俺は、大丈夫だよ。」
「お兄様が、わたくしの事を嫌いになってしまうかもしれません。」
「アンナは、俺に嫌われるようなことをするつもりなの?」
アンナが、目をぎゅっと閉じて、顔を左右にブンブン振って否定する。
「じゃー俺は、アンナを嫌いになんてならないよ。」
「…ほんとうですか?何があっても、どんなに辛いことがあっても、お兄様はアンナの事を嫌いになりませんか?」
頭を撫でていた手を、アンナが両手で掴み、潤んだ赤い瞳で懇願するように俺を見る。俺は、どれほどの覚悟が必要なのだろうかと思いつつ、何があろうと諦める事は無いという決意を言葉にする。
「辛いときは、アンナに頑張れって言って欲しいかな。そうしてくれるなら俺は、絶対にアンナを嫌いにならないし、ずっと側にいるって約束する。」
アンナが、目を閉じてコクリと頷くと、目から溢れた涙が一筋頬を流れた。横に座るヘルミーナさんが、胸に手を当てて、ふーっと息を吐いた。
アンナは、俺の手を離すと、意を決したように真面目な表情を作りヘルミーナとマティルデに視線を向ける。
「ヘルミーナ、マティルデ、あちらに帰る準備を致します。お部屋の物を収納する準備をお願いします。」
「承知いたしました。お嬢様。」
「お任せください。」
ヘルミーナさんとマティルデさんが、恭しく頭を下げる。アンナは、それを確認すると俺の方を向く。
「あの、お兄様。たぶん向こうに行くと、しばらくはこちらに帰って来れないと思います。お仕事の方などは大丈夫でしょうか?」
「昨日の納品で、残ってた依頼が全部片付いたところだから、工場に休業の紙でも貼っておけば問題ないよ。俺は、いつでも大丈夫だよ。」
「わかりました。では、わたくし達の準備が整い次第、まいりましょう。」
アンナ達が、片付けのために二階に上がるのを見送った後、俺は朝食の後片付けをして、自室に戻り自分の準備をはじめる。
大きめのリュックを用意して、数日分のシャツや下着、デニムパンツに歯磨きや洗顔などのお泊りセットを詰め込む。なんとなく仕事柄手放せなくて小さめの工具セットと作業用のツナギも入れておく。そこで、はたと気付く。自分の着ている服装を確認する。いつもの作業着のツナギだ。
「俺、この格好で行っていいのかな?」
久々のアンナちゃんの登場です。
次回は魔法のお話の予定です。
明日も更新予定です。




